先人たちの大和魂

先人たちの大和魂

民族派保守・老害の何でも戯言

大切なるお若く命を散らした先人たちが、現在の日本を憂いている!
正しさを教育するのが、後の世代に生かされている我々や後世への責任です。

 

 

 未だ体調を崩し、中々書き込み出来ません。

 医師からは安静(自宅療養)にして、キチンと薬を服用して下さいと言われていますので、ブログに参加するのは不安定だと思いますが、御理解御諒承下さいm(__)m

 

 地久節(ちきゅうせつ)は、皇后陛下の誕生日を祝う日。

 「地久」は老子の「天長地久」より採られている。

 皇后誕生日(こうごうたんじょうび)ともいう。

 令和時代における日付は、今上天皇の后雅子様の誕生日にあたる「12月9日」である(2019年〈令和元年〉)より。

 

 天長節(天皇誕生日)と異なり、皇室祭祀令に基づく宮中祭祀や、休日法の定める国民の祝日ではないが、男女別学が主流だった戦前期の女子校などにおいて、天長節に準じた扱いで祝賀の儀式が行われることがあった。

 

 1930年(昭和5年)12月23日、大日本連合婦人会が結成されると、皇太后(貞明皇后)の女官長を辞職したばかりの島津ハルが理事に就任した。

 島津ハルは島津長丸男爵夫人で、香淳皇后の縁者でもあった。

 同会は、当時の地久節(香淳皇后の誕生日である3月6日)を母の日に定めた。

 しかし、母の日は連合国軍占領下の日本の1949年(昭和24年)頃からアメリカ合衆国に倣って「5月第2日曜日」に変更されている。

 1948年(昭和23年)7月20日に施行された国民の祝日に関する法律が「天長節」ではなく「天皇誕生日」の名称を用いたことを受けて、「地久節」も「皇后誕生日」の名称を用いることが一般的になっている。

 

 ただ本年は【昭和100年】【大東亜戦争戦後80年】という事で、色々書きましたが、来年度からは新しく書き込む事は致しません。

 皆さんはアメリカにムチャクチャされた日本の歴史や文化・伝統を守る事に、頑張って頂きたいと、大和民族・日本国籍者・愛国者・個人的に思っています。

 日本を大切に思っている方々は、覚醒(目覚めて)して下さい!

 米国を含め、世界各国から日本を守りましょう!

 皆様お願い申し上げます<(_ _)>

 

 一ケ月以上前ですが、うちの國士塾 片山総隊長に届いた「解散届」です。

 俺自身は、お付き合いのない団体ではありませんが、紀元節に橿原神宮でよくが街宣車を見掛けましたので残念です。

 沢山の会員がいるにも関わらず、解散する団体もあれば、自称・政治団体と言われるのが嫌で、夫婦で代表者と会計責任者で選管に登録して、政治団体「政治結社」を設立する人もいます。
 内部事情は想像もできないですが、団体でも色々です。

 

 

【皇紀2685年】

【昭和100年】
【西暦2025年】

【大東亜戦争 敗戦80年】

【令和7年】

 國士塾(昭和40年)初代代表 山内英次により設立、

 

 

 

【御報告】
 黒田が九月一日付けを以て、政治結社 國士塾を破門処分となりました。

 また本日、國士塾総本部の事務所も旧 大阪市事務局に戻し、移転致しました。

 日頃はあの温厚な臼倉代表が「破門状」って、余程ムカついてんやろな。
 俺にも代表の気持ちは十分わかる!

 

 戦争犯罪!
 米国政府は日本国に謝罪せよ!

 

 

 広島市への原子爆弾投下は、第二次世界大戦(大東亜戦争)末期の1945年昭和20年8月6日(月曜日)、日本時間午前8時15分、連合国のアメリカ合衆国が、枢軸国の日本の広島県広島市に対して原子爆弾リトルボーイ」を実戦で使用した出来事である。
  B-29戦略爆撃機エノラ・ゲイより投下されたガンバレル型ウラン原爆(通称“広島型原爆”)「リトルボーイ」は、実戦で初めて使用された原子爆弾である。
 都市に対する核攻撃としても史上初である




 爆心地は、島病院上空。
 原爆による放射線高熱爆風それらによって発生した火災により広島市は壊滅した
 当時の人口は推定34~35万人このうち約9万〜16万6000人が被爆から2〜4か月以内に死亡したとされる

 


 日本軍の第59軍司令部も壊滅した
 また原爆投下後の入市被爆者も含め約56万人が被爆したとされる
 さらにわずか3日後の1945年8月9日には長崎市へも原子爆弾が投下された

 




 

→「日本への原子爆弾投下」および「長崎市への原子爆弾投下」も
広島県、広島市などを指す「広島」が「ヒロシマ」と片仮名表記される場合は、広島市への原子爆弾投下に関する言及である場合が多い

 

日本も核武装を急げ!

