專門馬鹿でなければ、ただの馬鹿」、固有名詞は忘れたが、たしか學生運動が荒れ狂ふ時代に僕の出た大學(北大です)の數學科の先輩が言つた言葉である。


駄目な企業といふのは、企業文化を見ればすぐ分る。専門家が正當に評價されない。ゼネラリストに對する幻想を抱いてゐるのである。ただ、そんな人材が本當にゐるのか?


僕は大企業で管理職をしてゐたときに、この手のゼネラリストの企業人の教養の無さに驚いた事がある。といふか、教養に溢れた企業人に會つた事がない。


日本のゼネラリストの多くは、専門知識が無いだけではなく根本的に教養が闕如してゐる(話すとすぐ分る、語彙は少ないし歴史や宗教にも無知だ)


これならまだ、スペシヤリストと話した方が樂しい。彼らの多くも教養は無いが専門知識は豊富だ。この日本の大組織に能く見られるゼネラレスト幻想は、儒教の思想の影響を受けたものだらう。


孔子は「君子は多からんや」と言つた。若い頃に生活の爲に身につけた樣々な技能を恥じたのである。管理職(君子)には不要の知識に想へたらしい。


鄙事に多能だつたからこそ孔子は思想家としての深みが得られたのだと、僕は想ふ。ただ、孔子の古代文化についての教養は、その殆どがこじつけである。


玄翁(ハンマア)を持つ者は、問題がみな釘に見えるさうだ。僕も問題にぶつかるとすぐ數學の知識かプログラミングで解決しようとする。ただし、玄翁を持たないからといつて問題を自由な視點で考へられる訣ではない。


面白い事に、昔の海軍軍人にはスペシヤリストである事よりもゼネラリストである事が求められた。船に乘つて諸國を歴訪し外交するからである。


だから軍艦の動かし方よりも文化的な會話をする能力の方が高く評價された。軍事知識が必要となる戰爭は希にしか起きない、軍艦には士官よりも詳しい専門家も澤山ゐる。


あと、陸軍の將軍は英語ではゼネラルと言ふ。軍事知識以外にも外交や軍政などの能力が必要とされるからだ。ゼネラル(一般)といふよりも、必要な専門知識の分野が増えるだけの事だ。


ただし、何度も言ふやうに日本のゼネラリストの企業人には此の種の教養も皆無である。本當にただの馬鹿なのだ。だから東亞細亞共同體とか支那人の大量移民受け入れとか言つたりする。


まあ、日本のゼネラリスト幻想は支那や朝鮮ほどひどくないのかも知れない。けれども僕は、スペシやリストが優遇される職場でしか働きたくない(僕の專門は數學と情報処理です)


日本では民主黨政權成立以降は、スペシヤリストの評價が低落した。鳩山と菅(どちらも理系)のせいである。ただし彼らが文系の出身でも、教養豊かな知識人に成れたとは想へないのだが。


御詫び 今週から新しい仕事が這入つた爲、平日はなかなか賦録を書く時間が確保できません。當分は土日にのみの更新しとなると想ひます。