こんにちは。狐ぽた(こんぽた)です。

 

今日は自分を底辺に落とし込まれた話しを書きます。

 

えっこれ1回目じゃん!!って思うけど

正直ブログは「自分の考え」を表現する場所だから、こういうスタートもいいかもねっ。

 

で、本題

 

自分仕事をうつで辞めさせられてうつ治療していろいろしてたとき、

デイケア(精神病患者が社会に復帰できるように慣れるコミュニティの場)に通ってたら、

ある人に出会いました。 

今はこれが最初の底辺に堕ちたきっかけだったんだなって思いました。

 

そのデイケアは後に思ったのですが、結論から言うと

 

レベルが(ガチで)低い人間

 

の温床・巣窟になってました(^^;;;

理由は病院の機材は私物化、何してもスタッフは怒らない。というかそもそもルールが存在しない。

調理器具は平気で使うし、私物の食材を病院で調理する(といってもインスタント麺ですが…)

横暴な態度、振る舞いもひどすぎるメンバーの制裁もない…

しまいには暴力や暴言しても出禁にならない。

それを解決するルールはなかまで学び合って作るらしいです(呆れましたがw)。

まさに無法地帯なデイケアだったのです。

普通これ、モラルの低下以前に、出禁レベルですよね…

 

で、話を戻します。

その人は思想が素晴らしく、

「降りていく気持ち」「仲間と今の現状を研究しよう(当事者研究)」「人の役に立ちたい」

と様々なことを言ってましたが、前述の通り

レベルの低い人間が増産されたデイケアでは

 

それがまかり通るのかぁ…

 

って思いました。

順を追って説明すると

「降りていく気持ち」とはべてるの家用語で、昇る考え方の反対語(対義語)で使った言葉。

つまり、「社会・ものごと、地位、立場、名誉、苦難や苦労から逃げる」って意味なんですね。

私もうつがひどいとき、それは気持ちが楽でいいなーって正直思いました。が、

今は「は?」ってなるレベルでべてるの家の思想が嫌いです。

 

当事者研究とは、べてるの家に関係ある向谷地生良先生が提唱したものであり、

自分の困りごと、苦労の「研究」を他者にさらして更に研究するものだそうで

(詳しくはwikiでお願いします)

正しい使い方はSST(ソーシャルスキルトレーニング(認知行動療法))

に若干似てるのだそう。ですが、

君のその困りごと「面白いね!」、何が自分で起こってるのか「研究」したらもっと

面白いよー!っていう、意味不明な認知行動療法w

 

失敗から学ぶって意味かもしれませんが、この考えすごく危険な気がして…

研究ってことは前進せず、ただただ弱みを相手に晒す…

要は「まな板の鯉」になるものです。

 

(頭湧いてるんじゃないかな?この研究)

 

SSTと違うのは

SSTは問題解決に対し、当事者研究は問題共有。

つまり当事者研究は弱い人が更に弱い人を簡単に見つけられるんですよね。

だから、弱い人を助けた「つもり」になれる。それが愉悦感を生んで

自分を変えようとしない。だから何時まで経っても

 

社会に貢献は愚か、自分のことで堂々巡りする…

 

そんな人が

 

「世のため人のために役に立ちたい」

 

って思うのか…

 

はぁ…

 

って感心しました。

そっか…こいつレベル低いんやぁ…って。

病気云々じゃないんですよね。

もうそこの施設の問題で、その施設が居心地が良いと感じただけでもう

レベルの低い人間なんですよね…

 

この前、デイケア室でみんなの前で怒鳴って帰りましたwwwww

すっきりしたw   

 

 

まぁ次のブログで自分の思いを綴りますw

この話長くなりそうw

ではまたー

 

狐ぽた

 

(読み返したら結構支離滅裂だったなんて言えないw)

続く!