オーストラリアへ留学に行った時、それが初めての長期の海外滞在だった私は、とにかく友人、コミュニティを作ることを頑張ろうと思っていた。
大学の寮に住み始めて1週間後、寮に住む学生で行われる交流会のようなものがあった。
寮に住む人は、アジア、ヨーロッパ、アメリカなど多国籍の学生に加え、日本人留学生も少なくないと聞いていたので、その交流会で色々な友人を作ろうと燃えていた。
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開始時間にが近づくとともに緊張している自分をリラックスさせ、時間通りには人は集まらないだろうから少し遅れていこうと、五分ほど開始時間に遅れて会場のBBQエリアに向かった。
会場に着くと、まず1番真ん中にある大きな机が目に入った。
予想と違い、そこでは、恐らく地元オーストラリア、ヨーロッパ、アメリカ人っぽい人達が大勢で座っていた。
その横にある小さめの縦長椅子には、インド系の人達が固まってスナックを食べていた。
その横では、中国人ぽい人達が向かい合っておしゃべりしていた。
「...あれ?日本人がいない?」
何となく思った。
その後、拙い英語と頼りない勇気を最大限にだしきり、色々な国籍を持った人たちとおしゃべりをした。
オーストラリア、ドイツ、フランス、スイス、インド、香港、ベトナム、カナダ、世界中から来ている学生らは、そこが自分にとって初めて訪れる場所にもかかわらず(いやそうだからこそかもしれない)、人混みの中積極的に話に行っては友好関係を作っていた。
私自身、そんな彼らの社交性のおかげでより幅の広い交流ができたと思う。
そんな中、胸にもやっと残っていた仮説が確信に変わっていた。
「日本人が、本当に、いない。」
そう、本当に一人もいなかった。
寮内には新期生を含めてすなくとも10人は日本人がいるはずなのに、人っ子一人いなかったのだ。
(他の留学生に聞いてみても、まだ見てない君が初めてだ、と言われた。)
私は、怒りにも悲しみにもなれるような抽象的な感情としての違和を感じた。
なぜ、日本人はこういう国際交流の場にいないのか、留学に来ているのに。
恥ずかしいからなのか?自信が無いからなのか?いやそんなことは関係がない。留学をしに来ている以上、国際的な交流と人脈、異文化コミュニケーションの経験は絶対の獲得要素であるはずだ。
たとえ目的はそれぞれにしろ、これだけは留学という経験の「土台」として確立しているものであるはずだ。
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「シャイ」という言葉に今までにない嫌悪感を覚えた。自信のなさに基づいた低い社会性を周囲という敵から守る防具のフリをしているが、実際にはただの透明で薄っぺらい1枚のオブラートでしかない。
こういったシャイな性格が、国際社会における日本の貢献度を下げてしまうのではないか。
それが、「日本人はリーダーシップが低い」という世界からのマクロ的評判につながっているのではないか。
なんにせよ、このオーストラリアの学生寮での交流会は、「シャイ ジャパニーズ」を抜け出す必要性を強く感じた経験だった。
(もちろん、環境によって様々だろう。今回たまたま私のいた場所が特別だったのかもしれない。だが、日本人が国際的な場でうまく社交性を発揮するということが日本人の標準になっていないというのは間違いないだろう。)