私の「明日入浴シーンの撮影よろしく」というメールに

「ふぁーい、分かりまった
ちっとはっかしいな
だって骨田骨子の肉体を撮られるなんて
ちょいと複雑なものがありまひゅでひゅ 
よろぴくでーひゅ」

と佐々木さんから返事があった。

脳性マヒの佐々木さんのドキュメンタリー『ここにおる』を撮影中。その企画に関わってくれている障がい者の友人が「障がい者はいつも裸でいきるわけよ。コンプレックス逆手にさらけだす快感。女で悪いか、女とはなんや。美とは?ちづこさんがOKならあなたがきれいに撮って」と提案してくれた。

前々回入浴シーンに付き添って、気持ちよく入浴している佐々木さんを見、あまり衝撃はなかった。でも今回撮影させてもらって、ものすごく重たいものを感じた、けど、すっごく軽くなった。

佐々木さんの肉体はかなり痩せていて、本人が言うように「骨田骨子」。しかし、私はきれいに見えた。とってもきれいに撮れたと思う。
「あんたやから、信頼して撮ってもらった」と言ってくれた。

カメラが突然10倍ぐらいに重くなり、落としそうになった。でもすっごく嬉しかった。

彼女はずいぶん覚悟をしてくれただろう、カメラをまわしている私に、いやその向こうにある多くの人の目にさらされる自分の肉体。それをさらけ出す覚悟。私にはできそうもない覚悟を。

しかし、佐々木さんはただ恥ずかしがってはいない。撮影の前にしっかり、ものすごくきれいな色に髪を染めていて、その色と肉体がメチャクチャ衝撃的に美しいのだ。

やられたなあ。はめられたなあ、いやもう私は佐々木さんにはまってしまった。そんな感じ。

やっと最初に思っていた「一緒に作る」ということを感じられるようになってきた。

いよいよ撮影も最後になってきた。あと少し、もう少し撮りたい。
ただただ、日常を淡々と撮っているだけなのだが、はまった。「佐々木千津子さんという人が、ここにおるんじゃけぇ、見ていきんさい」と。今、無性にこの面白さを伝えたいと心から思う!

最近ちょっと佐々木さんに近づけたような気がして来た。

最初佐々木さんのドキュメンタリーを撮ろうと思ったのは『忘れてほしゅうない』を撮った後、おもろい人やなあ、この人となら新しい作品づくりができるかも知れないと思い。佐々木さんに持ちかけた。しかし、なかなかうまくいかなかった。どうも歯車が合わない。そんな感じが毎回していた。きっと佐々木さんは私が何を撮りたいのかわからない。実際私も分かってなかった。ただわからんなりに、こっちの思いに佐々木さんを当てはめようとしていただけだった。

やっと、撮影して半年たった今、分かってきた。


ある写真家の話し、人を射抜くのでなく、人に返す写真を撮ったと。

私は人を射抜くような映像を撮ろうと。すごい映像を撮るぞ。佐々木さんというぶっ飛んだ女性障害者がいるゾ。と。でも実際はもう声をだすのもたいへんで、日々二次障害に悩やまされ、痛みが走り、どんどん思うようにならない、精神的に落ち込み、ブラックホールの中にはまり、そこからなかなかはい出せなくなってきている。

そんな佐々木さんにカメラを向ける。私はいったい何を撮っているのか?でも時々面白い場面にでくわす。まあ、これをつないでいったらなんとか作品に成るかもしれない。そんないい加減な、でもなんか違うという気持ちの葛藤の中で悶々としていた。


ある日、佐々木さんとメールのやり取りをしていた。

「あなたももっと派手にしたらいい」と言われ、「よっしゃ今度は少しぶっ飛ぶわ」なんて返した。「下もやよ」とこれは私と佐々木がわかる話し。実は佐々木さんはとってもかわいい下着を身につけている。私は身につけたくてもちょっとはずかしくてはけないような下着。だから「せやね、今度は挑戦するわ」と返した。でもこんなやり取りする中で、私自信も何かにしばられていることをすごく感じ、それをぶち破りたいと思っている自分を感じた。それをさせてくれるのが佐々木さんだ。もっと自分に素直に、自由奔放になりたい!そんなことを思わせてくれる。

今回の映像はまさにそうしたい。もっともっと自由に。でもそれは私が勝手に描く佐々木さん像の中にはめることではなく、逆だったのだ。ありのままの佐々木さんをカメラで捉えることの恐さ。それをやらないと。そこからしか佐々木さん像はでてこない。もっとすなおに、彼女の「人」を撮っていこう。今はそう思っている。

私も佐々木さんに返すものを作りたい。佐々木さんが一緒にビデオ作って良かった。と思ってもらえるものを作りたい。このビデオをちょっとでも体の痛みを忘れられるように、ちょっとでも暗闇に入りこむことが無くなるように。今のままの佐々木さんであってほしいし、あなたの良い所をいっぱいいっぱい見つけていきたい。しかし、ぶっ飛んだ華やかな障害者じゃなくていいよ。痛いときは痛いし、いやになる時はいやになる。死にたくなる時もある、遺稿集を書いているとも言う。それでもあなたは生きている。まだ何かしてないことがあると言う、そんなあなたがそこに生きている。

それらをまるごとカメラにおさめられるだろうか。あらためてやってみたくなった。
以前『忘れてほしゅうない』を依頼で作って佐々木さんに出会い、彼女の生き方、人柄がおもしろく、自主制作したいと思った。彼女もすごく表現豊な人なので、コラボして制作したいなあと話あってきた。

でもなかなかゴーできずにいた。脳性麻痺の友人やライターの友人や映像関係の仕事してる人などにその思いを話して、一緒に制作してくれることになった。

いよいよ7月14日撮影開始。広島まで車で移動。しかし、7月は暑い!夏と冬の撮影はきびしいと分かっていたのに!

