野村克也様
ご無沙汰しています。最後にお会いしたのはいつでしたでしょうか。楽天の監督を終えられた後も、イベント等でお話をしたことがあるので、10年は経ってはいないと思いますが、年賀状を送るだけで、ご挨拶にも伺えずすいませんでした。やれる努力は今やっておかないと後悔するぞと言われているようで、冬の寒さよりも身に沁みます。
みなさんは「監督、監督」と呼ばれるのですが、自分はなぜか周囲の人と話す時には「野村さん」と言うようにしていました(もちろん球場内や野球関係者の時には監督と言っていましたが)。誰に何を言われたのでもなく、かといって馴れ馴れしくしたいわけでもなく。ただ、なんとなく「監督」という肩書や、「ノムさん」という愛称で語るのが、どうにもしっくり来なかったもので…。だから、悲しい一報を聞いた時にも、妻には「野村さんが亡くなった」と言いました。
前職時代、決して長くはなかった野球記者人生において、超濃密な2年間を楽天担当、すなわち「ボヤキを聞く係」のうちの一人として過ごしました。久米島のキャンプで夜な夜なお茶会のような会があり、試合前のベンチでも、1時間以上はみんなでお話をしたでしょうか。もちろん、お話の内容も大変楽しかったのですが、ベンチにいらっしゃってから最初に口を開かれるまでのあの数分間、最初に誰が切り出すか、みたいなのは当時の番記者たちが横目でサインを送っていたような覚えがあります。ご機嫌がいいのか、悪いのか。野球の話か、雑談か。そして時折やってくる来客が、名刺交換をしようとする際、全員で止めようとするあの間合い(ゲン担ぎで試合前に名刺交換されるのがお嫌いでしたからね)。もう10年以上経つというように、鮮明に覚えているものです。
今朝のスポーツ紙を見渡すと、現役時代から監督時代まで、数多くの番記者の方々が、当時の思い出をつづっていらっしゃいました。ヘルメットもせず、素手でバットを握られていた現役時代のことは、映像の記憶としてはあまり存じ上げないのですが、とんでもない選手であることがよくわかりました。ヤクルト監督時代は、自分がお会いした楽天担当時代よりもさらに眼光鋭いというか、簡単に言えば恐いというか、そんな風だったと先輩記者から聞いたことがあります。その時に担当記者をしていたら、メッタメタに怒られて、今こんな風に思い出をしたためる心境にならなかったかもしれないですね(笑)
楽天監督時代、自分にもいくつか大きな思い出があります。妻と出会って、結婚して、みたいなことも大きなイベントではあるのですが、今日は野球の話だけにしておきます。まだ野球記者として2年目か3年目かという自分が、試合後の囲み取材で「打順って変えないんですか?」みたいなことを質問したことがあります。当時、4番で活躍されていた山崎武司さんがスランプだったので、自分としては素朴な疑問として聞いてみたつもりでしたが「何番にするんだ」と聞き返されたので、おそらく6番とか7番とか答えました。すると翌日の試合で、本当に打順が変わっていました。そして、試合は負けました。恒例の試合後の囲みで「ある記者がそんなこと言うからやってみたけど失敗だった」とボヤいてましたね。まさか採用されるとも思っていなかった驚きと、みんなの前で「失敗だった」と言われた悔しさみたいなものと、なんだかいろいろ混じっていました。
翌日、とあるコーチから打順変更の件で「おまえ、よくそんなこと言ったな」と笑われました。ただ、単に笑っていたのではなく「あの監督に、よく言えたもんだな」とうっすら感心されもしていたようです(勘違いだったらどうしよう…)。野球界において絶対的な存在である人に、駆け出し記者が打順の変更について聞き、それが監督・コーチ会議で話題になり、実現する。なるほど、記者っていうのは人の話を聞くだけじゃなくて、質問するのも大事な仕事なんだな、質問するにも勉強しないといけないんだな、と痛感する出来事でした。
楽天監督最終年。クライマックスシリーズで敗退し、楽天・日本ハムの選手から胴上げをされているシーンを見て、思わずこみ上げるものがありました。正直、記者というものは、あんまりそういった感傷に浸ってはいけないと思ってきたので、ほとんど人には言ってなかったんですけど、とりあえず周りにはバレてなかったみたいでよかったです。さらに言うと、もし10年野球記者をやっていたとしても、なかなか立ち会える場面ではないという確信はあったので、結構満足しちゃったというところもありました。異動になったのは、半年後のことです。とにかく野球記者という職にこだわっていれば、今はまるで違う人生を送っていたかもしれないでと考えると、自分にとっても大きな節目になりました。
書き連ねたいことは、もっとたくさんあるんです。普段はボヤキなのに、たまたま練習日に声を張り上げたその声量がとんでもなく大きくて「あ、やっぱりキャッチャーだったんだ」と思ったこと、めちゃくちゃ密着していたわけでもないけれど、球団職員の方や他社の番記者から「小松さん、なんか監督に好かれてますよね」と言われてうれしかったこと。たくさん思い出はあるのですが、それをずっと書いていると今の業務に支障をきたすので、今日のところはこのへんにしておこうと思います。
そういえば、自分の結婚の際にいただいたお葉書、大切にしまってあったのですが、昨日からリビングのよく見えるところに置き直しました。お名前の欄には、当時の所属球団である「楽天イーグルス」の文字はありましたが、「監督」の文字はありません。だから、これからも自分の中では「野村さん」で通したいと思います。気に入らなかったら、奥様に「こんな失礼な元記者がいてな」とボヤいてください。本当にお世話になりました。



