久々の鬱
久々に落ちました。半年ぶりくらいでしょうか。
原因は、調子よく見えたこの半年で、お金を500万ほど、つまりは全財産、なくしてしまったことが、やっとわかり、急に不安になり、「お母さんになんて言おう・・・・」これです。これが浮舟の、いちばんのネックになっているところです。
32歳にもなって、「お母さんになんていおう」でもないじゃない、とその通りなのですが、怖いんです。叱られる、叱られる、今でもやっぱり、そう思うのです。借金までしたわけでなし、親のお金を盗んで使ったわけでもない。自分のお金を自分でなくした。それだけだけど、怖くてたまらなくなり、昨晩号泣してしまいました・・・。
泣きながら、夜、転送電話になっている主治医のところへ電話しました。小一時間ほど話につきあってくれました。そのあいだ、なきじゃくりながら、八つ当たりみたいに「なんで私はこうなの?」と問い詰めました。
軽躁があるそうで、調子がいいとなると、わーーっと一気に行動してしまう。どうしてもそこでストップがきかない。その時は正しいとおもってるんだけど、後に支障がでてきて、やっと、あ・・・しまった・・・と後悔し始め、今度は鬱モードに入る、というサイクルを繰り返していて・・・・。
なるべく気にしないでおこう。そう思っていても、こころは正直で、ふ~っともやがかかってくる。
今日は久々に安定剤を1種類飲んで、効かないのでもう一種類、足して、やっと頭がぼ~っとして、よからぬもやから、さらにドライアイスでもたいて、まったく視界を遮った、ような感じで・・・。
間にいつもお世話になっている、私の後見人みたいな役割をしてくれてる人が、私と母親の間に入ってくれて、先に困った状態をささっと話してくれたので、私は母親から、叱られずに済みました。これで肩の荷がおりたのに、それでもなお、落ち込むのは、落ち込むスイッチがONになってしまったからでしょう。
自分でも、なんで落ち込んでるか、わかってる。でも、どんなに解析できても、こころの暴走は薬しか止められない。
まぁ、今までちょっとテンション高かったから、久々にこんなのもいいのかもしれない・・・・・・。ヤだけど。
ちょっと吐き出したくて、ばーっと書いちゃいました。
自傷したい気持ちや、死にたい気持ちから、なるべく目をそらして、また上がる、ちょうどいい具合になる日もある、と自分に必死に言い聞かせています。
そうできるようになった自分を褒めてあげないとね。ちゃんと前進してるって。
ただ、見えないだけだって。
復活~!!
私は主治医から「病気じゃない」と言われながらも、薬は飲んだほうがいい、といって、抗うつ薬を飲んでいます。
今までずっと、安定剤も手放せませんでした。4月にズドーンと調子崩してからずっと、デパスより作用の強いといってもらったセパゾンという安定剤を内服で服用していました。
ですが、だんだんと気分が落ち着いてきて、薬のほうがきつくなってしまってきて、ものすごく身体がしんどくなってしまったんですね。でも、その薬のせいとはわからなかったから、「しんどい、しんどい」といい続けて、結構寝たり起きたりの生活でした。
で、どうもこれは、セパゾンが効きすぎてるんじゃないか、とやっと思うようになり、主治医に言って、少しずつ減らし、なんと!今は安定剤は内服から外すことができました!祝!
薬が減ると嬉しいものです♪
ですが、どうも身体の調子が落ち着かずにいます。
先日、起立性低血圧のせいで、朝、トイレで気を失って、ぶっ倒れてしまいました・・・。
トイレが広いので、気付いたら床に倒れてました。
でもまぁ、手洗い場なんかがあったため、壁にもたれながら倒れたらしく、おでこ打ったのと、前歯を軽くうったくらいで済みました。それでもやっぱり、自分でもびっくりしましたよ~。倒れたという記憶さえないのだから・・・。
倒れたのはその1度きりで、気分が悪くなったりして点滴を打ってもらったり、ということくらいで済んでいますが、それでもあんまり調子がいいともいいきれず、かといって、犬の散歩など、わりとだんだん外へ出られるようになってるし、気持ちは過去最高!というくらいおちついていて、リスカ・ODも全くしなくなりました。
なかなか全部、すっきりはしませんが、気分だけでもちょっと前を向けているのは大きいかなぁ。
最近の心境なんですが、「諦めがついた」ような気がします。いい意味でいえば、私はずっと何かをしなくちゃ、がんばらなくちゃ、今の自分ではいけない、と、向上心が強すぎたのかもしれません。それで、等身大の自分がどうしても受け入れられなくて、イヤでイヤで仕方なくて・・・。
それでも、それを克服できる人もいれば、できない人もいるわけで・・。
克服できないからといって、その人の価値や存在意義が落ちるわけでもないわけで・・。
「それでいいんだよ」という気持ちがまるでなかったことに、ようやく、ようやく、気がつきました。
これは人がどんなに言っても、自分で気付くまでは、どうにもこうにもならないものですね。
気づき、というのは、大変難しいものなんだとわかりました。
じゃあ精神的にはもう大丈夫?といえば、そうでもなくて。
なにしろ黒白極端になってしまう性格(性質?)なので、今度は「諦めすぎて」しまっている自分がいます。
いや別にいじけたわけでもなく、すねたわけでもなく、ごくふつーに、「私はこれでいい」と思うようになってしまったというか・・・。
仕事いけないけど、まぁいっかぁ。独身やけど、この先のことも、まぁいっかぁ。困ったら困ったとき、考えよう~と、ほけ~としています。だからしんどさが抜けたといえば、そうなんですが・・・・。
世の中の人、みなそれぞれに辛抱しながら生きてるのに、こんなに何もせず、ただ遊んで暮らしていていいのだろうか?という気持ちも、全くないではありません。
が、考えるとしんどいんです。怖いんです。
また、あの自分が分離した感じになって、訳のわからないことをしでかすんじゃないかと。こうして陰をひそませておきたい、というのが、今の心境です。
適度な向上心、適度な勇気、そういうものが持てずにいます・・・。
それでも、焦っても、誰かに中傷されたとしても(周りの人からは、幸いみな理解してもらっています)、これだけはどうにもならない気がします。それこそ、また自分自身で「気づく」まで、なんとも仕方ないですね。
言い訳・・・かもしれません。
それでも「いいんです!」と胸を張れるようになりました。
少し、強くなったんです、浮舟は。
いいこともあり、わるいこともあり、の日々ですが、なんとか無事、生きていることが、なんだか嬉しく思える毎日です。そう思えるようになった自分は、少しずつ変われているのかもしれませんね。
(p.s.写真は愛知万博のときのものです。)
自分のこと、好き?!
