みなさんは、
“週刊『あはきワールド』
”
をご存知ですか?
ヒューマンワールドさまが発行しています“無料のメールマガジン”
なんですが…
今回のイベントに委託販売として参加頂きます東北の作家さまより、私はその存在を知りました。
その方は、2度の大震災を経験された方で、東北地方太平洋冲地震では、宮城県の石巻市で被災し、家屋流出でご自宅を失われました。
ただ今は他県に避難中で、資材も何もかも失くし1 年経って少しずつハンドメイドを始めたと言う方でした。
その方が書かれた手記があります。
とても衝撃的な内容ですが、皆さんにぜひ知って頂きたく、手記を書かれました方の了承と、
“週刊『あはきワールド』
”
のヒューマンワールドさまの了承を得まして、ココに転載させて頂きます。
長くなりますが、知っておかなければならない事実ですので、みなさまぜひ、最後までご覧いただけますと幸いです![]()
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手記
【あの日あの時で止まったままの私】
~二度の大震災を経験して~
(東日本大震災3日後、自宅周辺にて(2011年3月14日撮影〉)
阪神・淡路大震災の記憶
1995年(平成7年)1月17日午前5時46分52秒。
「ドォーン」
という下から突き上げるような衝撃で目が覚めました。
一瞬、ミサイル攻撃かと思い慌ててラジオをつけると
「地震です!」
というアナウンサーの声。
阪神・淡路大震災でした。
当時、私は美術短大2年生で大阪の豊中市に住んでおりました。
短大から大学に編入して、一級建築士か美術教諭と考えていましたが、途中で東洋医学が勉強したくなり、とりあえず美術教諭二種免許を取って短大だけは卒業しようと卒業制作に取り組んでいた時の出来事でした。
私が住んでいた豊中市の千里中央駅近郊はそれほど大きな被害はありませんでしたが、スーパーやコンビニから品物が一斉になくなり、しばらくの間は特に生理用品と紙オムツが不足していました。
この年は阪神・淡路大震災の後に地下鉄サリン事件も起こり、たくさんの人が亡くなり、悲しく慌ただしかった記憶があります。
右か左か 生死を分けた選択
2011年(平成23年)3月11日14時46分18秒。
東日本大震災。
宮城県石巻市で被災しました。
私は近所に往診中で、一人暮らしの患者さんの所にいました。
地震直後、
「6mを超える津波が予想される」
と防災無線が聞こえ、患者さん宅に御近所の方が来たので貴重品と装具をまとめて一緒に避難するように言い、私は車で家に向かいました。
途中水を買おうとコンビニに寄りましたが、店内に入った瞬間、嫌な感じがしたので何も買わずに出ました。
沿岸部から避難する車で対向車線は大渋滞。
自宅は沿岸部方向なので道は空いていて動けました。
日本製紙石巻工場の近くに来た時、
「家に行って、この渋滞に巻き込まれたら動けなくなる。まずは怖い思いをしている子供達の幼稚園に先に行って、津波警報が解除になってから家に行こう」
と思い直し、高台にある幼稚園に向かうべく左に曲がり裏道に入りました。
この時、左に曲がらず、直進して家に戻っていたら、津波に巻き込まれ生きてはいませんでした。
(石巻商店街にて(2011年3月14日撮影〉)
やはり幼稚園への道も渋滞していたので少し広くなっている所に車を置いて走り、子供達2人と無事に会え、日和山の鹿島御児神社に避難しました。
後で車を置いた所に行ってみると8m先まで津波が来ていました。
阪神・淡路大震災を経験から、宮城の石巻で地震があるとするならば津波が来るだろうと思い、子供達の幼稚園は高台の幼稚園を選んで入園させたので、地震があってもパニックにはならず冷静でいられました。
ただ、降園してしまった子達と通園バスが被害に遭い、8人の園児が亡くなり1人の園児が行方不明、送迎バスのおばさんも行方不明のままです。
息子が4月から通うはずだった門脇小学校は全焼しました。
自宅は津波に流され、さらに火災に遭いました。
絶望しかけていた夫との再会
夫は恩のある方から頼まれ、名取市の閖上港の近くに往診に行っておりました。
地震後3時01分に
「今から帰るから」
と電話が来て、その後音信不通。
メールを送っても送信不可の時もあり、何回か送りましたが届いているのかもわかりませんでした。
全く連絡がつかないまま、津波の被害状況が入るに従い、絶望していく自分がいました。
子供達は
「パパに会いたいよ~」
と泣き始め、
「パパは人助けに行ったのだから、死ぬはずはない。絶対に帰ってくる」
と、自分と子供達に言い聞かせていました。
そうでもしないと、そう信じていないと、どうしていいのかわからなかったからです。
日和山の友人宅に避難して3日目の朝、夫は最後に届いた
「子供達も無事。日和山の○○さん宅に避難しています」
のメールを頼りに、仙台の知人の所にガス欠寸前の車を置き、石巻まで歩いてきました。
途中、冠水が酷く道は寸断され、遠回りをし、遺体が浮いているのを横目に、必死で歩いてきました。
やはり夫も、右に行くか、左に行くかで、運命が分かれたと言っていました。
(大震災3日後、日和山公園からの風景(2011年3月14日撮影〉)
(今年の初詣の際、上の写真とほぼ同じ位置から撮影した風景(2011年1月4日撮影〉)
自宅は瓦礫と化し、友人宅で避難生活
私が自宅に向かう途中、対向車線で大渋滞をしていた車は人が乗ったまま津波に浚われ、その車が津波でぶつかり合いガソリンに引火し火事が出ました。
