先日、「平成教育学院」を観ていたら、表題の問題が出題されていました。

1/2+1/3=?

答えは「5/6」ですよね。

でも、うちの母は「2/5」と答えます。

「何で、解答が1/2より小さくなるん?」と自分が聞くと、
「だって、2に3を足したら5になるのに。」と母。

 

そうです。母には「通分」という概念がなかったんです。

このように、自分が知ってるからと言って、他人が同じように知っているとは限らないことって、多々ありますよね。そんな時、他人に理解させるためには、説明が必要になります。


そこで試されるのが「ボキャブラリー」、いかにたくさんの言葉を知ってて、その中から適切な言葉を選択できる「能力」が必要だと思います。

 

そのためには、「読書」がいちばんいい方法だと思います。

自分は「活字」は苦手ではないけれど、「小説」は避けていました。
でも、こころ塾に通所しだして、小説の面白さを教えてもらいました。

今までの人生、「損」をしてたなあ、と今更ながら思っています。

本が苦手だと思っている方「食わず嫌い」ではありませんか?
漫画でも全然構わないし、少し触れてみませんか、活字に。

 

とここまで書いている自分に「説明力」があるかどうかは、

はなはだ疑問なんですが...

 

手話を習い始めて約一年、何もかも判らないことだらけ、右往左往しているうちに時間ばかり過ぎた。そう思っていた。
同期の人たちが、優雅に手を動かして次々新しい表現を身につけるのに比べ、一つ覚えては忘れて、を繰り返す自分に、
もしかして、私に手話のセンスはないのでは…
と落ち込む日々を過ごしていた。

 

そんな私が、最近(ごく初歩的な)手話を読み取るという快挙をあげた。

嬉しかった。楽しかった。

あの瞬間を私は一生忘れないだろう。

その瞬間、判ったのだ。

 

これはセンスなどの問題ではないと。
努力の問題なのだと。

 

幾つもの「ひとひらの雪」が地面に落ちてその熱を奪いつつ溶けなければ、真っ白な雪が高く積もることがないように、何度も何度もこの言語を繰返し練習しなければ、身につくことはないのだと。

 

私の先に手話を次々覚えていった同期の人たちは、私以上に練習したのだ。手話の辞書が擦り切れそうになるまで、何度も何度も忘れては引き、忘れては引いていたのだ。そうやって、手話を積み重ねていったのだ。

 

私の学ぶ手話は、日本語である。
しかし、音声言語ではない。まったく種類の違う日本語なのだ。

 

それをいっときでも、忘れた自分が恥ずかしい。
それに気づけた自分が愛しい。

 

これからも、こころ塾に席を置きながら無数の「ひとひらの雪」を胸の中に降らし、私は手話を勉強する。満足することはないかもしれない。それでも、手話を勉強していて良かったと、思える日が来るのだと、私は信じている。

 

 本名「ロナルド」、通称「ロナ」、またの名を「風介」という白猫がいた。

 でっかい図体とふてぶてしい性格ではあったが、左右の目の色が違うというエキゾチックな風情と、草の上に寝転ぶのが好きだという愛らしさから、人気を集めていた。
 私は「風介」と呼んでいた。

 

「何がネコちゃんだ。猫は往来を闊歩してこそ猫だ」
 という飼い主の方針で、「風介」は半ノラ状態だったが、本宅と別宅を良く弁える賢さがあり、必ず日暮れには本宅の飼い主の元に戻っていた。

 

 一年前の今頃、突然「風介」は姿を消した。
 こんなことはなかったことだ。
 飼い主は「ロナルド」を探して、自転車であちこちを探し回り、獣医さんを訪ね、知り合いの所に「ロナルド」のポスターを貼っていた。

 

 しかし見つからない。
 どうすれば良いのだろう。
「風介」を探す人間も、二ヶ月を過ぎた頃には諦めた。

「そりゃ、屍骸でもあれば、墓でも建ててやれるのに」
 飼い主は嘆き、写真を居間に飾った。

 

 まだ目の開かないうちに、兄弟と一緒に捨てられていた「ロナルド」は、今の飼い主の子供に拾われ、猫用ミルクをタオルに湿した物を飲んで成長した。

 

 しかし兄弟の方は助からなかった。

 

 避妊手術をするまでは、メス猫と思われ「ロナ」と呼ばれていたことから、オス猫であることが判明して「ロナルド」と改名したが、飼い主はそのまま「ロナ」と呼んでいた。
「また遭いたいね、『ロナ』に」
 飼い主は赤い目をして呟いた。

 そして一年過ぎた。

 生まれ変わりとは、あるのだろうか。
 飼い主の祈りが届いたのかもしれない。
 「風介」そっくりの子猫が、現れたのだ。しかも捨て猫として。

 

 「ロナルド」の飼い主は躊躇なくその猫を引き取った。そして名づけた、「サンタ」と。
 二度目の白猫には、通称も、二つ名もない。「風介」は永遠に「風介」なのだ。