気まぐれに自分の病気について少し語ってみようと思う。
あまり良い話ではないので、気分が優れなくなったり、気持ち悪くなられても一切の責任を負いかねますので、先に忠告と見たくない方はここで引き戻すことをオススメ致します。
体の生々しい病気や便などの話しも出ますので
それではお話しを。
時系列的に話しを始めますと
中学三年生の15歳の年末年始の頃。
12月29日にいきなり猛ダッシュをした所、肺が破れてしまい
その日は息苦しくて、常に息切れした状態で横になるのも辛かったのを覚えてます。
翌日町医者に行くと
肺の呼吸音が聞こえない、急いで大きな病院に行ってくれ
と言われて即日入院。年末年始は手術が出来ず1月3日に手術をして回復。
それからしばらくは平気でした。
次は高校3年生になった4月初頭。
友人と泊まりをやり、友人を帰した後に昼飯を食べようと準備をし始めたら急に腹痛が。
その腹痛も尋常じゃなく、身動き一つ出来ない状態。脂汗がダラダラ。
一歩歩くことすら苦痛のところ、町医者に行くと昼休みで居ませんでした。
そして救急車で運ばれ、それから三日間は痛み止めだけで過ごす羽目に。
原因が分かったのは三日後で緊急手術。
大腸穿孔。大腸が破れてました。
お腹に便が沢山出てしまっていて、半分大腸は腐ってしまい使い物にならず切除。
そして繋いで、お腹の中に戻そうとしたらしいのですが、大腸が脆くて縫えず、人工肛門を設置する事に。
その時の入院中に僕が看護婦さんに
親指の第1関節が後ろに110度近く曲がるんですよ
と見せたことで、その話しが担当医に伝わり
エーラス・ダンロス症候群なのでは?
という話しをされて、大学病院で遺伝子の検査をすることに
そして結果は、エーラス・ダンロス症候群の血管型であることが判明。
簡単に説明をすると、私の場合は血管と腸器官が脆い
という病気でした。
それが分かった所で、大学に行くに当たり、人工肛門があることが嫌だったので、閉鎖を決意しました。
そして11月末に閉鎖の手術を。
人工肛門をお腹に戻しましまた。
しかし経過が良くなくて、便が肛門から出てこず、腸閉塞を起こしていました。
腸閉塞は、腸がキュッとなってしまって、便の通り道が塞がれてしまいます。
そこで歩くと便の通りが良くなると言われていたので
二駅分を歩いて本を買って戻りました。
途中は顔面真っ青の脂汗がダラダラでヤバかったです。
その翌日に、緊急手術。
今度は小腸が破れていました。
そして7時間にも及ぶ手術で、また人工肛門を設置。
しかしまたまた経過が良くなくて、感染症の敗血症を起こしてしまいました。
呼吸困難、血圧計れないくらい低下、腎臓停止、黄斑変性症?目が黄色になってしまうやつ
などになってしまいました。
結果、体に毒素が回り、体がパンパンに膨れあがってしまい
手術痕のお腹の縫い場所は引きちぎれ、お腹の真ん中のおへそ辺りの正中線15㎝ほどの切り傷が開いてしまい、内臓丸見え状態、そして人工肛門はお腹に落ちてしまいました。
この時には12月半ばくらいにはなってました。
勿論、集中治療室にいました。
呼吸困難に陥った時に幻覚を見ていました。
なった直後は、水の中に自分が閉じ込められていて、水の中でグルグル回転していました。
そして辺りが水一面で、その上に自分がポツンと横になっていて、その周りを担当医、看護婦さんなど沢山の人が囲んで居て
誰も自分を助けず冷たい目で見詰めていました。そこで自分が水に徐々に沈んでいくのですが、誰も助けてくれない。というのを見ました。
そここら少し記憶が無くて、終わってしまった世界に一人ぼっち、自分の葬式などの夢?幻覚?を見ました。
その間、開いたお腹を少しでも閉じる為、傷を小さくするために
左のお肉、右のお肉に糸を通して、その糸を思いっ切り真ん中に引っ張って結ぶ。
、ということをしており
ギューッとお互いの肉を引っ張り合うように縫っていました。
それが本当に痛くて痛くて、二度と味わうことになったら死を選んだ方がマシなのでは?と思うほどに。
あと体に10本ほど太いチューブがお腹に刺さっていました。
勿論。人工呼吸器を付けていたので、話すことは出来ず、しかも腕もまともに上がらず、目も悪いので文字は霞むし
余りにもする事も無く永遠と天井を見ていたので、可哀想に思い、看護婦さんが親に相談して
小さいアンテナのようなもので見る小型テレビを買ってくれて
余っている点滴棒に固定して見させてくれてました。
余談ですが、笑ってはいけない某年末年始のやつ。一度も笑いませんでした。
そこからしばらくして、お腹は開きっぱなしではありますが
一般病棟に移ることで、友人の見舞いなどの許可が下りました。
精神的にマズいと判断したからだと思います。
