今でも昨日のことのように思い出せる。

一生に一度のかけがえのない1日になるはずだった。

娘が生まれてきてくれた、かけがえのない1日にはかわりはないけれど、自分自身は酷く雑に扱われ、その中で目の前の命に必死に向き合った産後の時間。

その半年を記録させてください。

今だから書ける。


予定日から3日遅れの日。

陣痛がはじまり、旦那の運転で病院へ。

この日まではいい夫婦だった。

尊敬もしていたし、なにより大好きで、生まれてくる娘を2人で心待ちにしていた。


義母は遠方に住んでいたため、予定日の1週間前から近くの義母の兄の家で待機していた。

今思うとそれも苦痛だったんだと。


このまま入院になり、出産が始まる事を旦那から義母へ伝え、タクシーで病院に現れる義母。

「え?来たの?」とびっくりする私と旦那。

義母「3日も遅れてるんだから、当然来たわよー!だって予定通りちゃんと生まれていたら、もう抱っこできてるはずなんだから!待ち疲れちゃってるの、こっちは!」

顔はにこにこ笑ってはいるけれど、強い口調であきらかに不満たっぷり。


看護師さんが「あなたの1番望む形にしたいから、病室に入らないで欲しい、病院からも出て欲しいなど何でも言って!うまく伝えて、お母さんと赤ちゃんを守るからね!」

と処置をしながら話してくれた。


旦那と2人きりが良い事を伝え、義母に伝えに行ってくれた看護師さん。

病室には入らず、扉の外の待合にはいるとのこと。

旦那と看護師さんや助産師さんが出たり入ったりして、扉が開くたびに、のぞこうと顔を出してきたり入ろうとしてきたり…

「男性の旦那より女性のわたしが側にいたほうが心強いと思うんだけど?私は息子2人産んでおりますので」

と看護師さん助産師さんに話しかけ続けていた義母。


そして生まれて…

心拍が安定しない。

カンガルーケアはできたものの、あっという間にNICUへ連れて行かれた娘。

なんとも言えない気持ちだった。

その頃の私は33歳。


処置室前で待っている義母に

「高齢出産で羊水が腐ってるからよね!20代とは

違うもの。」

と看護師に話してる声が聞こえてしまう。

涙が止まらない私。

旦那は1人達成感?に酔いしれていた。

「大丈夫だよ、大きな声で泣いてもいたしさ。」


目の前に娘がいないこと、ちゃんと産んであげられなかったんだという絶望、高齢出産のせいだと悪意たっぷりに話す義母、医者でもないのに安易に大丈夫といえる能天気に見えた旦那。


わけもわからず、どうしようもない孤独な気持ちにおそわれ、身体の震えが止まらなくなった私。

何をしていいのか分からず、個室対応の産科のため病室へと運ばれて、色々なカラダの変化にも緊張しながら、眠れない夜を過ごした。


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