 


【LIVE】戦後80年 広島「原爆の日」平和記念式典(2025年8月6日午前8時~)| TBS NEWS DIG


【戦後80年】広島・長﨑の原爆投下前…模擬原爆「パンプキン」投下で多くの犠牲が出た記憶をつなぐ(静岡・島田市)

 

 

 

昭和100年

 

【「ミッドウェー海戦」での敗因は、攻略目的が「島」から「空母」になってしまったことにある】

 

 

【ミッドウェー海戦】
 1942年6月5日から6月7日にかけて中部太平洋ミッドウェー島周辺で行われた日本海軍とアメリカ海軍による海戦である。

 大東亜戦争の転換点と言われこの戦闘における敗北によって日本側は制空権と制海権を失い以後は戦争の主導権がアメリカ側に移ったことで知られている



 

 1942年4月、山本五十六司令長官率いる連合艦隊が中心となり、アメリカ軍の基地となっていたハワイ諸島北西のミッドウェー島を攻略し、アメリカ艦隊の早期壊滅を目指す作戦が立案される。
 それに対し、日本側の暗号を解読することによって作戦を察知したアメリカ軍のチェスター・ニミッツ司令官はハワイから空母部隊を出撃させて迎撃した。
 それぞれの主力は、日本側が南雲忠一司令官率いる第一航空艦隊の空母4隻(艦載機248機)、アメリカ側はフランク・J・フレッチャーとレイモンド・スプルーアンスの両司令官率いる機動部隊の空母3隻(艦載機233機)とミッドウェー島基地の航空部隊(126機)であった(航空機総数359機)。

 航空兵力で100機以上劣勢の日本空母部隊は、索敵の失敗もあって攻撃準備中にアメリカ軍急降下爆撃機の急襲を受けることとなり、壊滅的な損害を被った。

 日本軍は空母全4隻と重巡洋艦1隻を失い、艦載機248機も全て喪失し、3,000人を超える兵士が戦死した。

 勝利したアメリカ軍も、空母1隻と駆逐艦1隻を撃沈され、航空機約150機を失ったが、戦死は307人だった。
 ただし、日本の航空機搭乗員は多くが脱出に成功したので戦死者は121名にとどまり、200名を超える搭乗員が戦死したアメリカ軍を下回った。

 



 この戦い以後、大東亜戦争の主戦場はソロモン諸島とその周辺に移り、再編された日本機動部隊とアメリカ軍の間で激戦が繰り広げられることになる。

 

 

 

天安門事件36年台湾総統と米国務長官が犠牲者を追悼

中国は反発

 

 中国軍が学生らの民主化運動を武力弾圧した天安門事件から4日で36年を迎えた。

 台湾の頼清徳総統はフェイスブックへの投稿で、運動に参加した人々の勇気を称えるとともに、人権は世代や境界を越えて台湾や他の民主社会が共有する概念だと述べた。 

 「6月4日の天安門事件を記念することは、歴史を悼むだけでなく、この記憶を永続させることでもある」と指摘。

 「権威主義的な政府はしばしば歴史を沈黙させ、忘れることを選ぶが、民主的な社会は真実を守り、人権という理念に犠牲を払った人々を忘れることを拒否する」とした。

 

 その上で「われわれは歴史を忘れることを拒否するだけでなく、われわれの核となる価値観を日々実践していく」と宣言した。

  ルビオ米国務長官も3日、天安門事件で殺害された中国人の勇気を称賛。 

 「私たちは今日、基本的自由を行使しようとして殺害された中国人の勇気と、1989年6月4日の出来事に対する責任追及と正義を求める過程で迫害を受け続けている人々を記念する」と表明。 

 「中国共産党は積極的に事実を検閲しようとしているが、世界は決して忘れないだろう」と述べた。 

 

 

 中国外務省林剣報道官は4日の定例会見で、ルビオ氏の「誤った発言は歴史の事実を悪意を持って歪曲するものであり中国の内政への深刻な干渉だとし米国に苦情を申し立てたことを明らかにした

  同報道官は中国政府は1980年代後半に起きた政治的混乱について中国の特色ある社会主義の道こそが歴史と人民の選択であるという明確な結論にずっと以前に達している」と述べた。

 

 

<香港では厳重警備> 

 遺族の会「天安門の母」は今週、毎年恒例の声明を出し、事件で何が起きたのかを公に説明するよう中国政府に求めた。 

 また、2020年に香港国家安全維持法(国安法)が施行される前は大規模な追悼集会が開かれていた香港のビクトリア公園周辺では厳重な警備が敷かれた。 

 

 

 

 

 1941年12月7日、日本海軍航空隊はハワイ州ホノルルの真珠湾にある米国海軍基地に奇襲攻撃を仕掛けた。

 この無差別攻撃は怒りと不信感を招き、米国は翌日日本に宣戦布告し、第二次世界大戦に突入した。

 この出来事は毎年、真珠湾攻撃記念日として記念されているが、長年にわたり制作されたいくつもの映画やテレビ番組によって、この攻撃を今でも人々の心に留めている。

 

真珠湾

 1941年10月30日、ハワイ州ホノルルの真珠湾を南西方向から眺めたところである。

 中央にフォード島海軍航空基地があり、そのすぐ向こうの海峡を挟んで真珠湾海軍工廠が見える。

 左上中央の飛行場はアメリカ陸軍のヒッカム飛行場である。

 