以前もこのような話になり、T先生は、「自分のこと好きにならな。というても難しいねんけどな。ヤな部分もあっていいから、ひっくるめて好きにならな」と言われたことがあります。その頃まだしおらしかった浮舟は、「はい・・・」とおもしろくなさそうな顔して引き下がっていたのですが、付き合いが長くなると、もとより気さくな先生ゆえ、ため口もまじえて、なんでもきけるように、なるんですね~。こわいですね~。
★T先生に質問
「先生、先生は自分のこと好き?」
「ん~~、せやな~~、好きな部分もあるし、嫌いな部分もあるし・・・半々やな」
「ふ~ん・・・私、どうしても自分が好きになれへん。すごい嫌い。なのに人から好かれるってどういうことなのか、よーわからへんねん。」
「でもなぁ、自分のこと好き、っていう人も少ない思うでぇ。どっちかゆうたら、嫌いな人のほうが多いんちゃうか。まぁ、いろんな人にきいてみぃ」
といわれたので、早速、カウンセリングのために、顔だけあわせてる、もと入院してたときの主治医、M先生に、
★入院中、「何で人は生きなあかんのですか?」と聞いたとき、「そんなん考えたことない」と一刀両断した、大嫌いなM先生に質問
「先生は自分のこと、好き?」
「え?そんなん考えたことない」
「じゃ、考えて。どっち?」
「う~~~ん、(かなりうろたえて)好きでもないし・・・嫌いでもないし・・・」
「じゃ、半々?」
「そうやな、半々、やなぁ」
★臨床心理士の、私と同じ歳くらいのM先生に、カウンセリングのとき質問
「先生は自分のこと好きですか?」
「えっ、浮舟さんは?」
「先生、先答えて!」
「ははは、そうですね、他の先生にはいろいろ聞いてはるみたいだけど、僕にはあまり聞いてこないですもんね」
「うん、だって言った事に質問されるし、こっちから質問する時間がないんだもん」
「あーそうか。ぼくはですね~・・・どっちかいうと・・・好きのが多いかな?すごく好き、とかじゃないですよ、どっちかいったら、好きのが多い、というくらいで」
「そーなんだ、M先生は好きのが多いんだ~。なんで?」
「ん~仕事が楽しいし充実してるからかなぁ」
「うそー、彼女とうまくいってるとか、家庭が安定してるとか、そうじゃないの?で、先生いくつ?」
「いくつに見えます?」
「またそんな飲み屋のねーちゃんみたいなこと言う~。で、いくつ?」
「まぁ・・・浮舟さんと、同じくらい・・・同じか、少し上か、下か、そんなもんです」
「ゆうてもいいやん」
「いや~、カウンセラーは自分の年齢とかゆうたらあかんのです。それによって、相手の話し方がかわることがほとんどなので」
「別に私はかわらへんよ。で、いくつ?」
・・・・と話は流されて・・・・
「浮舟さんの、自分の好きなところ、ってあります?なかなか言いにくいかもしれないですけど」
「前にしてた仕事のせいか、大半の人の話に合わせられること・・・かな。男性でも女性でも。だけどそれが辛くなる原因にもなります。自分っていうものが消えてしまっていて、出せない、というか。。」
同じ精神科に関係しながら、三者三様の答えが返ってきました。
カウンセラーのM先生は、プライベートで必ずいいことが起きているから幸せが多いとこたえられるんだと、私は勝手にきめつけちゃいましたが。ちなみに浮舟のカンでは、おない歳とみてます。言いませんでしたが。わりとわたしのカン、あたるんですよ。
しっかし、真ん中のM先生は、どうしたもんでしょうねぇ。完全に患者を小バカにしてるのか、本当にバカなのか、そういうことを全く考えたことのない人が、精神科医、しかも副院長してていいのだろうか?と疑いたくなります。ヤツだったら、私が患者さんの話聞いてあげたほうが評判いいかもしれない。実際、評判わるいもん。
自分を好きになるのは、やっぱり難しいですね。それでも10代の頃と比べると、今のほうが、自分のいいところを少しずつ、見つけられるようになりました。でも嫌いのほうが多いですけどね。
目標は、半々、かなぁやっぱり。好きのほうがちょっと多い、っていえるほど幸せは望めないけど、(諦めがはやすぎるのもいけないけどね)まずは、半々、っていえるくらいになりたいなと思いました。
もっともっと自分を磨かないとね。もしかしたら、ダイヤモンドが出てくるかも!しれないし。
諦めない、ゆっくりゆっくり。人のペースと比べずに、自分の人生、いつ花開くかわからないものね。
余談ですが、ちょっと前、京都で「グランマ・モーゼス」という画家の展示会がありました。ご存知の方もおられると思いますが、ちょっとだけ簡単に書きますね。
日本語に訳せば、「モーゼスおばあちゃん」ですよね。そのとおりで、当時、細かい風景画のような刺繍を刺すのが好きだったモーゼスさんでしたが、70歳を過ぎ、刺繍をするには目が見にくくなってしまって、やめていたところ、孫に、「おばあちゃん、じゃあ絵を描いてみたら?」と言われ、70の手習いですよね、別に特に勉強したわけではないけれど、自分の子供時代のアメリカの田舎の風景、それも村人がいっぱい描かれているんです。ワイン収穫祭だとか、お祭りとか、雪のなかで遊ぶ子供やクリスマス風景・・・モーゼスおばあちゃんの原風景を、独特のタッチで描いていって、それがたいへんうわさになり、ますます生き生きしてきたモーゼスさんは、さらに絵が上手になり、表彰をうけたりしながら、90歳を越え、亡くなるほんの前までずっと絵を描き続けた、ということでした。
人間って、いつ花ひらくか、わからないものだと、つくづく思いました。そして、自分でも気づいていない才能ってあるもんなんだなぁ、って。
人を羨んだり、人のペースにあわせようとするのは、やめにしました。
それだけは、ちょっと大人になれたかな?
