7月からとある講座を受けている。
1人、もんのすごいうさんくさい「自称 魔法使い」がいる。
そこに辿り着きたいのはわかる。
まずはなりきりから入りたいところもわかる。
でも本物じゃないから見ていてイタい。
そこまでなりふりかまわず、滑稽にみえても「自分はできる!!やれるんだ!!」というのが必要なこともあるかもしれない。
逆に、そこが開花に向けて私の足りないところであるという見方もできる。
でも今までわずかな時間ながらも「本物」を見てきた私からみると、あきらかにそれは「偽」。
ジャッジと言われようとなんだろうと、この感覚は譲れない。
人のことは感じるのに、自分のことって本当わからない。
何年かかるんだ。
私には開花は必要ないのかな。
知らないことを知っていくのが楽しかっただけなのかな。
偽者に気持ちがザワつくわたしも偽物なのかな。
波長の合う人にも出会えないし、周りのママ友とかはみんなドライで冷たい利己主義の人ばかりだし。
こういうと、「あなたがそういう人ということですよ」となるんだろうけど、それを自分で認められない。
なにがなんだか、どこが悪いんだか、何年も何年もわからない。
バカみたいな顔してママ友とつるんで、子ども達だけで遊ばせながら、自分たちはお茶しておしゃべりして…なんて人達がとっても眩しくみえる。
子どもを習い事づけにして、子育てしてるような気になってる人達をみると「逃げてるなー」と妬ましくなるときもある。
俗世間に染まりたいのか、開花したいのか、結局自分でどっちにしたいのか、わからない。
わからないから進まない。
本物の中でも「師」だ!!と思う人にやっと出会えた!!と思ってもあっさり消えてしまう。
そもそも「本物」と感じた出会えた人たち、私のことみんな好きじゃなさそうに私には思えて(見えない部分で避けられてるというか、距離をとりたがってるような)本物がいたところで結局は何もヒントを掴めない。
そんなところで何年もぐるぐるしてしまっている。
開花できないならできないで「あなたには無理です」とわかるような出来事でもあれば踏ん切りがつくのにな。
何年もできないってのが答えなのかもしれない。