桂には、冗談が通らない。これほどの才人でありながら、あたまの構造が物の理を究めるほうにばかりするどくて、理外の世界のおかしみがわからなかった。

 その点、竜馬とはまるで逆だった。竜馬は、どこが尻っぽで、どこが頭なのか、よくわからない顔つきをしている。もっともこれは生れついての地顔だが、後年こういう顔をしているほうが万事トクであると知るようになって、大いに活用した(中略)。

【p399】

才人である桂と、得体のしれない顔をした竜馬。二人の対比がおかしい。

欠点は美点に転じる。

 

 

 この竜馬ときたら、いつみても物臭そうで、やあ、と気負いたつところがない(もっとも物臭は竜馬の唯一のお化粧で、この男らしい一種の照れかくしなのかもしれない、と武市は見ていた)。

【p422】

竜馬と武市。

いつも気負いたつのは武市で、竜馬はのらりくらりとしている。

このときも、道場の代表で交流試合に出てくれと頼まれ、気乗りしない様子。

しかし、神のごとく慕われている武市が道場の代表として負けてしまっては、慕っている若者たちを失望させてしまうことに気付いた竜馬は、代表として立つことを決める。

性格が異なるがゆえにべったりとした関係ではなく、お互いそれぞれの立場でベストを尽くそうとしているふたり。

ただ、このとき竜馬は勝つことにそこまで意義を見出していない。

勝つことそのものでなく、どこで勝つことが大事なのかに着目している。

 

 

「汝(おんし)」

 武市は言葉を荒らげ、

「武士が敵をみて弱音を吐くか」

「吐くわい」

「されば、おンしァ、武士ではないのか」

「武士々々とがみがみいわンすな。耳が鳴るわい」

「されば、おンしァ、何じゃい」

「坂本竜馬じゃ」

 ケロリとしている。

 これが竜馬の一生を通じての思想だった。武士であるとか町人であるとか、そういうものはこの世の借り着で、正真正銘なのは人間いっぽきの坂本竜馬だけである、と竜馬は思っている。

【p425】

身分や肩書にとらわれず、自分が何者かを知っている。

この時代の武士階級に、そういう人物は何人いたのだろうか。

郷士という特殊な立ち位置にいたことが功を奏した一因なのかもしれず、この時代に至って江戸時代開闢以来凝り固まっていたものが動き出した感じがある。

おれはおれだ。

ではなく、

「坂本竜馬じゃ」

と発するところが粋である。

 

この後、試合では竜馬と桂が決勝で戦うこととなる。

竜馬は、理に沿う動きを徹底する桂に対し、その固定観念を逆手にとって勝利した。

以前貞吉が語っていた無想剣には及ばぬとしても、心妙剣の弱点を理解した動きを見せた竜馬の勝ちっぷりは物凄い。

また、準決勝で立ち会ったのは森要蔵という会津藩士。

「余談だが」と、お得意のフレーズで会津藩の立ち位置について触れており、戊辰戦争での森親子の奮戦について描いている部分が印象的。