一日中寝てても、明日も起きれなくても、あさって起きれるかもしれない。
と思いながら、徹夜して今(朝10時)から寝る浮舟でした。
「普通って、何?」
前にもかいたかもしれませんが、浮舟は、再婚者探しもしています。これはこれで、むずかしくて、また別ブログをかいているのですが、サイトのポイントほしさに資料請求したら、押しの強~~~いおばちゃんが、「浮舟さん、あなた、この先どうするの?女性はね、年齢一つ上がるごとに、資料請求が減っていって、40歳過ぎたら悲惨なものだよ。今なら×1でも子供もいないし、まだ大丈夫!恋愛して、楽しんで、幸せな家庭がつくれたら、あなたくらいしっかりしてたら、あっという間に治っちゃうわよ!!」と言い切られ・・・・確かに今、親やそれ以外の人の援助で、とりあえず生活しているような、とても不安定な浮舟にとって、この言葉は大変痛いところをつかれた、という感じで・・・・あぁ、確かに、給料を誰かが運んできてくれて、安定した生活したいな・・・と、ついおばちゃんの言うとおりに入会してしまったのでした。
で。まぁ、入会して3ヶ月ほどという短さもあって、資料請求は、山と来ます。昨日は20通ほどの釣書を、ん~~~~と冷静に見ながら、とりあえず連絡をとってみてもいいかな、という人を4人選び、それだけでも大仕事。
この3ヶ月の間に、数人の会員さんとデート?しました。
今は夏ですし、見えない季節でも、左腕、手首には、相当なリストカット、アームカットの傷が残っているので、黙っていて、それをこっそり見られて、「あ、この子・・・」と思われるのもイヤなので、会う前に、メールか電話で、鬱だということを、必ず伝えるようにしています。(本当は、境界性人格障害ですが、そんな病名聞いたことないでしょうし、「鬱がもとで、今は病気と病気じゃないのの境くらい、だけど仕事はできなくて、身体がしんどいから、たいてい寝てる」と説明してから、会うようにしています。
そして。それからなんですね。電話や、会ってから、必ず相手に言われます。
「病気って聞いたけど、なんだぜんぜん普通やん。どこが病気なん?」
その言葉がね~、必ず言われてしまうので、浮舟としては、辛いのです。
確かに「普通」です。激鬱のときならいざしらず、もうそういう時は過ぎましたし、なにしろボーダーラインなので、微妙なんですね。もちろん今は薬やカウンセリングが必要ですが、それ以前は、仕事してから、さらに趣味のサークルへ行ったり、技術高めるために講座を受けたり、ボランティアサークルにも顔をつっこんだり、それに恋愛もしてましたから、よくまぁ、あんなハードなことができたもんだ、というくらい、元気者だったわけで、常識人ですし、たぶん普通の人以上に気ぃ遣いだと思います。なので、一回くらい会っただけで、わかるわけ、ないんですよね。
でも、その「普通」という言葉が、どうしてもひっかかって、カウンセリングの時、聞こうと思ってました。
「何が普通なん?」て。
でも他のことを順番にしゃべってたら、時間切れで、聞けなくて、パスしようと思ってた、診療内科のほうへも通院してきました。
「珍しいなぁ、夜来るなんて。」
「うん、寝坊した、というか、しんどくて起きれへんかったから、午前中これへんかった」
「先生、聞きたいことがあるんやけど」
「ん?なんや?」
「こうこう、こうで、みんなに「普通やん!」って言われるねんけど、’普通’って、何?」
「なんや、それ聞きに来たんか」
先生の答えは、以下のようでした。
「難しいねんけどなぁ。よく分かる例だと、成績あるやろ?たいてい点数て山型になるやんか。そのうち、95~100点の人、0~5点までの人いうのんが、普通とちゃう、んや。天才か、どうにもならへんか。それ以外の人は、’普通’やねん」
「え~~!普通ってそんなに幅広いの?なんで上下5点ずつなん?」
「これはなぁ、根拠があって、統計上、そうなっとるんや。だからな、’普通’ゆうても、幅ひろいねん。一回や二回会ったくらいで、おかしいところがわかったら、そのほうが’変’や。わからんで普通なんや。」
そして、最後の閉めは、こうでした。先生のメガネがいつもと違う(昔かけてたもの)だったから、何かの話から、「先生、メガネ、いつもとちゃうやん。」「そうなんや、レンズがぽろんと取れてしもて。で、あわてて昔のメガネをなおしてかけてるねんけど、見えんなぁ・・・」「あー、先生のメガネ、ふちなしだもんね。あれ、取れやすいねん、私も昔、よぅ取れた。直してもろたらいいのに」「もぅあかんのや。レンズの反射止めが、取れてしもて、光ってしゃあないねん。」「なんでそんなことになったん?」「風呂入るやろ、それでシャンプーで洗うからや。」「えぇ~~~!シャンプーで毎日はあかんわー。時々、台所洗剤とかで洗うんならまだしも・・・」「ん・・・今度こうたら、シャンプーはやめるわ」
「先生、変やなぁ。」
「まぁなぁ、誰しも、そういう変なところって、1つくらいは持ってんねん、そういうことや・・・」
と診察を終えたのですが・・・・
なぜ一日がかりで、往復1万5千円もかけて遠くまで通院してるかというと、やっぱり、この先生と話してると、「スカっ!」とした答えが返ってくるんですね。理論に基づきながら、素人にも納得しやすくて、はぁ~~~なるほど~~~と、胸のもやもやが、すっきりして帰ってこれることが多くて。
もう約3年通ってる常連さんでもあるけど、メガネの話とか、雑談しながらも、最後は上手に結ぶ術は、やっぱふつーのおじさんと違う、って思ってしまいます。98点くらいちゃうやろか?
