11月22日、三連休を前にして、サンデー毎日の身分のメリットを生かしてすいているうちにどこかを観光したいなと思った・・・
かつての勤務地である山梨でも行こうかとネットで調べると、なんと今まで知らなかった国宝の建物を擁する寺が2つもあるではないか?
山梨の寺社仏閣といえば身延山、善光寺、武田神社ぐらいだと思っていたが、なんとうかつなこと・・・ということで早速行くことに。
三鷹か特急甲斐路で大月へ、各駅停車に乗り換え勝沼ぶどう郷で下車。

ここからタクシーで大善寺へ向かう。
道中で運転手さんから大善寺は近頃たいそう観光客でにぎわっているという話を聞いた。

なんでも昨年話題になった「逃げるは恥だが役に立つ」通称「逃げ恥」のロケ地になったとか?
ヒエー、そんなこととはつゆ知らず選んでしまった目的地。混んでいるかなあと思いながら訪ねると・・・

拍子抜けするくらい静かな大善寺であった。ただ、入り口の受付で拝観料を払うと、係りの人は物慣れた様子で、「お車でしたら本堂まで送るまで上がれますよ」とおっしゃる。

運転手さんも「合点承知」とばかりに本堂へ車を走らせ、入口より数十メートル上の本堂まで回り込んでくれた。

さてこのお寺の国宝はこの本堂(薬師堂)である。弘安9年(1286年)の刻銘があり、お寺のパンフレットでは関東周辺では最も古い建物だとか。(えっ鎌倉にはこれより古い建物はないの?の疑問が頭をかすめるがこれは後で調べよう。なおお寺のウェブサイトでは山梨県最古とある。)


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この薬師堂の中には平安時代初期に造像されたという薬師如来、日光・月光菩薩の薬師三尊像(国指定重要文化財)が国宝の厨子の中におさめられて安置されるとともに、鎌倉時代造像の別の日光月光菩薩や十二神将像(これらも国指定重要文家財)がおわします。

このお堂の中には入ることができ、中をぐるりと拝観した。厨子の中の薬師三尊像は秘仏で、見ることができるのは5年に一度のご開帳の時だけとのことだが、厨子の外にいる日光月光菩薩、十二神将は拝見することができた。十二神将像はなんと運慶の子供蓮慶の作品というではないか。
思わず、この時東京で行われていた「運慶展」を思ってしまうほど、十二神将は素晴らしかった。本堂の中で説明をしてくれた女性に「この仏様たちも東京国立博物館で運慶一派の作品として展示してもらう価値があると思います」と言ってしまった。
これらの仏像の写真を撮ることは許されなかったが、上記大善寺名のリンクからお寺のウェブサイトに行くときれいな写真を見ることができます。

さて、このお寺は美しい鐘楼や
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県指定文化財の役行者像が祀られた行者堂、
同じく県指定文化財の立派な山門、
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庭園などがあり、見ごたえ十分の観光スポットである。

さらにこのお寺の魅力はもう一つ、
住職の方がワインを醸造しておられこれを庭園横のお座敷で飲むことができるのだ。
(1杯300円。生の葡萄も供される)
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甲州ブドウで醸された白ワインはすっきり辛口で誠にスムーズに喉を通り、名残の甲斐路ぶどうもさわやかな甘みでまことに結構。何とこのお寺は民宿もやっているのだとか。お土産には住職さんのワイナリーのワインがボトルで販売されており、なかなか商売上手でもある。


さて、この寺がぶどう寺といわれるのは、このワインが理由ではなく、次のいわれがある(以下大善寺ウェブサイトより)
”養老二年(AD718)僧行基が甲斐の国を 訪れたとき、勝沼の柏尾にさしかかり、日川の渓谷の大石の上で修行したところ、満願の日、夢の中に、手に葡萄を持った薬師如来が現れました。
     行基はその夢を喜び、早速夢の中に現れたお姿と同じ薬師如来像を刻んで安置したのが、今日の柏尾山大善寺です。
     以来、行基は薬園をつくって民衆を救い、法薬の葡萄の作り方を村人に教えたので、この地に葡萄が 栽培されるようになり、これが甲州葡萄の始まりだと 伝えられています”



いずれにしても、見てよし、飲んでよし、のこの寺は、ぜひもう一度訪ねたいと思う。願わくばご本尊のご開帳の時にでもワインのみに来ようかな・・・
伊都国の遺跡を初訪問の後は奴国である。
いったん博多に戻り鹿児島本線に乗り換えて南福岡駅へ
春日市奴国の丘歴史資料館へは歩いても15分ぐらいだとのことだったが
明るいうちにできるだけ遺跡を見たいと思いタクシーで向かう。

歴史資料館は外観はなかなか立派だ。
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ただ中はやや古びていて、伊都国歴史博物館に比べると展示の方もちょっと散漫かなあ・・・失礼

ここは弥生時代の代表的な遺跡須玖岡本遺跡を紹介する施設で
須玖岡本遺跡の王墓のジオラマや副葬品であるガラスの勾玉や小玉など、
また国内最大の青銅器工房を擁した須玖岡本遺跡らしく古代の青銅器づくりのジオラマ
等が展示されていた。
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墳丘墓の剥ぎ取り土層の展示なども・・・
本館の周りは春日市奴国の丘歴史公園として整備されている。

