年齢というのは一年一年自動的に増えていくの

ですが、「大人になっていく」というのは

自動的になっていくわけではないな、と

折に触れて思います。



シーンやその時に居る相手によって人は

幼くもなり、大人にもなり。


自身の中のパーツが入れ替わります。



スライサーで手を切った時から母は幼いチャイルド

の様な仕草をしていました。

血が止まらない事に自分で対処せずに

ティッシュで抑えているだけでした。




私は大した怪我はしていないと思い調理を

そのままやっていましたが、

姉が止血のためにキツめに絆創膏を貼って

あげていたようで、私が気付いた時には

手を高く上げてキョロキョロしている母が

いました。


血がまだ止まらない様子だったので

旦那さんに頼んで薬局に行って止血剤と傷パワー

パッドを買ってきて、と頼み手当。



父は「たいそうやなー」と茶々を入れ始め

母は「うるさい」と反撃。



自分たちで判断して動けよむかつき

と思いましたね。。。


とりあえず傷のこともこれで一件落着となり

ました。



父、甥っ子2人、旦那。

男勢は思考停止状態。



姉の旦那さんは庭で肉を調理してくれていたのに

誰も手伝わないし、食べる時も遠くにあって

取れないものを渡してあげる気配りもなし。昇天





大人になるというのは意識ですね。


私は2人姉妹の下なのですが、最初にそれを

意識したのは姉の子どもが産まれた時でした。

それまで自分が家族の中で一番下だったのが

甥っ子という存在が出来て初めて上の子の立場

を体験したのですね。



「立場は人を育てる」と言われますが、

親になった時、部下を持った時など自分にとって

守るべき存在や率いていくべき状況になることで

人は大人になっていくのかな、と思います。



最初は慣れなくてビビりながらも、やがては

それが馴染んできて懐が深くなっていく。


基本的にはそういう感じだと思うのです。



しかし、そこでそうなっていかないケースと

いうのがあるのですよね。



それは、周りが手助けをしてしまった時に

起きてきます。

その場合、心配性の方が手を出してしまいます。



これは「成長するな」という交流分析の禁止令

の中の1つで1970年にはもう既に世の中に

あったぐらいに古くから人のありがちなパターン

であり組み合わせなのです。



対極にあるのが「子どもであるな」。


親がこの「成長するな」の傾向が強い場合

とても精神が幼いので子どもは大変です。

子どもなのに、子どもでいられないし

早く成長しなくてはいけない気持ちになり

充分に子どもの時期に味わっておく必要がある

ことを味わえずに生きていかなくてはなりません。



「反抗期がなかった」というケースが代表的

です。






そして、サポートをして貰えないので

子どもながらに不安なまま自分でいろんなこと

をやっていくので、その不安や自信の無さが

ずっと大人になってからも残っていたりします。



一つ一つ積み重ねたことならば土台がしっかり

としていくのですが、



これで大丈夫なのかな…

合ってるのかな…

とりあえずこの場は何とかなったみたい…。



そんな感じでやりくりしてきたのでいつまでも

不安や自信の無さが残っていきます。



本当は幼い時にわかっている大人にサポートを

されながら、自分でチャレンジしていくという

体験の積み重ねが大事なのです。



そうやっていけなかった方は大人になった自分

がその幼いチャイルドの部分に寄り添い、

受け止め、認め、賞賛しながら一つ一つ積み重ね

ていくといいですよ。



「わからない」って言えない人ももしかしたら

このような状況下でやりくりしてきた方から

かも知れません。




聞いても恥をかかせたりしない人が見つかれば

そういうところで練習してみるのも良いですね。



そうやって一つ一つ積み重ねていってみて

下さいね。



セッションではそうした取り組みでは難しい

と思われる点を扱っていくと良いですよ。