あ、そうや、メガネの話の前に、私、もう一回、食い下がったんやった。
「じゃあ、’普通’の私が、なんでここ(心療内科)に通わなあかんの?」
そしたら先生は冷静に、「感情の調整がうまく機能してないからです。」
「でも私、病気になる前は、もっと元気で別に病院に通わなくってもよかったのに、なんでこういうことになったん?」
「その頃は、知らずうちに、上手にストレスを発散させたり、感情のコントロールがうまくいってたんだと思います。でも、辛いことが重なったり、重いストレスをうけたりして、そのコントロールが上手にいかなくなったんですね。」
はぁ。なるほど。浮舟は、「来てよかった」と心底思いながら、診療所を出たのでした。
私なりに大雑把に解釈したんですが、人に迷惑かけたり、警察に逮捕されたり、そのギリギリで人に恨まれるようなことをしたり・・・そういう人か、ノーベル賞などもらったりするような人は、「普通」じゃないんでしょうね。アホか天才か、なんでしょう。そうでない、きっとこのブログを読んでくださってる方は、「普通」なのではないでしょうか。私も含めて。
一応、病名はついていて、薬も必要だけど、「私は普通!」ともっと自信をもちたいと思いました。
なんか、病気してから、「私は人と違う・・・」という思いが深かっただけに、とても嬉しい気持ちです。
もし今、鬱がひどくて「もうダメかも」「私はもう普通じゃない」と思っておられる方、そんなあなたも、「普通」なんですよ。風邪ひいて熱が出てると思って。熱が出てても、その「人」は、かわりないでしょう?
久々にすっきりできた浮舟でした。
あれから一年たちました(1)
8月5日は、私にとっては忘れられない日・・・そして救われた日でもあります。去年の8月5日、いろいろ周囲の方に迷惑をいっぱいかけながら、やっとこの日、私は精神病院に入院することになりました。ベッド待ちだったのですが、周りが面倒見切れないから、と、隔離室からのスタートになりました。暑い、暑い日でした。枕まで持って、母親と二人、田舎の病院へ、2時間ほどかけて行きました。
私は境界性人格障害という、軽いけどやっかいな症状に苦しんでいます。本人が苦しんでいる割には、周囲は「大丈夫」と太鼓判をおしているようで、せっかく入院するということでやってきたのに、初めて会った担当医に、「鍵のかかった部屋に入ってもらわなければなりませんよ」「本当に入院しますか?」等、別にあえて入院しなくていいよ、という口ぶりに、ここでもやっぱり受け入れてもらえないのか・・・とショックを受けながらも、ハイ、ハイ、と返事をしてたら、どうにか入院させてもらえることになりました。
任意入院と措置入院とあると後で知ったのですが、私は任意入院で、「退院したい」といえば退院できると説明を受けました。逆に、措置入院は、強制入院させられた人のことで、患者さんの話を聞いていると、たいてい家族が「こりゃたまらん!」と保健所なり精神病院なりに通報し、本人は普通と思っていても、ある日、頑強な男性が2人ほどと医師がやってきて、そのまま連行されて入院・・・が、措置入院の形のようでした。
とはいえ、「退院します!」と言っても、実は退院させてもらえないのが、精神病院の怖いところでして、「医者(担当医)が退院してもよし!と許可を出さないと、どんなに任意入院でも、退院はできないのでした。私は、厳密にいうと、~~症、と同じ扱いになるので、病気とみなされず、とても軽い扱いをうけてたので、まだそんなに日がたってないのに、「退院したくなったら、言ってください」と、他の患者さんとは別扱いでした。
私の友達になった子は、任意入院で入っておきながら、退院の許可が下りるのに、2年以上かかりました。どこから見ても、普通なんですが、主治医によるんですね。主治医が代わったとたん、退院の話が出た、と友達が退院し、京都に遊びに来たときに、そう言っていました。
心の病気は、医者にもわからない、のが本当のようです。だって、見えないし、検査もできないから。
心理テストも、重症の患者さんには効果的かもしれませんが、軽い人には、参考程度にしかならないと、臨床心理士さんが、はっきり言っていました。それよりも、たくさんいままでのことを言葉に出して、その中で気になったことを、心理士さんが拾い上げて、より詳しく聞いていく。。。。という作業が私の場合有効とのことで、入院してまもなく、周1回、カウンセリングが始まりました。
カウンセリングでは、幼少時から、細かく細かく話しました。話しても話しても、水が湧き出るように、つきることなく言葉が出てくるんですね。とくに、辛かったことが、ずっとひっかかったままになってたのでしょう。いつも時間オーバーするくらい、しゃべりまくりました。でもそれは、たしかにすっきりはしたものの、ベースとなる基本情報を収集する作業で、そこから深めるという作業をする前に、退院してしまいました。
話が前後しますが、2病棟に連れて来られました。ここは、閉鎖病棟です。看護婦さんに、お金や貴重品を預け、荷物チェックをされ、はさみ、先のとがったくし、など何点か「おあずかり」になりました。もちろん携帯も・・・。これはショックでしたね・・・。
そして、とりあえず昼食を食べて、と、ナースステーション内で、ハヤシライスを食べさせられました。
