まだイエスさまを知らない頃、インドやネパールを二度目に旅したとき、こじきの人たちにじかに私の手からお金を渡すことは今ここでしかできないのだから、出来るだけ大勢のこじきの人に渡す経験をしておきたいと思って、持ち合わせがお札しかなかったときでも、英語を話す現地の人を見つけてきて、こじきの人からおつりをもらおうと決めていました。
実際に二度、そのような場面がありました。
鉄道の駅と、砂浜で。
どちらもおばあちゃんのこじきでした。
そして二人とも、おつりを持っていて、通訳してもらうとわかってくれました。
ふだんはすっかり忘れているのですが、一度思い出すと次々といろんな思い出がよみがえります。
初めてイスラエルに行ったとき、ホロコーストをくぐりぬけてイスラエルに帰って来た、おじいちゃんやおばあちゃんたちに食料品や生活必需品を届ける仕事を、神さまは経験させてくださいました。
みんなほんとにユダヤ人の顔つきでした。
そしてそれが、私にはかわいく思えて、うれしかった。
ロシア語を話すジェイという兄弟と一緒にまわりました。
二度目のイスラエルの帰国のとき空港で、セキュリテイの兵士達に(普通の男女の若者)いつもの口ぐせ、Jewish Father is our Abba. We are Team God, Family of God.を言ったあと、I love you~~!と言いながらゲートに向かうと、We love you too!と言ってくれてうれしかった。
ロシア語しか話さなくたって、We love youくらい誰でもわかるはずなんだからなんであのとき、おじいちゃんおばあちゃんたちに言ってこなかったかなあ、と今思うと残念で、今日みたいに思い出して執り成しながらl love you, l love youと祈ると涙があふれます。
ツファトではどう見てもチベット人の集団がバスに乗り込んできて、でも男は皆キッパです。
はたと気づいて、マナセ?と後ろの席の子に聞いてみたら、うれしさと誇らしさが混ぜこぜになったような顔で、にっこりうなずきました。
これまで何度も許して祝福を宣言してきた苦い記憶が今朝からまたよみがえり、今日は聖書もまともに読めずにぼんやり無気力でいたのですが、神さまはこんなふうに励ましてくれた。