こんにちは。
では早速。
名鉄三河線は現在でも存続している路線ですが、実は大浜口支線 新川口支線
そして碧南駅~吉良吉田駅間 猿投駅~西中金駅間が廃止されており、
さらに西中金駅~足助駅間は未成区間となっています。今回は、その中の猿投駅~西中金駅間
通称山線の西中金駅~三川広瀬駅間を探索してきました。山線は平成16年
2004年に廃止されたので、既に廃止から21年が経過しています。しかし、
今でも散策路などとして整備されており、駅舎や線路 踏切も残っています。
そのためたくさんの遺構を発見できました。是非とも見てみて下さい!
西中金駅の終点 西中金駅は西中金ふれあいステーションとなっており、
駐車場がここになっていました。ここから足助まで延伸する予定だったようですが、
実現せずに廃止されてしまいました・・・
レールは錆びていますが残ってはいます。
駅舎 木造です。実は登録有形文化財になっているので、当分は残りそうです。
駅名標 若干昔のものと違うように描かれている感じがしますが、廃止前も
このような駅名標だったのでしょうか。
道路側入り口 探索日はふれあいステーションは閉まっていました。
ベンチ 駅設備はとてもよく整備されており、まるで現役のようです。
ホーム側駅舎 こちらも風情がよく出ています。ちなみに軽トラ市が開かれることが
あるようで、看板が置かれていました。
ホームの向こうに会った看板 電線を架線していたとと思われる柱は奥の道に続いており、
奥にも線路があったようです。おそらく車庫が何かだと思いますが・・・
ちなみに、看板の設置主は名鉄と警察署です。
架線柱 今は用途がなくなり朽ち果ててきています。
用具箱 いくつか見かけましたがどれも南京錠がかかっていました。
踏切跡です。さすがに遮断機はありませんが、看板は残っています。
キロポスト?2分の1と読むのでしょうか・・・
架線されていたのは右側に見えます。やはり、右側にも線路が伸びていたのでしょう。
草も刈られており、歩きやすいです。
勾配表示 この辺は枕木も残っており、今でも架線しなおせば列車が走れそうです。
ここから山に入っていきます。柿の木などがあり、若干猪やクマが怖いです。
猪除けの扉が設置されています。ここからは自己責任です。
中は枕木も比較的残っており、往時の姿が思い出されます。
それでも中に入ると一気に暗くなります。
少し進むとすぐにトンネルが見えてきます。力石トンネルというそうです。
トンネルの近くは枯葉が特に溜まっていました。
看板です。力石トンネル 長さ約40mと書かれています
架線の跡が残っていました。
トンネル内部は立ち入り禁止なので、ここからは西中金駅の隣 三河広瀬駅からの探索となります。
駅舎 ここも文化財となっています。
駅舎内部 昭和59年に無人化されたようで、その時この窓口も閉鎖されたのでしょう。
地下鉄線連絡運賃表もあります。とはいえ料金は変わっているでしょうが・・・
名鉄三河線営業時の写真も貼られています。
探索日は何故か人が多く、あまりホームの写真は撮れませんでした。
ベンチです。こちらは屋根がついています。
駅名標です。こちらも国鉄様式となっています。
ここから西中金駅方面へと歩きます。
西中金方面へと歩くと、すぐに道を渡ります。その先がここです。
ちなみに、東広瀬小学校と廣斉寺に出られると書いてあります。とはいえ、
せいぜい1人くらいしか通っていませんでしたが・・・
ここからは少し森の中を通ります。
落石防止のために柵が作ってありました。木で落石を押さえています。
もしもこれが現役路線だったらだいぶヤバそうですが・・・
ここからはなんとなく幻想的で綺麗な廃線敷が続きます。
左右は竹が密集しており、まったく見渡せません。
架線柱です。コンクリートは古びて、色褪せています。
この先で踏切になります。
踏切です。踏切廃止のお知らせと車両通行禁止の看板があります。
廃止看板はともかく車両通行禁止の看板は完璧に色あせて白黒になっています。
ここから先にも道が続いていました。この奥にも集落があるので、そこに
続いているのでしょう。
ここで町に出ます。この辺りは砂利が敷かれて整備されています。
ほかにも器具箱やキロポストなど様々な遺構が残されています。
旧踏切跡 線路はここを斜めにまたぎって奥へと続きます。
器具箱 錆ついています。ちなみに、隣の箱に書かれている文字から見るに
広瀬3号踏切 という名称だったようです。
ここから線路が復活します。レールも、鉄製のものは全て錆ついています。
枕木も損傷が激しいです。
この先でまた森に入ります。
この辺りは畑が続いています。架線柱もなくなり、最近廃止された地方の
非電化ローカル線のようです。
ここでまた線路が途切れます。ここも踏切だったようです。
踏切跡です。ここも線路が撤去されていました。
柵と名鉄三河線の看板が設置されています。ここから先はまた森となります。
看板です この先に広瀬トンネルがあります。犠牲者が出たとも書かれており、難工事で会ったことが分かります。
水がものすごく澱んでいる池もありました。滅茶苦茶濁っています。
ここからは整備があまり行われておらず、線路も枯葉に埋まっています。
コンクリートの柱がありました。赤い苔が生えてきています。
この先に広瀬トンネルがあります。だいぶブレていて申し訳ありません。
広瀬トンネル。こちらは力石トンネルよりも長く200m級です。しかも、中に
電灯がないためさらに長く感じられます。
中は良好な状態で線路が残っています。水が溜まっているなどという事もなく
綺麗でした。
ちなみに、金網は破られています。どこかの誰かが侵入しようとして破ったのでしょう・・・
ここからは、力石トンネルと広瀬トンネルの間の区間の探索になります。
間の部分は川があるため谷になっており、ほぼトンネル 橋 トンネル のような
構成になっていました。道路をまたぐ橋脚は残っています。
橋脚の隣には鉄パイプ製の階段があり、上に登れます。こちらは力石トンネル側です。
枕木やレールがとても綺麗に保存されています。
レールがどんどん色褪せ枕木も劣化してだんだん
当時の景色が失われてきています。
ここから森に入ります。この先が力石トンネルです。ちなみに、
コンクリート柱は植物が巻き付いていましたが鉄柱は巻きつかれず残っていました。
トンネル前は山なので、若干枯葉などで荒れています。このトンネルの向こうが
最初に来た西中金駅側の線路です。
こちらも中は状態が良いです。こちらは短いので開放してもいいと思いますが・・・
ここからは反対側の三河広瀬駅側です。線路へ向かう道がありましたが、だいぶ荒れており
先程と違って数年前に整備したっきり放置されていたようです。
向こうが先程の線路です。こちら側は植物で埋もれています。
広瀬トンネル方面へと進みます。レールも見えなくなってきており、あと
数年したら完璧に埋もれてしまいそうです。
奥に広瀬トンネルが見えます。
この辺から線路の両脇に水が流れてきます。
この辺は、ほぼ完全に水没しています。奥に土砂の山も見え、
この先で線路も水没します。
ここから先は水没が激しく探索を断念しました。
写真だとレールだけは出ているように見えますが、実際は奥で水没しています。
ここから先の数mは非常に水が深く泥に足が巻き込まれて進めなくなってしまいます。
これで今回の探索は終了となります。
次は三河広瀬駅以降の探索です。
お楽しみに!
ちなみに、線路全体は遊歩道として整備されているので散歩コースとして
おすすめです。






































































