インド結婚式②

いよいよ結婚式当日です。

昨日から準備されていたらしく、海(インド洋)に面した庭にいくつもテントが張られています。

 

始めの準備は、男性の参列者にターバンがまかれます。二人の職人さん?が手際よく子供から大人までターバンを巻いてくれます。初体験の人が多いらしく、みなさん照れくさそうにニコニコしていました。
女性は、インドの方に限らずサリーを着ている人がほとんどです。キラキラの太陽のもとみなさんキラキラのいでたちです。

    
 
 

新郎の登場は、太鼓の音で始まりました。白いオープンカーに乗った新郎の前を太鼓のリズムに合わせて参列者たちが踊りながら進みます。

 

   
 

新郎は車を降りた後、アーケードをくぐり一段と高いところに設置された中央のテントに座ります。
その後新婦が家族に付き添われて 花で敷き詰められた絨毯の上をしずしずと登場し 中央のテントに並んですわり、儀式が始まりました。

 


儀式は、サンスクリット語とか、お経みたいな言葉で進められ何を言っているのか全く分かりませんでしたが、家族や夫婦の契り 健康と幸せを願うもののようでした。多分??

中央のテントで行われている儀式を見上げながら参列者たちは、勝手におしゃべりしたり、食べ物をつまんだり飲み物を飲んだりしながら見守ります。何しろ長いのです。2時間ぐらい儀式が続きました。
中央テントの周りには、プロのカメラマンと思われる人が何人もいて なかなか写真も撮れないし、式そのものもその人たちが邪魔で、よく見えなくて・・・・・

とにかく 新郎新婦はどこかの国の王子さまとお姫様のようでした。素敵なまるで映画の中の結婚式のようでした。
花嫁のお母さんと花嫁は、涙 涙でどこの国の結婚式の光景も同じものがありますね。

 
 
   
  
この後 昼食会になり、夜の部までしばし休憩となります。

 

夜の部です。
 
  
 
 今度は、場所を少し移動して、やはり海に面した野外で生バンドが演奏する中始まりました。
今度は、インド式からアメリカ版に変わった感じです。
インドとアメリカの合作の結婚式なのでなかなか大変です。
新郎新婦の双方のご両親への感謝の言葉から始まり、たぶん???後は、みんなが、ダンスとおしゃべりを楽しむ時間となりました。

        
 
 日本語だけが得意な私たち夫婦には、ちょっと大変な時間でしたが、フレンドリーなアメリカ人とインド人に助けられ 楽しく過ごすことができました。

    
 
不思議な縁でインドの結婚式に出席でき 貴重な経験をしました。

インドの結婚式は、1週間くらいかかるのが当たり前で、1か月の長期に渡るものもあるそうです。
結婚式は花嫁方の父親が費用を負担するのが習わしだそうで、3人も娘がいると破産しかねないそうです。
そのことが納得できる豪華な結婚式でした。

ただ一つ 馴染めなかったのは、時間通りに始まらず延々と待たなければならず 始まるといつ終わるか分からなかったことです。司会者が、見当たらないのです。
時間通りに動くことが、習い性になっている日本人であることを感じさせられました。
インドでは、時間の過ごし方が、違うんだなあ~ 

とても良かったことは、ツアーではなかったので 現地の人にじかに会う機会が多かったことです。
そして、インドの人の好さというか 人なつこい暖かさに触れられたことも心に残りました。

でも なにより行って良かったことは、 新郎新婦の幸せそうな笑顔。いつまでもお幸せに


心配した 迷子にも腰痛にも食中毒にもならず無事帰れ バンザーイ
                                                                                                                             THE END

 



インド結婚式 ①
2015.11.19~25

 

 

 

 
不思議な縁でインドの方と親類になることになり、その結婚式に招待されました。
インド=佛教・カレー・ガンジーほどしか知識がなかったので 改めてインドに興味を持つきっかけにもなりました。

インドをほんの少し勉強しました。 インドの歴史は古く、紀元前2500年頃のインダス文明にさかのぼり、仏教、ジャイナ教、ヒンドゥー教、の発祥地。1858年から始まる大英帝国の植民地支配からながい独立運動の末1947年に独立を果たした。人口12億1000万人、有権者数約8億人をもつ世界最大の民主主義国だそうです。面積は、南アジア随一。多様な民族、言語、宗教によって構成されています。
カースト制度による差別は、憲法で禁止されているものの農村部では現在も影響が残っているそうです。
 