またここには実際に発掘された甕棺墓や住居跡を保護しつつ展示する覆屋が二つ点在。
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中はなかなかリアルな発掘跡が・・・こちらはかなりの迫力である
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またこの公園には王墓の上に置かれていたといわれる重さ4トンの大石も展示されていた。
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この上石が覆っていた須玖岡本遺跡の王墓は、2000年前ぐらいのものだそうで、いわゆる金印が漢から授与された奴国の王様より50年から60年ぐらい前の人とのこと。
1899年地元の人が家を建てるためにこの石をどけたところ、石の下から甕棺墓と青銅器などが見つかり、鏡が30面前後、武器が10本程度、勾玉などの玉類など豪華な品が収められていたとのことだ。

それにしても肝心の金印がこの場所からはるか離れた志賀島で見つかったのはいかなる理由からなのか?

それから、魏志倭人伝によれば、伊都国はたったの千戸、奴国の規模はその20倍の2万戸のはずだが、見つかっている副葬品ヵらは伊都国の方が豪華のように思えるのはなぜだろう??

という風に、魏志倭人伝の国々を巡る旅はいろいろな新しい発見と疑問を味わえる楽しい経験であった。ぜひ今後も時々魏志倭人伝の記述の後を追って九州を旅したいと思った。


このあとイザナギ、イザナミを祀る岡本村の鎮守熊野神社にお参りして
初めて訪ねた奴国を後にしたのであった。
山鹿の装飾古墳や江田船山古墳と玉三郎を楽しむという充実したスケジュールだった11月3日に続き、宿を福岡に移しての4日も充実していた。

この日は魏志倭人伝で言えば伊都国と奴国への旅。
まず、午前中は伊都国への旅である。
博多から福岡市営地下鉄空港線とこれが乗り入れているJR筑肥線で波多江駅まで
そこからはタクシーで伊都国歴史博物館へ。
ずいぶん立派な博物館だが、最近建て替えられたらしく、
館内の廊下にはこんなあそびごころのあるディスプレイが・・・
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この博物館では、伊都国の王墓といわれる平原遺跡出土の日本最大の銅鏡(内行花文鏡直径i46.5センチ)をはじめ多数の国宝鏡が展示してある。この最大の銅鏡は1枚ではなく5枚あるそうで、そのうちの1枚は東京国立博物館に行っているとのこと。

この平原王墓は、この地域に3つあるとされる王墓のうち最も新しいものであるが、それでも古墳より前の形態の墓である方形周溝墓に分類されている。
他施設に貸し出したりしているものを除きこの平原王墓で出土した40面の鏡の大半がこの博物館に展示されているようであった。

平原王墓は鏡のみならず、青いガラス勾玉(これも国宝)、メノウ勾玉など色鮮やかな装身具が副葬品となっており、特に被葬者は女性といわれているそうだ。
これらの副葬品も展示されてじっくり見ることができた。

この博物館には、平原遺跡に先立つ王墓である三雲南小路王墓、井原鑓溝王墓などの紹介と出土品の展示も行われている。特に三雲南小路王墓は銅鏡が57枚も出土したとされ、江戸時代にすでに発見されていたとのこと、この博物館には巨大な甕棺なども展示されている。

4階に行くと糸島の風景が一望できる展望スペースもありゆったり休憩できる椅子もあって快適だ。
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上の写真は4階からの風景であるが
これを見てもこの地区が低い山に囲まれつつ肥沃な広々した田園地帯を擁する場所であったことがわかる。

ついでながら訪問した4日の時点で
「古代出雲と伊都国」という特別展示も行われており、
ここには大量の埋納された銅剣が出土荒神谷遺跡や同じく多くの銅鐸が出土した加茂岩倉遺跡の出土品の一部が展示されていて、思いもかけず出雲の有名な遺跡の国宝出土品をここ九州で見ることができたのは幸いだった。古代の伊都国と出雲の関係についての展示もなされていて、複数埋納の遺跡は伊都国にもあることがわかり興味深かった。

隣接するファームパーク伊都国という施設で昼食をとったあとは伊都国散策マップに従い近隣の遺跡を訪ねることとした。

まず三雲南小路遺跡。前述の王墓を擁する遺跡だが、次代の井原鑓溝王墓を擁する集落と合わせ、三雲井原遺跡と称され、その面積は40.5haと、吉野ケ里遺跡をはるかに超える巨大な遺跡となっている。
行ってみると大半は民家や田畑になっており、一部発掘の跡がわかるように整備されて看板が立っていた。
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その後伊都国の末裔の古墳と思われ立派な家型埴輪が出土した銭瓶塚古墳、同じく円筒埴輪出土のワレ塚古墳などを横目で見ながら平原遺跡に到着した。


ここは歴史公園として整備されているようだ。
遺跡をうたった句碑もなかなかなたたずまい。

王墓自体は比較的小ぶりである。
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この地域には上記弥生時代の豊富な遺跡のほかにも、立派な古墳や古代山城である怡土城、古代官道の遺跡などもあり、本当は時間をかけて回ってみたいところであったが、
今回は初の訪問でもあり、次回を期して次の目的地須玖岡本遺跡に向かった。