きっと聞いたこともあるだろう

苦労は買ってでもしろと

あたしも一度言われた

嫌々買わねーよ

てか苦労ってなによ

汗水たらして働くこと?
我慢してやりたくないことをすること?

苦労したら何かもらえると信じてる人

だけど苦労したからじゃない

もちろんね苦労したことによって

そこに落ちるだけ落ちて死ぬのか

そこからはいあがって
なりたい自分になるのか

はたまたどこがで
大切なことを知り

自分が求めてきたものは
幸せではないと知るのか

人それぞれ

はたからみたら苦労したようにみえても

それはわからんし

本人は苦労したようにみえても

他人からは大したことなかったり

その大小は関係ない

生きてくなかで色んなことが起きて

思いもよらないことや
想像してなかったことがある

だけど気づけたこともある
知ることもある

それは苦労しようがしなかろうが

気づくときに気づくし
知るときには知る

なるべくしてなってるから

だから

幸せになるために
どこかに苦労しなければ
なれないなんてことはない

苦労して働いてたら幸せになれますか?

さー
苦労してた育てたら
立派な人になりますか?

さー

そんなもん誰にもわからん

けど

幸せって思ってるよりもずっと
身近なことだから

それに気づけないうちは
苦労しても無駄だ

苦労したからてにはいった幸せは
いつまで続けられる?

永遠と幸せになるために
苦労してたら一生苦労がついて回る

でね

苦労してると思ってるのか
思ってないのか

どんな暮らしでも
本人がそう思ってなければ
それは苦労じゃない

当たり前だったし
普通だったこと

そう思ってる人もいる

そして誰かにあるときいわれたのだ

苦労したんだねと

可哀相だと

同情にすぎない

同情されたいの?
誉めてほしいの?

頑張ってるねーって言われたいの?

誰のための苦労ですか?

その苦労は本当に必要?

あたしはむしろ勝手に同情されて
え?って思った

まーそうともとれなくもないけど

何を知っとるんじゃ
お前になにがわかるんじゃ!って

思ったね

普通だったこと当たり前だったから

言われるまでは
そんな風に思ったこともない

幸せは身近にしかないし
努力してするものでもない

なろうとしてなるものでもない

幸せかどうかじゃない

幸せって言葉に縛られないで

あなたが感じることだから

感じられてないのは見てないから

気づいてないからだ

これがこうであーだったらって
無いものを見続けてるから

あるものでしか感じられないのに

自分がしてることや
思うことでしかないのだ

心でしか感じない

感じられないことは問題でもない

幸せだと思えないことも
別に悪いことでもないのに

自分の思う幸せが今と違うから苦しい

じゃあその思う幸せを一度見つめ直して

変えればいい

好きなことをしたとき
好きな人といるとき
好きなものを食べてるとき
お風呂に入ったとき
布団にはいるとき
ゴロゴロしてるとき
太陽を浴びてるとき

いつだって感じられること

幸せってそんな当たり前で平凡で
特別でもなくて

いつもあるもの
いつも見えてるものに

充分ある

のにそれを無視してるだけ

音楽を聞いてるとき

暑いときに冷たい水を飲んだとき

好きなタレントを見てるとき

大好きな甘いものを食べたとき

風を感じたとき

星を見つけたとき

リラックスしてるとき

流れ星が見えたとき

月の変化に

体の変化に

お気に入りの服を着たとき

そうしたかけがえのない些細なこと

当たり前だと思ってること

自然としてること

くちがきけること

少なくてもお金があること

家があること

トイレがあること

お風呂があること

お湯が出ること

電気が使えること

なんだってあるんだ

数えたらきりがないし

まだいくらでも出てくるよ

歯があることも

目があることも

悲しんだり
喜んだり
笑ったり

することも

触れたいものに触れられること

好きな音を聞ける耳がある

足がある

手がある

それらが仮になくても

他にもある

支えてくれる人がいる

側にいる人がいる

海がある

水がある

服も靴もある

寝るところもある

帰るところもある

友や仲間がいる

同じように思う仲間もいる

雨の臭い

雪が降ってるときの静けさ

まっさらな雪に足跡つけること

そんな風に五感で感じる色んなことが

喜びになる

あたしはね

春夏秋冬がある

夏のよさ
春のよさ
秋のよさ
冬のよさ

誰かを大切に思う気持ち

好きという気持ち

伝えたい思い

感謝の気持ち

幸せは身近にしかないし

五感で感じしかないから


たとえ耳が聞こえなくても
たとえ話せなくても
たとえ歩けなくても
たとえ手が動かせなくても

五感のなにかが仮にかけてたとしても

それでもまだ感じられることはある

その感じられることを思う存分
感じることが幸せなんだと思う

それは感情や気持ちや思考も同じ

無くしたもの
無いものを見ていて感じていては

喜びなんて思えないかもしれない

だけどまだあるものを忘れないで

それを忘れられてるんだとしたら

それは悲しいよね

もし自分が忘れられてたら悲しいもの

ここにいるのに
ここにあるのに

あたしだってまだいるのに

無くしたものばかりみて
ないものばかりみて

こちらをみようとしない

それって悲しいよね
とても寂しいよね

それはさ感覚や体も
同じなんじゃないかな


そんな風にあたしは
幸せについてそう思ってる

あくまでも一個人の意見だから

あなたはあなたなりに
見つけてみて
あるものをよく見つめて考えてみて

そこに沢山の人が関わってること

どんな思いで作られたか

自分の体で心で見て

幸せとはなんなのか

本当の幸せってなんだろうか

考えてみてね

誰かに聞くんじゃなくて

それはあなたはなりに見つけて

感じてみること

人の幸せじゃなく
あなたの幸せを感じてみてね

どんなことで幸せを喜びを感じるのか

自分を再発見して

そのチャンスがきたんだ