 インドの結婚式への期待だけで行くことに決めたもののやはり 遠い国でした。開催地がゴアというところで、羽田➡香港➡ムンバイ➡ゴアと2回も(香港、ムンバイ)乗り継ぎやっとゴアのホテルに着いたのは、家を出てから約1日後でした。乗り継ぎにそれぞれ5時間ほどかかったのです。ムンバイで息子家族に合流するまで 日本語だけが得意な夫と二人 飛行機が遅延や欠航にならず無事にムンバイに着くことだけを念じての旅立ちでした。



幸いゴアに無事に着きました。ゴア州は、インドで最も裕福な州の一つだそうです。インド西海岸中部にあり、ポルトガルの支配が長く1961年にやっと植民地支配が終結したそうです。聖フランシスコ・ザビエルの墓がある修道院などポルトガル時代のキリスト教建築が、ユネスコの世界遺産に登録されているそうです。現在は、リゾート地として有名だそうです。

とはいうものの空港からホテルまでの約1時間の道のりで見た街並みは、カンボジャに似た風景でした。道は舗装されているものの広いとはいえず、埃っぽく 間口の狭い商店が並んでいるというものでした。道にはのんびり牛が歩いているのもたびたび見かけました。
しかし、セキュリティーの厳しいホテルの敷地に入ると景色は一変。高級リゾートさながらの広い敷地にかわいいペンション風の建物が点在していました。ここの国の格差を見せつけられた感がありました。

前段が長くなりましたが、いよいよ結婚式の話に入ります。

まず、着いた日の夜は、花嫁のメヘンディを見学しました。
メヘンディとは、「ヘナで肌に模様を描く」という意味のヒンディー語だそうです。ヘナタトゥー・とかヘナアートとか呼ばれることもあるそうです。
メヘンディを描くために必要な植物ヘナは、幸運の女神ラクシュミーが最も愛する植物と言われていて 祭りごとやめでたいことがあると女性たちは必ずメヘンディを施すそうです。特に結婚式には欠かせないもので結婚式前夜はメヘンディ・ラート(メヘンディの夜)と呼ばれるそうです。
花嫁の手足にびっしりとメヘンディが描かれ「メヘンディの色が濃く出るとほど、花嫁は幸せになれる。嫁ぎ先で大切にされる」と信じられているそうです。
邪悪なものから身を守る力、幸運を呼ぶ力があると信じられているそうです。
職人?の人が、下書きもなしに精巧な模様をあっという間に描いていきました。


次ぎの日の夜 今度は参列者の女性もメヘンディをすることになり、私もやってもらいました。
①まずヘナペーストを使って肌に模様を描きます。
②次にペーストを乾かします。本当はゆっくり乾かす方が色づきがいいそうですが、私たちはドライヤーで乾かしたり空気中で手を振ったりと・・・・
③乾いたところで、ペーストをはがします。指やへらでこするとぽろぽろと落とすことができました。
④チョコレート色のヘナペーストでしたが、落ちるとオレンジ色でした。時間がたつと茶色に変化し、1~2週間で消えるそうです。
  

 
  
  
 
3日目 いよいよ結婚式前夜です。ターメリック・セレモニーがまず行われました。
ターメリックは、ウコンでウコンには浄化作用があると考え、新たな人生の門出にウコンの力を借りるというものだそうです。

  
 
まず、長老?と思われる人が、外で火で新郎新婦を清め部屋の中に導きます。
その後部屋の中で長老や参列者が、ウコンのペースト状のものを 新郎と新婦の足、手、腕、顔などに葉っぱで塗っていきいきます。

 

 

また参列者の女性は、花嫁と同じ香りのよい花の髪飾りやキラキラのたくさんの腕輪(結婚式が終了するまで取らないそうです)などの飾りをつけてもらいます。

   
 
これで今夜の儀式は終了でした。

そのあとはプールサイドでの食事とダンスパーティーです。

  
 
