心理カウンセラー千依
(ちえちえ)です🌸



高校を卒業した後
少しして
育ててもらったおばあちゃんの家を出て一人暮らしを始めた




そして一時期
おばあちゃんの家にあんまり行きたくないなぁと思っていたときがある



それは
みんなで会って楽しくても
夜になればそれぞれの家にバラバラに帰っていくから



それがなんだか寂しくて
だったら初めから行かなければいいと
おばあちゃんの家に行かないようにした









たまに会えば
おばあちゃんは同居家族と困っているアレコレを言いたかったり


寂しそうに見えたり



少しずつ原因不明に失神することが増えたりしていて




そのときはわたしは
おばあちゃんを可哀想に見ていた





そして、いつか……
は来ないかもしれない、と



今できることをやろう、と



仕事が終われば
おばあちゃんの家に寄ったり


ほぼ毎週のように土日どちらかはおばあちゃんと出掛けた


2人で
四国に温泉旅行に行ったり
大阪までお墓参りに行ったり
滝を見に行ったり
気になるご飯屋さんに食べに行ったり
服を買いに行ったり




たくさんおばあちゃんと遊んだ




このことは
おばあちゃんが亡くなったとき
おばあちゃんの息子から


本来は息子の自分がするべきようなことをちえにしてもらった



色んな思い出の写真がここにあるのも、そのお陰もある



と感謝されるほど
色んな思い出を作った



そして時は経ち
思うこと






おばあちゃんは
本当に可哀想だっただろうか



周りから、わたしから
どんなにそう見えたとしても



おばあちゃんが選んだ結果の
現実だった



おばあちゃんが
無限の選択肢の中から
ちゃんと自分で選んでいた



わたしはそれを知っている




どんなに愚痴を言っていても
そこに居るのは
メリットを感じているから



言動が一致していないとき
言葉より
行動が答え



わたしが勝手に可哀想な人を作り上げていく



まぁその結果
おばあちゃんと楽しい日々をたっっっくさん過ごせて楽しかったんだけどね




目の前の人を勝手に可哀想な人に仕立て上げやすいわたしだと、今は理解しているから、自分に注意深く。






どうして目の前の人が
可哀想に見えるんだろうね



それは
目の前の人、を見ているか




目の前の人が可哀想なようで




わたしだったらそれは辛い
という、わたしを見ている




目の前の人は、わたしは
愛され大切にされる人である


これを選んだのは
あの人なり、わたしなりの
メリットがあったはずである



どんなに
そう見えなかったとしても
最善を選び続けている



そのうえで
わたしはどうしたいのか




生活が変わって新しく出会う人や、変わらず会う人にも



そのうえで言動を選んでいる
わたしの日常





 それはなくならない Memories 
例えば輪になって笑う Family
目を閉じて浮かぶあの日を胸に
独りでも折れずにゆくわ
かげりのない Memories 
あの日の私に恥じないために














いとことセミを13匹捕まえて不安

その後放ちました👋




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