そして真っ先に来てくれた友人は、何度か死にかけの僕を見ていたことはありましたが
体重が30キロ代でがちのモノを見たのは初めてでショックを受けていました。
そこから糸でお腹を縛り上げる日々が続きます。
寝たきりなので、重力でお腹は横に逸れようとするので、肉を引きちぎって糸が取れてしまうので、二日毎に取り換える感じでした。
また糸をお腹に刺して、両方のお肉から出てる糸を中心に向けてギューッと引っ張って結ぶので
ほぼ半日は痛みが取れません
そしてリハビリも始まり、座る練習、長時間座る練習、立つ練習、歩く練習
としていきました。
勿論歩く練習をするまでは身動き一つ出来ない状況。
体を拭いたり、洗ってくれるのは看護婦さん。
ベッドにオムツの吸水効果のあるものを敷いて、股間を手で洗ってくれるのです。
南無妙法蓮華経と唱えて頑張りましたが……
可愛い看護婦さんには……
6月頃に、そこで問題になってきたのが、お腹に落ちてしまった人工肛門。
落ちてしまったことで、お腹の丸く開いていた穴が閉じてきてしまい
それを広げる手術と固定する手術をしました。
これが六月。
その手術が終わった後尋常じゃないくらい痛みがあり、どんな痛み止めを使おうと痛みが酷くて一晩中うなされてました。
翌日痛みが大分引き、そこからまた日時が経ち六月末。
ようやく退院することが出来ました。
7ヶ月にも及ぶ入院生活。
しかしそこからは内臓等の痛みでは無く、皮膚などの痛みの始まりでもありました。
まず退院した時の体は、体重は39キロ。少し動くだけで息切れ。
股間の上のお腹の始まりからお腹の丁度真ん中辺りまでの長さに、横4㎝ほどの幅の傷跡があり、開いていた傷跡です。
ちなみにこの皮膚の下には脂肪は二度と付かないので皮膚の下には直接腸があります。
また人工肛門はお腹にあるので、袋をその上から付けて、そこに便が出ます。
度重なる不運などで、人工肛門の形が非常に悪くて、陥没型、しかも小腸のものなので、水便が多くて、酸性がとても強いのです。
凸型のものは、この図凸ですと突き抜きていない部分いわゆる皮膚。その皮膚に袋を付けるだけなので、出っ張りが少し袋に突入してる感じになり、直接袋に入っていきます。
しかし凹型は、イメージとしては涎を垂らすような感じ。
上辺の凹んでない一番上の部分。そこが皮膚になります。
なのでその皮膚の上に袋を付けても、まず必ずその皮膚と袋の接着面に便が付いて、そこから袋になります。
小腸の人工肛門の悪い所ってのは、大腸で吸収されるはずの水分、栄養が吸収する前なんだよね
だからその水便ってのはとても強い酸性を持つんです。
ということは!酸性は強いものなので、接着面の袋のやつが溶けてしまい、皮膚に便が当たってしまいます。
そして強い酸が皮膚に当たり、皮膚荒れてしまい糜爛(びらん)になったり激痛を伴います。
肉の赤い奴が見えてる感じ
なんとかその袋が上手く行って日常生活を送れるくらいにはと頑張りました。
痛みで外に一切出れず、取り換えては痛みが出て、取り換えてはの繰り返し
年末になるくらいには一度鬱になりました。
しかし年明けくらいには袋のやつも良い物と出会いある程度落ち着き、そして鬱も治りました。
そして大学に復学するころには、体重44キロくらいでした。
そこからは必然的に歩かなくてはいけなくなり、体力も付き、体重も頑張って戻し、65キロまで戻しましたが
脂肪が付きすぎたことで痛みが出ていることに発覚
お腹に脂肪が付いてしまった場合、人工肛門の位置は全くかわらないので、その周辺のお肉が盛り上がってしまい
そのせいで潜り込みやすくなってしまって、また漏れてしまうことも
即座に体重を落として、ベスト体重が58キロであることが分かりました。
しかしそれでも退院してから毎日、痛みが無い日は一日もありません。
痛み止めもかなり強いモノを飲んでいて、末期癌の人が使うような強力のものです。
とくに夜などは、1日の食事の分お腹が一番膨れている時間なので、便が潜り込んでしまってとても痛いです。激痛で何も出来ません。
水便だけじゃなく、
すこしとろみのあるような固形と水の中間の便は、へばりついてしまって痛い
水便は付けている所が溶けてしまい潜り込んでしまって痛い
固形は袋に落ちずに周りに付いてしまう時もあるから痛い
固形はとくに痛みの度合いは強いです。
今は痛みで一日二度袋を取り換えてます。
取り換えに1時間弱掛かるので、家を出る二時間前から準備しないといけないので、大変です。
もちろん痛みで寝れない日もあります。
朝まで寝れず一睡もせずになんて日もあります。
軽く考えただけでも四度も死にかけ、その上痛みに苦しみ続けています
ほんと誰か精神的に支えてくれる恋人のような女性がほしいです
はぁ~痛み治まらねぇかなぁと考えつつ、今日も一日頑張っていきます。