使命を担ったパイロット

 ハワイに向けて出発する前に撮影された、厳しい表情の日本軍爆撃機パイロット達の集合写真。

 

攻撃開始

 日本の海軍航空機が、敵の攻撃部隊を構成する6隻の航空母艦のうちの1隻である航空母艦翔鶴から離陸する準備をしている。

 

ターゲット発見

 攻撃開始時に日本軍の飛行機から撮影された戦艦列の写真。

 中央の爆発は、USSウェストバージニアへの魚雷攻撃である。

 戦艦列は、日本軍が攻撃した時に港に停泊していた8隻のアメリカ戦艦の集まりだった。

 

USS ウェストバージニア

 USS ウェストバージニアは攻撃中に魚雷6発と爆弾2発によって沈没した。

 

USSアリゾナ

 USSアリゾナは数発の爆弾を受け、最後の爆弾は船の前部にある弾薬庫付近の装甲甲板を貫通した。

 大爆発により船内の構造物の大部分が破壊され、船は2日間燃え続けた。

 

USS ペンシルバニア

 攻撃の朝、USSペンシルバニアは修理のためドックに入っていた。

 駆逐艦ダウンズとカシンも同ドックに入っていた。

 3隻とも爆撃を受けて破壊された。

 

USSショー

 USSショーの前部弾薬庫の壮大な爆発は、この攻撃の最も象徴的な写真の一つとなった。

 驚くべきことに、この駆逐艦は被弾から数ヶ月以内に修理され、第二次世界大戦の残りの期間、太平洋で活躍した。

 

USS ネバダ

 USSネバダは真珠湾に迫る日本軍の爆撃機の第二波の主目標となった。

 USSネバダは被弾したが、座礁する前にフォード島の西側まで進むことができた。

 

地上施設が爆撃される

 日本軍また、発電所、乾ドック、造船所、設備施設、燃料および魚雷貯蔵施設などの重要な基地施設も標的にした。

 航空基地も攻撃された。

 この航空写真には、爆撃後に燃えるウィーラー飛行場が写っている。

 

飛行場が使用不能に

 攻撃を受けた後のフォード島飛行場の残骸である。

 

限定的な対応

 米軍の航空機乗組員数名は離陸し、日本軍と交戦することができた。

 写真は撃墜された後粉々になった日本軍の戦闘機である

 

真珠湾攻撃で壊滅

 日本軍の攻撃の激しさと正確さにより、港には数十隻の米海軍艦艇の残骸が散らばっていた。

 

戦艦の墓場

 真珠湾攻撃の3日後、フォード島南側の戦艦列の係留場所を上空から撮影。

 そこにいた8隻の米海軍戦艦の全てが損傷し、4隻が沈没。

 アリゾナを除く全艦が後に引き上げられた。

 この攻撃で、他の多くの艦艇も攻撃を受け、沈没した。

 

民間人の犠牲者

 この攻撃では軍人の死傷者の他に、爆撃を受けたヒックマン飛行場に出勤した消防士を含む68人以上の民間人が死亡し、その他多くの負傷者も出た。

 

死亡者数が多い

 攻撃は開始から90分後に終了した。

 死者数は驚異的だった。

 水兵2008人が死亡、その他710人が負傷。

 陸軍および空軍兵218人が死亡、364人が負傷。

 海兵隊109人が死亡、69人が負傷。

 皮肉なことに、攻撃発生時には戦争状態ではなかったため、攻撃中に死亡または負傷したアメリカ人は全員、法的には非戦闘員だった。

 

USSアリゾナ記念碑

 USSアリゾナ記念館は、戦艦の爆発で亡くなった水兵と海兵隊員たちの永遠の地である。

 

真珠湾記念日

 年間200万人以上が訪れるこの戦艦の残骸は、1985年に固定歴史建造物に指定された。

 2004年に撮影されたこの写真は、生存者が記念碑の壁に刻まれた死者の名前を見つめている様子である。

 

 出典: (History)

 

 日露戦争中の1905年(明治38年)5月27日から5月28日にかけて、大日本帝国海軍の連合艦隊とロシア帝国海軍が極東へ送った第2・第3太平洋艦隊によって日本海で行われた海戦である。

 



 主力決戦は対馬東方沖海域で行われた。
 日本以外の国々では、この海戦を対馬沖海戦と呼ぶ。

 ウラジオストク港を目指し対馬海峡を突破しようとしたバルチック艦隊を連合艦隊が阻止邀撃する形となり、バルチック艦隊は艦艇のほぼ全てを損失した一方で、連合艦隊の被害は小艦艇数隻のみの喪失に留まり、連合艦隊は海戦史上稀に見る勝利を収めた。

 


 海戦の背景・遠因は朝鮮半島周辺の制海権を争ったことにある。

 海戦の結果、ロシアは戦争の形勢逆転の最後の手段も無くなり、拒否していた日本との講和交渉を受け入れることとなった。

 

 

日本海海戦 世界史上類のない完全勝利!【日露戦争】】