6年余り続いた認知症介護の体験を元に、あの時
どんなことが起こっていたかを振り返ってみようと思います。
認知症。
それはある日突然の変化ではありませんでした。
ほんの少しずつ、毎日一緒にいると
うっかり見過ごしてしまうくらい
ちょっとずつ。
あれれ?ん?
忘れちゃったのかな?
朝起きて
トースターの中にパンが入ったまま
になっているのを見つけて
おかしいな⁈
と思う間隔が
3ヶ月…1ヶ月、3週間…1週間…
あれ⁈ 昨日も!(◎_◎;)
次第と狭まっていきました。
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さて、
認知症の家族を抱えたとき
困ることは目が離せないということでした。
進行してからは、
火の元、現金などの管理、徘徊…
周囲の人への危害など
見守る家族に心配は絶えませんでした。
その上
手をつくしても問題は無くなることはなく
酷いときには
家族を非難することもあるので
精神的ダメージは大きく
本当は大切な人だけど
それだけは、許せない!
と思ってしまうようなことだって起こります。
老老介護の悲劇がなくならないのも
わかる気がします。
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こんな辛い日、早く終わればいいのに…。
心の中で声がして
ハッとしました。
残酷な自分の存在に気づいたからです。
終わる。
ということは、
治る見通しがない病の場合
死を意味します。
命は尊いもの。
そうわかっているのに
大切な人なのに…。
疲弊した日々の先には
こんな呟きが漏れてしまうことがあります。
終わりの見えない介護で
経済的にも身体的にも精神的にも疲弊したとき
このように感じてしまうのも無理はないと思いますが
長期化する介護問題の裏側には
生きてほしいと思うのが人として当たり前。
でも、この辛い日が早く終わることを願う。
こうした葛藤が潜んでいるのだと思います。
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大きなストレスに曝されたとき
本能的にダメージから自分の身を守るため
辛いとか、苦しいとか、嫌だとか
このままじゃ危ないとか
ストレスや危険を察知するスイッチが
入るはずだけど
葛藤がそのスイッチを
切ってしまうことがあったかな。
辛いと感じなくなると
幸せも感じられなくなっていました。
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疲弊しきってしまう前に
感情を失ってしまう前に
介護サービスを上手に利用することで
家族がレスパイトケアをすることは
とても大事だと思います。
しかし、疲弊が進むと、
疲弊していること自体に本人が
気づきにくくなっていることもあるから
周囲の支える人たちが
家族の様子を観察していくことが
大切だと思うようになりました。
どんなに困難な状況にあっても
心を休めて、英気を養って
また立ち向かっていけるように
サポートは必要です。
また、日ごろから
心を開いて話せる人を見つけておくことも
大切ですね。
私は、それを見つけるまでに
とても時間がかかりましたから。
何もないときから、そういうことに
目を向けておくことは大切だと
今はみなさんにお伝えしています。