ちっともお腹がすいてなかったので、味もなにもわからず、ほとんど残してしまいました。「来たばっかでたべられへんわねぇ」と看護婦さんにも言ってもらって、とりあえず疲れてるだろうから、一休みしたら、と部屋に連れて行かれて、あー・・・と驚きました。
看護婦さんがさっさと布団をはこんでくれました。シーツはなしです。持参した枕は、「これは他の人にないしょで」ということで、なんとか使わせてもらえました。そして、やわらかめのピータイルが張った床に地下にふとんを敷き、「ねがね」「ブラジャー」「はんかち」等、何にも持ち込み禁止で、その部屋に入り、外からガチャ、と鍵をかけられました。
しみじみ、部屋をながめました。よっこらしょ、とまたぐとこと流れるところだけついたトイレが、すみっこにあって、ベーパーではなく、落とし紙を必要分くらいだけ、もらいました。水を流すところ、手を洗うところ、ありません。ウンチをしても、そのままころん、と便器っぽい形をしたところにのこります。そして、2時間に1度だけ、看護婦さんが見回りに来て、水を流すボタンを外から押してくれると、やっとブツとおさらばです。
友達は「臭くて参った~、看護婦さ~ん、流して~!」って大声で呼んだもん」っていってましたが、私はそれより、手が洗えないのがずーーーーーっと気になって仕方ありませんでした。ちょっぴりですが、手の潔癖症があるんですね。だから、布団にもぐっても、「この手はきれいなんだ、大丈夫、大丈夫」って言い聞かせてました。看護婦さんによって、「おしぼりください」って言うと、すぐくれる人と、「別料金かかりますけどいいですか?」っていちいち言う人と、いろいろでした。
夕方まで隔離室にいたのですが、看護婦さんが見回りにやってきたとき、もぅ狭い閉鎖空間にいるのが耐えられなくて、「ホールにでます」と、はじめて患者さんたちが普通に暮らしている空間に行きました。
わけもわからず、ぼさっとしてたのですが、「あんた、今日来たの?」「名前は?」(私の名前は関西では珍しいので、たいていの人に覚えてもらえませんでした(悲)「あんた、コップは?薬飲むコップ!」ぼさっとしてても、教育係というか、私の場合、なぜかみんな親切で、何時に薬があって、何時からご飯で・・・など、聞く前から教えてくれたり、親切にされました。最初の緊張も消えて、「なんだかここ、楽しそう」とすぐ思えたのは、田舎の病院ゆえ、長期療養の方が多く、それと、さほど症状的に重くない人が多かったので、みんなが話しかけてくれたり、仲良くなったり、本当にあっという間でした。
(長いので、続きは次回に・・・)
おおまわり
このごろ、さっぱり心療内科へ行きたくなくなって、身体がだるかったのもあり、もう3週間も休んでしまった。遠い病院だから、薬はいつも2週間分(眠剤は最長2週間しか出せない決まりがあるので)もらって帰ってくるんだけど、3回くらい続けて行ったりすると、一ヶ月以上の薬がたまるわけで、それを飲み忘れたりするもんだから、ますますたまっていき・・・ということに。
でも、カウンセリングの先生は、私の時間として50分待ってくれてるんだから、悪いなぁ・・・・・・・・とおもうのだけど。
なんか、このごろ、悩む材料が、ない。しいて言えば、乱暴者でびびりの蘭のしつけ、かな。
「しばらく仕事を休んで、ぼーっとしてみたら?旅行に行くとかさぁ」
とT先生はよく言うけれど、ほんとに、ぼーっとしてたら、なんとなく、いろいろやりたいな、っていう活力がわいてきてるのは、本当。
気力のないとき、こんなブログを書いても、ただただ、しんどい、辛い、いっそ死んだほうが・・・くらいしか書けないけれど、今、そういう気分には全くならない。
元気になってきてる証拠なんだ・・・・・と喜びをかみしめています。
とはいえ、お豆腐のように、ちょっとのストレスで、くちゃ、っといってしまいそうな不安もある。
また再発したら・・・って思うと、確かにこわい。
でも、私の場合、T先生のおかげで、だいぶ「おきらく~に生きる」というのを教えてもらった気がする。
街の精神科医と違って、わざわざど田舎の診療所を買い取り、そこで最低でも一人15~20分はかけて、ゆっくり話をきいてくれたり、深刻な内容を、上手にちゃかしたり、おもしろい先生でね。
慌てたところがぜんぜんなくて。
前にどんな患者さんが診察室に入っていても、次、浮舟の順番になると、ふつーのゆとりあふれる感じで、「どうですか?」って始まる。気のせいというか、T先生の持ち味なんだろうけど、「浮舟さんの話を聞くためにまっていましたよ。さぁ、どうぞどんなところからでも話してくださいな」というのが伝わってきて。
なんだかんだで、約3年、お世話になっているうちに、T先生に、洗脳されちゃったんでしょうね。
だいたい、こう言うたらこう返事がかえってくるな、ってわかるようになった。
だから、悩まなくて済むようになったかな・・・。
今、プライベートは、相変わらず仕事は行ってないものの、一日、好きなことして、疲れたら昼寝して、犬の世話して、まぁ、この先なんとかなるさ、とやっと思えるようになり・・・・・。
そんなに死に急ぐことも、何の理由もないし、それよりもう少し、きままに生きていこう、と思えてきてね。