炎天下、とりあえず、車椅子の佐々木さんを追っかけた。撮影初日佐々木さんはリハビリに出かけた。その時の介護の女性、なんとすっごい健脚の持ち主。めちゃ早足。

カメラマンは先回りして撮影。三脚を持つ私はカメラに追いつけず、四苦八苦。暑いよ~。TシャツもGパンもビチョビチョ。

しかし、どうしようと迷いながら、何か腑に落ちないまま、撮影開始。良い映像は撮れたけど、なんかちがう!

痛そうな顔の彼女、しんどそうな顔の彼女。ほんとはぶっとんだ元気な彼女を描こうと思ってたのに…

夜、カメラマンといろいろ話をして、少し見えてきた。佐々木さんとコラボしたかったのや。彼女のエッセイは淡々とした文章の中になにか深いんものがひそんでいる。それと映像のコラボをしようと思った。

彼女の痛い!という表情、醜いまでの痛々しい表情のアップとエッセイ。楽しそうに笑う顔とエッセイ。怒りの表情とエッセイ。ピンクの好きな彼女。ピンクとエッセイ。まだぼんやりしてるけどそんな表現にしていきたいと思った。

そして、私には「家族」が底にあるテーマ。家族幻想。結婚。離婚。彼女も結婚し離婚。彼女の幻想は?

さっき彼女から電話があった。私の思いをそのままぶつけた。

彼女も腑に落ちてなかったようだ。こんな撮影でどうなるのか?つきつけられた。お互いぶつかりあいながら、共同制作しようと確認しあえた。

今後はどうなるのか、とりあえず8月は広島カープファンの佐々木さんの球場通いを撮影するか!

そして、人の出会いというのはすごい!以前厚かましく一泊させてもらった友人に「今広島に来てるけど…」と電話。撮影の話をすると「うちに泊まりな」と宿を提供してくれた。当面の経費をいろんな人の出資金でゴーしたので、宿泊させもらうのは嬉しい!まだ3、4回しか会ってない人なのに。なが~い付き合いのような気がする。

いつもながら、珍道中ならず、珍撮影の旅が始まった。なんだかワクワクしてきて、まだまだ人生すてたもんじゃないなあ…
 佐々木千津子さんを中心に強制不妊手術の不当性を訴えるビデオ『忘れてほしゅうない』完成から3年がたちました。当時私はビデオ工房AKAMEに所属しており、優生思想を問うネットワークからの依頼で制作しました。初めて佐々木さんと出会い、とっても魅力的な人だと思いました。その時は啓発ビデオを作りましたが、その後佐々木さんの生きざまに焦点をあてたドキュメンタリーを撮りたいとその企画をあたためてきました。
 佐々木さんは生後1週間で高熱を発し脳性マヒになりました。その後学校に行く権利を奪われ、家で生活していました。しかし、18歳ごろ姉の縁談が壊れ、自分のせいだと思い込まされ、施設に追いやられました。その時、施設に入るには生理を無くさないといけない、手術をするともっと楽になると勧められ、何もわからないままにコバルト照射を受けてしまいました。その後ずいぶん体調が悪い中、施設の中でがんばらされ、できない自分が悪いと思わされてきました。しかし、障がい者団体のキャンプがきっかけで、施設からでて、自立生活をしようと決心。今にいたります。
 佐々木さんはそのような体調の悪さや家族との葛藤や社会からの差別など過去のできごとすべてを受け入れ、昨日をくやまず今日を生きている。人間として誇り高く、いやあ、何と言ってもゆかいな人です。施設ではトレーナーしか着られなかったので、今はジーパンをはくことにこだわっています。なかなかおしゃれでもあります。そしてビールが大好きで、イケメンの兄ちゃんが好きと言いながら、すごい亭主関白な男と結婚し、半年で離婚。佐々木さんはまともな判断ができる人だったと胸をなでおろしました。今は大好きなねこと暮らしています。

 24時間介護が必要な脳性マヒの女性が一人暮らしを楽しみながら、苦しみながら、あたりまえにここで生きている。清々しく、したたかに、しなやかに、そしてゆかいに生きている様子をカメラで捉えていきます。そして、私自身が持ち続けてきたテーマ、女性であるがゆえに受けてきたいろいろな思いや、家族っていったい何?ということを、佐々木さんの生きて来た軌跡にぶつけ、かつ今まで、型にはめていた障がい者像をくずすことができるかこの作品でチャレンジしたい。


2008.5.22
監督 下之坊修子