人って歳を取るほど、同じようなことを繰り返し体験してきたから、ショックさせることも、感動させることも、だんだん減っていく。
だから「はじめて」の経験はどれだけ重要であることは言うまでもない。
低気温と風邪で、泳いだりもできない状況で小説たくさん買ってきて、一週間で二冊を読んだ。
まずは小デュマの「椿姫」の演劇脚本。
高校の時小説を読んだことがあるが、原作者による脚本を読むのははじめて。
ストーリーはよく知っているから、初回のように感動したほどでもない。しかし、そういう物語なら、どんな時代でも色が褪めないし、いつ読んでも心を打つのだ。
自分か小説好きのせいかもしれないが、演劇脚本という形式での表現を読むと、ちょっと唐突じゃないかって感じたときがたまにある。一方、小デュマさんが気持ち爆発して一気に書いた小説に比べて、演劇のほうが確かにより精緻だと感じた。結末、マグリットが愛している人の目の前に安眠できた、という部分を読んだら、「これはもう悲劇じゃねぇんだよ」と思ったりさえしたんだ。(笑)
いつか「椿姫」のオペラも観てみたいな。
そして、自分を輾転反側に、夜も寝られないようにさせたのはこの一冊。

張 愛玲、「半生縁」
ずっと読みたかった中華民国時代の有名な作家だけと、ストーリーに落ちる恐れがあってなかなか読む勇気がなかった。この初の小説を読んだら、やはり予想とおりだ。(苦笑)
読みがいのある長編。その時代のごく普通の人たちの暮らしについて、ごく普通の若者の恋について、ごく普通の人生について。
1930年代の上海での物語だが、ストーリー自体にはハートがある。時代、人種、地域など、いずれも支障にはならない、心を持っていれば必ず感じられるのだ。
泣かないほど悲しいけど。
「我要你知道,这世界上有一个人,是永远等着你的,不管是在什么时候,不管你是在什么地方,反正你知道,总有这样一个人」
これは女主人公からの手紙の中で語られる言葉。
「貴方に知っておいてほしいのは、この世界には貴方をずっと待っている人がいるということ。何時でも、貴方が何処にいようとも、ともかくね、そういう人がいるって」
人ってこういうように愛されたことがあれば、それからの人生では過分の望みなど抱くべきではない。
かといって、そういう願いがあることだけでも、過分の望みなのかもしれない。(笑)
だから「はじめて」の経験はどれだけ重要であることは言うまでもない。
低気温と風邪で、泳いだりもできない状況で小説たくさん買ってきて、一週間で二冊を読んだ。
まずは小デュマの「椿姫」の演劇脚本。
高校の時小説を読んだことがあるが、原作者による脚本を読むのははじめて。
ストーリーはよく知っているから、初回のように感動したほどでもない。しかし、そういう物語なら、どんな時代でも色が褪めないし、いつ読んでも心を打つのだ。
自分か小説好きのせいかもしれないが、演劇脚本という形式での表現を読むと、ちょっと唐突じゃないかって感じたときがたまにある。一方、小デュマさんが気持ち爆発して一気に書いた小説に比べて、演劇のほうが確かにより精緻だと感じた。結末、マグリットが愛している人の目の前に安眠できた、という部分を読んだら、「これはもう悲劇じゃねぇんだよ」と思ったりさえしたんだ。(笑)
いつか「椿姫」のオペラも観てみたいな。
そして、自分を輾転反側に、夜も寝られないようにさせたのはこの一冊。

張 愛玲、「半生縁」
ずっと読みたかった中華民国時代の有名な作家だけと、ストーリーに落ちる恐れがあってなかなか読む勇気がなかった。この初の小説を読んだら、やはり予想とおりだ。(苦笑)
読みがいのある長編。その時代のごく普通の人たちの暮らしについて、ごく普通の若者の恋について、ごく普通の人生について。
1930年代の上海での物語だが、ストーリー自体にはハートがある。時代、人種、地域など、いずれも支障にはならない、心を持っていれば必ず感じられるのだ。
泣かないほど悲しいけど。
「我要你知道,这世界上有一个人,是永远等着你的,不管是在什么时候,不管你是在什么地方,反正你知道,总有这样一个人」
これは女主人公からの手紙の中で語られる言葉。
「貴方に知っておいてほしいのは、この世界には貴方をずっと待っている人がいるということ。何時でも、貴方が何処にいようとも、ともかくね、そういう人がいるって」
人ってこういうように愛されたことがあれば、それからの人生では過分の望みなど抱くべきではない。
かといって、そういう願いがあることだけでも、過分の望みなのかもしれない。(笑)