病気、自殺未遂、離婚、自傷、いろいろ辛いことをしてきちゃったけど、今は誰にでも、恥ずかしがらずに話せます。それは、ちゃんと過去として受容できるようになったからかなぁ・・・・とちょっと思う。
それで、引いてしまう人とは、それまでの関係の人、と思うようにしています。
べつに、軽蔑したければすればいいし、そんなの気にしません。
私は、誇りをもって、迷いながらも、必死で生きてきましたから、堂々としていられます。
こんな日が来るとは。こんなふうに言い切ることができる日がくるとは。とてもあの辛い日々では考えられませんでした。辛かった分、親にも、出来る限り、残りの(ってまだ60ですけど)日々を、楽しくすごしたいな、と思います。この子がいて、よかった、と思ってもらえるようにね・・・・ずっと犬猿の仲だったから。
普通(何が普通かよくわかりませんが)の家庭の人だったら、こんなに大回りしなくて済んだでしょうね。
浮舟のうちは、32年かけての大回りですからね~。ははは。
あとは、妹の頑固さが、少しきがかりなんですけどね・・・それはまた次回にでも。
鬱をうけいれていく
確かに、親には今でも・・・・・と思うところがたくさん、ある。親子だけど、ただ、それは生まれたというきっかけ、だけで、父、母、子、それぞれ全く別の人間なんだ、ってことが、ちょっとだけ、わかりだした。
10代の頃は、「親なのに、どうしてわかってくれないんだろう!」「なんでそんな傷つく言い方、平気で言えるんだろう!」といちいち、落ち込んでた。でも順位的に一番弱かった私は、言われ放題、特に母親のいい形代だった。それにちょっとでも近づこう!と努力してた自分が、今となってはいじらしい。
それがねー。やっぱり三十路っていうだけあって、なんとな~く、自分が親の歳になってきて、「父親、母親っていえば、子にとっては大きな存在だけど、本当は、こんなに未熟で、不安でいっぱい、自分のことをするだけで精一杯なのに、子の世話までしなきゃならない・・・大変だったんだなぁ」と思うようになってきた。
浮舟は父母ともに30歳のときの子で、もう32歳の浮舟の歳には、2歳の娘がいて、妹がおなかにできかけていた頃だと思うと、ぞっとする。わんこ一匹に、右往左往して、毎日闘いながらの日々なのに、この先80年以上も生き続けるだろう人間の子を育てると思うと、責任感でいっぱいになる。
人に迷惑をかけたり、犯罪を平気でできる人間になったら、どうしよう?
ここで、きつく叱っておかなくちゃ、まともな大人になれないかもしれない。
もともとキツい性格の母親だったから、そういう不安から、自分でも止められなかったんだろうね、浮舟への肉体的や言葉の暴力の数々。浮舟の涙。今もってくやしいけれど、でも、もしかしたら、浮舟に子供がいたら・・・同じことしてたかもしれないな・・・。人は、わからないものだから。
浮舟は、鬱になるべくしてなった、という気がする。
このままじゃ、越えられない山がある・・・と感じていた思いは、鬱のことだった。
でも、それをきっかけに、じっと心の奥に押し隠していた「本当の自分」が、やっと表にでてこれて、これでもう、何も後ろ暗いものがなくなったし、気持ちも楽になった。鬱はヤだけど。
いろんな人に、こうしてカミングアウトすることで、いろいろ反応はあるけれど、バカにされたり、気のせいだ、といわれたりしたことは、一度もない。それは、この世の中全体が、ストレスの多い社会になってきて、「実は自分も鬱だ」と言われたり、鬱ぎりぎり、とかで頑張ってたりする人が、すごく多いことに気づいた。
だから、珍しくなくなったんだよね、鬱が。
趣味:アームカット、リストカット、という時期があったから、左手は傷まるけ。手首は今年の傷だから、まだ赤く何本も残ってて、一目で、あー・・・とわかる。でも、時計で隠そうとか、リストバンドしようとか、ばんそうこう(手首だけで3枚くらい必要だね)を貼ろうとか、ちっとも思わない。人の目が、そっちへ行ってる、って気がしない。初めての夏は、幅広のテーピング用のテープ貼ったりしたけど、かぶれちゃって、なんかそれから、ふんぎりがついた。
べっつに浮舟が鬱でも、たまに発作的に切ってしまうこともあるけど、それを通り越して、ある日突然、死にたくなったりもするけど、でも、それでも生きてるし、ちゃんとカウンセリングや通院もしてるし、やることはやってるんだから、何にも恥じることはないんじゃないか、って。
たまたま、そういう病気というか、そういう心理状態になる症状を持ってるってだけで、これも病気と思えば、「仕方ない」と言い切ってしまうしか、ないよね。
それはどんな病気であれ、怪我であれ、「仕方ない」と受け入れるしか、ない。
福祉の勉強をかじると、まずいちばんにでてくるのが、「受容」という言葉。
どんな人であれ、「そういう人なんだ」とその人を認めるという意味。
また、自分においては、さっき書いたような、「仕方ない」と自然に思える心。
自分の「受容」は、とても難しくて、何年もかかる、って習ったけど、そのとおりだったなぁ。
初めは、「なんでこんなことになったんだ!」とあがき、失望し、それを繰り返しながら、だんだん「しかたない」を覚えていくというか・・・。そして、そこから、「鬱になってよかったことも、あるんだ」と発見したり。