 
とにかく インドの結婚式は音楽が鳴り響くのが普通だそうで、延々と終わらないのも・・・・
老若男女が踊りまくります。


深夜近くになって 前夜祭は終了。

明日は、いよいよ結婚式です。

タスマニア  観光とハイキングの旅 ⑥


クレイドルマウンテン最後の日がやってきました。今日7日目は、ロッジの裏山のキングビリー・トラックを約1時間散策します。



ここは、冷温帯の降雨林 レインフォレストの進んだ森で、低木は少なく瘤の無数についた常緑南極ブナ(マートル・ビーチ)の老木と倒木が苔むした姿で存在する倒木更新の世界でした。


瘤がたくさんついたマートル・ビーチ





倒木更新とは、主に針葉樹林やブナなどに多く見られるそうです。周囲に多くの木が生育している所では下草などによって新芽は太陽光を浴びられずにうまく生育する事ができません。また暗色雪腐病菌によって死滅する事も多いそうです。倒木の上に芽を出す事によって日照不足を緩和できたり倒木自身が養分の供給元となったりします。更にその表面に生えたコケが、湿度を保ちます。こうして養水分の役割を終えた古木は朽ちてなくなり、あとには「根上がり」というその礎とした木の形に地面から浮き上がった根が残るそうです。


更に奥に進むと、ゴンドワナ起源のもう一つの植物キングビリー・パインが出現します。キングビリー・パインはタスマニアでも雨の多い西部の標高の高いところにしか生き残っていないと言われています。杉の仲間で腐りにくい性質を持っています。ダブ湖のボート小屋や、グスタフ・ウェインドルファー氏の山小屋などがこの木で造られているそうです。


キングビリー・パイン  樹齢1400年
   

ブッシュペッパー   チーズに入れるそうです

見納めのクレイドルマウンテン



ロッジの窓辺にワラビーが見送り?にきてくれました。たくさんの動物を間近に見られたロッジでしたが、早朝からの探索の甲斐なくカモノハシはその姿を見せてくれなかったのが心残りでした。

それでも 余りある満足を与えてくれたクレイドルマウンテンロッジに別れを告げ、ロンセストン→メルボルン→シドニー→成田の空路で帰国するためロンセストンに向いました。


途中わさびチーズが人気のチーズ工場やタスマニアンワインの産地になっているティマバレーのワイナリーに立ち寄りました。


 


ロンセストンでは、玄武岩の岩壁にかこまれた渓谷美が有名なカタラクト渓谷を散策しました。

シーオーク              オレンジのところが葉
 


夕食後は、予定にはなかったペンギンのツアーにオプションで出かけられる事になりました。ツアーガイドが、英語のみでしたので解説を聞くことは????でしたが、想定外の経験ができ私たちは大興奮(@_@)でした。




出あったのは、フェアリーペンギン(リトルペンギン)でした。

このペンギンは、オーストラリア南部やニュージーランドで繁殖し、ペンギンの中では最も小さい種類です。体長約40cm 体重1kg。

タスマニア島周辺に11万から19万のペンギンのつがいが生息し、その5%がタスマニア島内部に巣を作っているそうです。

海岸近くの草むらや藪の下に60cm~80cmのトンネルを横に掘ります。明け方海に出て日没後に巣に帰ります。食性は動物食で魚類やイカなどを主食とします。寿命は平均6年位だそうです。

他のペンギンと違って直立で歩行しないでやや前傾姿勢で歩く事から最も原始的な種類のペンギンと考えられているそうです。

とにかく かわいいの一言でした。




翌日8日目は、帰国の日です。

飛行機の時間まで(15時)自由行動の日でした。ロンセストンの街をのんびり歩き 買い物をしたり、お昼を食べたり、昨日行ったカタラクト渓谷の反対側の道を歩いたりして楽しみました。






タスマニア 始めは名前さえも知らなかったところでしたが、すばらしいところでした。こんなに安全で過ごしやすく 自然に対峙できるとは思ってもいませんでした。天候にも恵まれました。こんな機会をあたえてくれたすべてに感謝です。


 

感謝しつつ 9日目早朝 成田に無事に着き、9日間のタスマニアの旅を終えることができました。 

     (^_^)v