支援員をしていて時々

 

「私たちは、丸腰で戦ってるなー」

 

って思う。

 

 

担任の先生たちは、「成績表」だったり「親に連絡」だったり、

ある意味武器がある。

 

「おうちの人に連絡するよ」と言わないにしても、

子どもたちの頭のどっかにあるんだと思う。

 

 

私たちには、ない。

 

 

その結果、

存在を否定する言葉を投げつけられたり、

顔に唾を吐きかけられたことがあったり、

後ろから抱きつかれて胸を触られたこともある。

 

 

子どものしたことだから・・・

 

我慢しなければいけないの?

 

 

抱きつかれた時は、その現場にいた教頭先生に状況を説明したけど、

生徒への指導はしてくれなかった。

 

 

 

さて、どうする?

 

毎日こんなことが起こるのなら、とっくに辞めてるけど、

毎日ではない。

 

私が辞めたら済む問題ではない(その子の反省はない)。

 

 

 

 

社会でやってはいけない行為は、

 

小学校の中でもダメなはず。

 

犯罪行為でもある。

 

 

人権学習に取り組んでいるはずの子どもたちだけれど、

身につくには時間がかかる。

 

 

 

「やられたらやり返す」ができない私の立場。

 

今のとこ身につけてる私の武器は、「気迫」と「言葉」かな。

 

 

「言葉」は、やってはいけない理由を考えさせるための言葉。

(なぜ、やってはいけないか先に教えてしまうこともあるけれど)

 

 

自分を守るためというより、

 

大人になった時のその子を守るために武器を使う。

 

 

 

今の段階で、やっていいことといけないことの区別がついていないと、

 

大人になったとき、他人との協力ができなかったり、犯罪加害者になったり、

 

誰も望んでない結果になってしまう。

 

 

 

 

ー・ー・ー・ー

 

学校の出来事を時々家で話すと、

娘がこんなことを言う

 

「ママ、見た目優しいもんねー」

 

「ママに刃向かうとか命知らず」

 

 

娘は陰でで私のことを

「ラスボス」

「我が家のヒエラルキーのトップ」

と言っている。

 

家でも娘の将来に役立つことしか言ってないのになぁ〜

 

 

こんなこと言えるくらい萎縮はしてないようなので、娘との関係は良しとしてます。

こんにちは。

 

小学校で特別支援教育支援員をしているmieです。

 

 

発達障害といわれる子どもたちが通う支援学級や通常学級に通う子どもたちとのかかわりの中で、気付いたこと学んだことを書いています。(プライバシーには配慮しています)

 

 

今週の月曜日、26日から2学期が始まりましたね。

 

(始まったばかりですが、台風の影響で今日は休みです。)

 

 

始業式の朝、通学路で見た光景

 

 

学校に向かって歩いていはいるけれど、

うつむいて、

靴のサイズ半分ずつしか進んでいない。

 

そんな男の子がいました。

 

「おはよう」と声をかけたら、返事はなく。

 

しばらく色々声をかけて、やっと

 

 

「まだ家にいたかった」って思っていることがわかりました。

 

 

「そう思ったのに、学校に歩いてるのね、えらかったね」

って励ましながら、なんとか学校に着きました。

 

 

 

その後、気になったのでその子のクラスを見に行くと

 

やっぱりうつむいたまま、ランドセルは机の上のまま、

 

自分の席に座っていました。

 

 

担任の先生の机の上には、その子のお母さんからのメモ書きがあり、

 

「宿題が終わってません。今日一緒にします」

 

って書いてありました。

 

 

宿題が終わってなくて、学校に行きたくなかったようです。

ショボーン

 

 

4年生の子だったんですが、

 

宿題のペース配分を考えられるように

 

大人のサポートが必要だったようです。

 

宿題をするちょっとしたリマインドも必要だったかもしれません。

 

 

宿題が終わってなくて、学校に行きたくないってなった

 

今回の経験も1つの学びではあります。

 

 

 

来年は、夏休みの期間内宿題を終わらせるように、

 

計画を立てて、宿題を終わらせることができるといいですね。

 

始業式の朝、元気に学校に行けるように

 

 

 

〜・〜・〜

 

 

 

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普段は、発達障害といわれる子どもたちが通う支援学級や通常学級に通う子どもたちとのかかわりの中で、気付いたこと学んだことを書いています。(プライバシーには配慮しています)

 

〜・〜・〜

今日は、本の感想です。

 

 

最近、感染症だったり、物価だったり、株価だったり、戦争だったり、想定外のことが色々起こっているように感じます。

 

「VUCAの時代」って言葉を聞くようになってずいぶん経ちましたね。

 

(「VUCA」Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧さ)の頭文字)

 

 

この本の著者は、金融アナリストなので、本の内容も株式市場や経済の話が主です。

でも、経済は実生活にも深く関わっているので、これからの時代の対処法を学べる良い本だと思います。

 

この本をはじめの方だけ読むと、「予測しても外れるんなら、予測しても無駄じゃん」「その場その場で行動するしかないのかな」って思ってしまそうなんだけど、そうじゃない。

 

予測できる未来と予測できない未来があって、予測できる未来において起きる結果は確率の問題になる。予測して考えられる複数の結果に対応できるように準備しておく必要がある。

 

 

この本で、特にオススメのが

「第4章 人間の心理バイアス─失敗はパターン化される」

 

心理バイアス(または認知バイアス)は、人の心理に備わる傾向的な癖、思い込みや思考の偏りのことです。

 

 

この章を読んでいると、今まで経験したことを思い出して、いろんな謎も解けると思いますよ。(私も、自分がやったこと、誰かにされたこと思い出して、あったな〜原因はコレか〜爆  笑って笑っちゃいました。)

 

 

著者は、

「心理バイアスの問題を取り上げる際に、人が判断を間違えることそのものを問題にしているわけではないということだ。」

 

と言われています。

 

じゃ何が問題はてなマーク

 

人が「バイアスに囚われている」という場合には、ただ単に個々の判断が間違っているのではなく、皆が同じ方向に間違えてしまうことを意味している。

 

ということは、同じ方向に間違えてしまわないように、自分にもみんなにも心理バイアスがあることを知っておくこと大事!!

 

 

特に今はインターネットで世界中繋がっているから、惑わされないようにしないと被害が大きくなってします。

 

 

 

 

この本を読んで思い出したのが、「ニーバーの祈り」

 

1930〜40年代、アメリカの神学者ラインホールド・ニーバーの祈りの言葉だと言われています。

 

「主よ、変えられないものを受け入れる心の静けさと、 
変えられるものを変える勇気と、 
その両者を見分ける英知を我に与え給え」

(渡辺和子訳) 

 

変えられるものと変えられないものを見分けられる英知を与え給え

 

に追加して、

 

予測できるものと予測できないものを見分けられる英知を与え給え

 

って言いたくなった。

 

神頼みってわけにもいかないから、

「この本に書いてあるから、理解しよう」

と思う。

 

(神頼みも心理バイアスの一つとして説明してありました^^)

 

 

 

 

 

〜・〜・〜

 

 

時々小学校で子どもたちから「先生、なんで戦争すんの?」って聞かれます。


私たちは誰もが平和が良いって思っているはずなのに、なぜそうならないんだろう?

 


学びを実践する仲間たちが様々な観点からお話してくれます。
(私も午後の部でお話させていただきます)


一緒に平和な未来について考えてみませんか?

 

 

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