浮舟は、そんなわかったようなこと言ってるけど、まだまだ受容の途中です。
今はブログ書く元気がある(おい、徹夜になっちゃった・・・)から、そんなふうに前向きに考えられるけど、
ベターっと寝たきりになると、・・・・・・・・・・・・・・・と思ったりね。なにせ、鬱患者はサーファーだから。
うまく波に乗らないとね。
去年の今頃は、7月末に死のうと思ってた。だけど、無事に一年めぐって、また京都は祗園祭が始まった。
宵々山くらいに、母親も来て、浴衣着て一緒にいこうか、という話になっている。(未定、って書いておかないと、あの人はすぐ人の約束をやぶるから。)
なんだか、去年の出来事ひとつひとつ思い出すと、今の平和に感謝したくなった。
なんか、涙がでてきたよ。
やっぱり、鬱だろうが、なんだろうが、人間、生きててなんぼ、なんやね。
去年は全く目に映らなかった山鉾を、今年は写真に収めて楽しんでこようと楽しみに待ってる自分がいる。
また、写真とったら、ここでもUPするからねん♪
ちょっと浮上してきました^^
私のブログにきてくださって、そして真剣に話をよんでくださって、ありがとうございます。それだけで、とっても救われた気がします。
私が17歳の時、たぶん鬱だと思うのですが、かなりつらい時代がありました。「だれか私の話を聞いて!!」とノートに何枚も何枚も、思いをぶつけて、そう書いたものです。
あのころこうしてPCがあって、いろんな人とつながってて、話を聞いてもらっていたら、どんなに楽に過ごせただろう・・・って思います。
でも思いようによれば、今現在、こうして遠く離れた、いろんな考えの人と話ができるようになって、よかったなぁって思います。そんな時代かまだ来てなかったら、浮舟はこの世にいることができたかどうか・・・。
こういうブログという手軽な公開日記もできて、時代に感謝したいなぁと思いました。
ここ最近の体調ですが、わりと日中、ごそごそと動いてるので、昼夜逆転が、半分くらいにストップし、一日中寝てる、という状態からちょっと抜け出しました!
ごそごそは何してるかというと、懸賞メール、在宅ビジネスメールなど、一日アホほどやってくるメールの削除、削除、削除、削除、ちょっとよむ、削除、削除、削除、削除、で疲れきる。
それと、ヤフオクに出品できそうな品物を、数え切れないほどもらったので、それを気分の乗ったときに、写真とったり出点したりしています。
出点すると落札者が現れるわけで、こちらもお金をもらうことになるので、おちおち寝ておれません。ちょっと張り切って、メールで連絡を取り合ったり、商品を包装(これがお店と違って、どれで包もう・・・と一苦労)して重さ計って、郵便局などに入金確認に行ったり、郵送したり、そんなこんなしてると、わりと疲れて、夜、だいぶ寝られるようになってきました。
ちょっといい波がやってきたみたいです(*´∀`)
それと、複数ブログを持ったからかなぁ。
外出するときは、どうせ近所しか行かないけれど、必ず携帯を持って行き、きれいな花なんか、意識して撮るようにしています。ちょっと生活にハリがでてきたかな?
DOUNしてる時があれば、UPすることもあり。
もぅそれは仕方ないこと・・・と割り切って、寝るときは寝る。元気なときはやりたいことをやってみる。
そういうペースでいかなしゃーないなぁ、って、元気なときは、わかってるんだよね~。ははは。
元気がなくなっても、それを忘れないように・・・それが難しいけど、課題かなぁ。
生まれた時から違う世界にいるのかも
ん~~~・・・と悩んだことがあった。イライラしていた浮舟は、心療内科の先生に、「なんで生きなあかんの?」とふっかけたことがあった。でも先生は穏やかに、「普通の人は、なんで生きなあかんか、なんて考えへんねん。ただ生きとんねん。」
それ聞いて、な~んかひっくり返りそうになった、吉本新喜劇みたいに。えぇぇ!!考えてない?!
「生きてたら、普通、考えへんの?」「んー、考えん人のが多い」「なんでぇ?」「考えても答えが出ないから」
答えがでない・・・。それに、浮舟は物心ついたときから、ずぅっと捕らわれてるのかと思うと、あほらし、と思うんだけど、捕らわれてしまってるものから、そう簡単に抜け出せるものでもない。
禁煙、禁酒が難しいのと似てるかもしれない。
去年の夏、精神病院に2ヶ月半入院したんだけど、そのときできた友達は、躁うつ病で入院していた。気があって、その子も無事退院できて、今でも仲良くしてるんだけど、その話をしたら、やっぱり驚いてた。
「え!普通の人は、なんで生きるか考えへんの!」って。
でも浮舟の友達に、同じ質問してみると、「いいことがあるって思って生活してる」「せっかくこの世に生かされてるんだから」等々、ちゃんとそれぞれ考えて答えてくれた。
でも、それを心療内科の先生(T先生といいます)に言うと、「それは”なぜ生きるか”の答えになってない」と。
難しいわ。禅問答してるみたいで。坊さんじゃないから、なんだかさっぱりわからなくなってくる。
考えるな、と言われたら、「ハイ」と頭からすぅぅ~~~っと抜けていったらいいのに、と思う。
頑固なんやね、浮舟は。だから同じところをぐるぐる回って、ちっとも抜け出せない。
そこまでわかってるのに、できないのは、なぜ?