火事の近くの瓦礫の上で、
「助けてくれ~」
と助けを呼ぶ人がいましたが、水は引かず瓦礫で足場も悪く、電話も通じず、なす術がありません。
助けたくても助けられませんでした。
その時の
「助けてくれ~」
という声が、今でも責め続けるかのように耳から離れてはくれません。
火事は消すこともできず、三日三晩燃え続けました。
震災2週間後に自宅近くまで車で行けるようになっていました。
自衛隊の方達が遺体搬送のために道路の瓦礫を除け、通れるようにしてありましたが、瓦礫だらけで目印になる物が何もなく、自分の家の場所でさえ
「この辺り?」
と憶測することしかできません。
ただただ呆然。
電柱も建物も信号も薙ぎ倒され、津波の運んだ泥が地面を覆い、遠近感がおかしくなるほど、真っ平です。
震災後の石巻市は例年より寒く、毎日のように雪が散らついていました。
まるで、雪が犠牲になった方達の御遺体を傷まないよう守るかのようでした…。
日和山の友人宅での避難生活は、冬の陽だまりのように楽しいものでした。
「○○さんが無事」
と聞いて抱き合って喜び、
「○○さんが見つからない」
と聞いて皆で泣き、
「電気が来た」
と言っては大喜びをし、
「○○さんが遺体で見つかった」
と泣き、毎日笑ったり泣いたり憤ったり。
余震の恐怖で眠れず、私達家族だけではおかしくなっていたかもしれません。
大脳の処理能力を超えた感情や情報、体験などを繰り返し受けると、何かが停止している感じがします。
今でも何処かが麻痺したままです。
群馬の実家へ避難
3月27日に、友人が一晩中並んで買ってくれたガソリンで群馬に向けて発ちました。
いいお付き合いをしていた人達と、別れる。
しかも、皆、家や家族や仕事など、たくさんのものを失って別れる。
世の中には、こういう辛過ぎる別れというのが、ある。
この日、日和山から見る海はきらきらと光を反射し、いつもと変わらない穏やかな春の海でした。
約3週間前、たくさんの人の命と希望を奪い、家や街を破壊した海と本当に同じ海なのだろうか?
夢の中の出来事だったかのように、まだ実感がありません。
(石巻工業港バイパス周辺にて(2011年4月16日撮影〉)
私は実家という帰れる場所があり、仕事も鍼灸師・登録販売者という免許と資格があり、何より家族が揃っています。
たくさんの友人達に助けられ、とても恵まれています。
家族を亡くした友人達の事を思うと、心が痛みます。
大切な人達を被災地に残して、私の家族だけ、被害のほとんどない群馬に避難してしまって、いいのだろうか?
常にこういう罪悪感が付き纏っています。
あの日あの時に置き去りになった自分を探す
あの日のあの時間のまま止まってしまったものがたくさんあります。
冷蔵庫の中には買っておいたおかずがあり、夕食はこれにしようと思っていたこと。
家の棚にあるマグカップの様子。
干していた洗濯物の種類と数。
しまっておいたお気に入りの服・・・・・・。
何回も家だった場所に行き、テレビで見て、みんな流され、焼かれ、何もないのはわかっている。
でも、まだそこに、いつもの続きがあるような感じがしている。
何もなかったかのように。
あの日、あの時間を境に置き去りになってしまっている自分。
その自分を探し続けたまま、被災したみんなは、生活し、生きていくのかもしれません。
震災後2カ月以上が経ちました。
手記を書くにあたり、たった2カ月前の出来事なのに振り返るのはとてもとても辛い作業でした。
mixiで書いていた日記を読み返すのも辛かったです。
町中の明かりが消えた震災の日の夜、皮肉なほど綺麗だった星空を、私は一生忘れないでしょう。
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★この記事は、
http://www.human-world.co.jp/ahaki_world/newsitem/11/0601/110601_5_shuki.html
にて掲載されました記事を、転載させて頂いたものです。
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みなさんは、どう感じられましたでしょうか?
最初、コチラの手記を読ませて頂いた時にも涙が出ましたが、転載させて頂き、改めて読ませて頂いた今も、目が熱くなります。
いろいろな方々が、いろいろな思いをされた震災。
あなたは、この手記を読んで、何を思いましたか??
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『KOKOOLUA~手作り雑貨フェア~』
まで
あと10日![]()
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…です![]()
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【震災復興支援イベント
】
『KOKOOLUA ~手作り雑貨フェア~』Vol.1
in~大阪市中央公会堂![]()
◆開催日時 : 2012年4月28日(土) 10:30~17時![]()
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◆開催場所 : 大阪市中央公会堂
3階 中集会場
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