もういーかい?もーいいよ!

ある日の夕方にその声が頭の中を駆け抜けました。彼の分身体からの声です。しばらく前に、私の夢の世界で現れた彼の分身体。分身といっても姿が見えるわけではありません。光の様なものなんですけどね。私の夢の世界で、しばらく来ないでほしいと言ってきました。彼は、私の夢の世界に訪れる数々の者から私と祖母を救ってくれたのです。彼の夢の世界というものがあり、私は過去にそこへの出入りをしておりました。しかしある日彼はその夢の世界の入口を全て閉ざしてしまったのです。その理由は現実世界に通じて、多方面の人に迷惑をかけることがあると判断したかです。彼の力は、ものすごく大きいです。そんな彼のもとには、数多くの者が日々訪ねてきていました。全てを愛する心で迎え入れ、諭すスタンスには正直言って私からしたら自爆の様な光景でした。それを見てきた私は彼がその世界を閉ざす判断は寂しかったけれど正しい判断だと感じました。そうして彼の世界へ入れなくなる者の中には、因縁のルートを辿り、彼と関係のある人の所へまれにくることがあります。それを予測していたのか、彼は私に守護神様を授けてくださりました。そうした流れから、昨年の10月頃に、彼の送り込んでくれていた彼の分身さんの力を使い、私の夢の世界へと流れてくる者達から私を守護するようにと、働きかけてくださいました。そして1番大きな動きが昨年ね12月です。彼は1か月くらいと言っていましたが、中々、私は顔を出さないでと言われていた1カ月を過ぎても、彼からの報告を受けることなく、過ごしてまいりました。彼が、もういーよー!と言ってくれたのは昨年の12月中旬頃?ほぼ年末頃でした。その理由は夢の世界へ戻って祖母から聞いた話で理解することができました。彼に1番救いを求めていた者が私の世界へ来たからです。その方を向かうべき世界へと案内し、会わせるべき者へと会わせることが、彼の考えていたことだったのだと。再会を喜び、手を取り合う姿を祖母のイメージから私も見ることができました。しかし、その者たちからある頼みを受けたのです。あの子もこちらで、待たせていただいてもよろしいでしょうか?と。でも彼は言います。ダメです。ここで待つことは、ここの主が許したとしても、僕が許しません。別に待つ必要なんなございませんよ。あなた達には、あの子の力になってもらいます。あの子がどんな道を選択したとしても、あなた達は、あの子の1番の理解者でいてあげてください。悲しむことはもうありません。悲しまされることももうありません。だから来る時までずっとそばにいてあげてください。夢の中では語りかけてあげてください。悲しんでいるときには一緒に泣いてあげてください。喜びの時には誰よりも喜んであげてください。それが、生前あなたたちのしてあげられなかったことですよね。僕は、何も力になってあげられなかったけれど、あなた達ならそれができます。きっと伝わりますよ。だってあの子は、心がとてもきれいだから。心がきれいだからあの場所も選んだんですよ。だから誇りに思ってあげてください。もし、それでもあの子が道を踏み外す様なことがあれば、この言葉をかけてそっと抱きしめてあげてください。「生まれてきてくれて、生きていてくれて、ありがとう」と。


こころ♪さん!おーい。、、、、こころ♪さん!もういいですよー。夕食の支度中にふと頭の中に声が聞こえてきました。この感じは彼です。もういいよーってことは夢の世界へまた今日から行けるのかしら?先ずは祖母と交信をしてみましょう。

こころ♪さん、しばらくは夢の世界への訪問はお控え願ます。では、結界を組み直します。そう彼が言うと、私の夢の世界はまるで太陽の中にいるような暖かい光に包まれました。それと、こころ♪さん。私(彼)からの伝言といたしまして、眠る方角を北向きに変えた方がいいですよ。北枕にすることで、こころ♪さんの腰痛は少し改善されるはずですよ。と言うと夢の世界からすーっうっと、現実世界に戻りました。さっそく実行して北枕にして寝ておりますが、腰痛と肩こりが改善方向に向かっております。旦那は縁起が悪いよー。と言いましたが、北枕は健康的考えてもいい方角です。確か、磁気の関係だったかしら?ちなみに、お釈迦様の入滅の方角だとか、死者を寝かせる方角だとかは、なんの因果もありません。あれから夢の世界へは行っていませんが、祖母から聞く話によりすと、やはり色んな何かがたずねてきていると聞きます。しかしその者たちは諭され自分のあるべき方角へ帰っていくそうです。太陽の様に暖かい心で、彼はみなをどこかへ案内しているそうです。姿なき形で私の世界の中で。いつかは私も彼の様に名もなき者を救えるような力をもてるでしょうか。世界のどこかにいる関係のない人々を、でもそれは、選ばれた人の力。かつて彼は私に言いました。私には私の役割があると。でもそれは生き抜いてさえいれば果たせる役割であると。でもそれは誰かに言われて実行するものでもなければ、神に与えられるものでもない。秋の次の四季は冬であるように、日々の当たり前を一歩ずつ進んで笑顔で生きること他になしと。