元気で長生きしたい!と願う普通の人と、もぅそー長く生きてたくない、なんかの拍子に死ねたらな~と願う人と。生まれたときから、違う世界にいるのかもしれない・・・。だって全く正反対のことを、真剣に願ってるなんて、おかしいもの・・・。
「私もみんなみたいに、そういうこと考えない人間に生まれたかった!なんで私はこんなふうに生まれたの!どうして!なのにどうしてみんなと一緒みたいに生きてなあかんの!」
さんざんT先生に愚痴ったけれど、T先生は上手に煙にまいて、なんだかんだと静められてしまった。納得はいかなかったけど。「死んではいけないのは、人類の約束だから」らしい・・。
世の中、長生きしたい人が、病気や事故でなくなっていく。それなのに、もういいのに、って思ってる鬱的思考の人は、案外世の中にのさばって、長生きしてる。だから自分で人生の幕を閉じることばかり考える。
相容れないのかもしれない・・・。生きていたい人の気持ちがわからないように、早く死にたい人の気持ちも、わかる訳がないのかもしれない・・・。
それでもこの世は「生きて」いかなければならない法則になっていて。少数派の私たちは、「病気」とみなされる。特にイヤなことも、ないんだよ。別に困って首をくくらなくちゃならない理由は、何ひとつ、ないのに。
「歳とったら治ります」とT先生はいうけれど・・・いつまで待てば、普通の人の仲間入りができるのかなぁ・・・。今は、おとなしく通院し、カウンセリングを受け、薬を飲み、自傷を押さえ、自殺せず、しずかに、しずかに、川の流れに身をまかせた浮舟のようにくらしていくしかないようです・・・。
母親がきていました
土曜から月曜の朝まで、母親が来ていました。私が精神病院に入院して、退院後、私の生活の援助や相談にのったり愚痴をきいてくれてる上司が、母親に、もう少し構ってやってください、とでも言うたらしく、ここ半年ばかり、毎月来るようになりました。
私はこの母が、小さいころから嫌いでした。たしかに、家事はカンペキ、学校帰ってくれば、手作りのおやつがまっていて、布団はいつも干してふかふか、手伝いや買い物は全部母親まかせで、「あんたは勉強してればいい」という方針でした。
母は(今もそうですが)頭のいい、元気な人です。勉強もできたらしく、高校も結構いいところに受かったのですが、家の経済状態(父親が早くになくなっていた)がイマイチで、兄弟が援助するから高校へ行け、というのも聞かず、(世話になりたくなかったらしい)、中学卒業後、洋裁をならったりして、それでも大企業に上手に入社し、そこの取引先だった男性と結婚し、長女の私ができてから退職、その後専業主婦一筋できた人でした。
自分が勉強を途中で諦めざるをえなかった、ということが、この人にとって、ずっと心残りであり、悔しさであり、その分、子供は大学まで行かせる!!というのが、私が小さいころからの夢だったようです。「あんたは○○大学へ行くのよ」と、○○大学って何?という頃から聞かされて育ちました。
自分の叶わなかった夢を子に託し、そのため私はたいへんスパルタ教育を敷かれました。勉強だけでなく、日常すべてに、大変厳しく、子供だからと妥協をゆるさない人でした。特に学校の成績にはうるさく、テストの点数にはことさら、注文がつきました。100点で当たり前。98点でも、間違えたところについて、コンコンと説教されました。なんとか見せられたのは95点まで、90点までは、叱られるのを覚悟し、なるべく機嫌よさそうな日を見計らって見せる、というありさま。何かの拍子で、80点台をとると、これをどうやって母親にみせよう・・・とかなり毎日悩み、苦しみました。そしてランドセルの底にかくしているのを見つかると、「なんで隠したの!!」と隠したことを叱ってるんだと豪語しながら、全裸にされて、玄関の外に放り出されました。
幼かった私は、庭の見えないところにでもひっこんでいればよかったのに、バカだった私は、通りから見える玄関口で、戸をドンドンたたき、「あけてぇぇぇぇ」と泣き叫び、恥ずかしいのと悲しいのと、なんでこんな目にあっているのか理解できないのとで、とにかくパニックでした。今も実家の玄関に立つと、そのときの記憶がフラッシュバックして、辛い辛い気持ちになります。今でも実家は監獄のような窮屈さ、うっとおしさ、恐ろしさを感じます。
ですが、私が鬱になり、なにかこう、我慢してきたものがぶわ~っと我慢しきれなくなって外へあふれでるようになり、何度も母親に、そういう辛かったことを話しました。「あのときこう言われた」「あのとき・・・」と、過去の聞きたくないような話を、逆に全部、ぶつけました。母親は動揺して、「そんなひどいこと言った・・・?!」と全く覚えていないんですね。言葉の暴力のある人って、自分の言ったことは、忘れてしまうんですね・・・。
その母親が、一月に一回の訪問にやってきました。一人暮らしを以前8年しましたが、電話一本してこない人でしたが、ちょっと変わったところをみせたいのか、私の上司に顔向けできるように来ているのかしりませんが・・・とにかく今月も来ました。
やっぱり、嬉しいという感じはありません。「掃除してくれないかな~」という気持ちはありますが。
母親ペースに自分もあわせる、という感じで、それでいながら母親も、今は腫れ物にさわるように私のことを扱っている、というのもわかるのだけど・・・相容れないんですね、基本的に。一緒にいると、疲れる人なのです。なので、帰っていくと、ホッとします。はぁ~~~~~とひざをくずす、というか。
親子関係は、難しいですね。血がつながっていても、やはり全くの別人なんだと感じます。
とりあえず母親が来ている間じゅう、気まずくならなくてよかった・・・とホッとしているところです。

