こんにちは!

不登校のお子様が

必ず変わる潜在意識の使い方

をお伝えしている、みなです。

 

今日は、前回の

「不登校の記憶」の続きとして、
不登校になる前の息子のことを

少し書いてみますね。

 

前回の記事はコチラ!

 

 

 

 

不登校になる前の息子は

「優等生」だった

 

息子が不登校になったのは、

中学3年生のとき。

 

小学生までの息子は、

わかりやすく言うと


いわゆる「優等生タイプ」

だったと思います。

 

 

…でも今は思います。

 

そもそも「優等生」って、

どんな子のことなんだろう?と。

 

当時の息子を思い出すと、

こんな姿が浮かびます。

 

 

みんなの中心にいる子だった

 

息子は自然とリーダーシップを発揮して、
クラスをまとめるタイプの子どもでした。

 

頭の回転が速めで、もちろん

友達とも活発に遊ぶのですが、

 

大人と話すときは

どこか達観しているような(笑)

ちゃんと話せる子どもでした。

 

幼稚園の頃、

 

「ボクが動くと、

何人かがついてくるんだよ。」
 

そんなことを話してくれたのを

覚えています。

 

かばんを開けると


バレンタインのチョコが

たくさん入っていたこともありました。

(第一モテ期は幼稚園の頃でしたね(笑))

 

誰かを取りこぼすことなく、
みんなで楽しむ空気をつくるのが得意で。

 

小学校で人狼ゲームが流行ったときは、
クラスでやりたい人を

全員誘って盛り上げたりしていました。

 

 

運動も勉強も得意だった

 

運動も得意で、

運動会ではほぼ毎年リレーの選手。

 

小学校の頃は勉強も

とくに気になったところはなくて。

 

特に計算は得意で、

早くて正確でした。

 

授業参観に行くと、

いつも早く解き終わって


先生に一番に〇をもらいに行く。

そんな姿がありました。

 

でも後から思えば、

それは「勉強が好き」だったというより、
 

早く終わらせて

自由な時間が欲しかったのかもしれません。

(○○ゼミも届くと一日で全部やってました(笑)

 終わっていれば何も言われないですものね)

 

 

集中してエネルギーを

注ぐことはできるけれど、


じっくり座って勉強することは、

実は得意ではなかった。

 

そんな一面もあったのだと思います。

 

 

行事の中心で活躍していた息子

 

当時の小学校は、

行事ごとに運営委員会をつくり、


生徒が主体となって

行事を運営するスタイルをとっていました。

 

6年生のとき、息子は、

周りからの希望と、

そして自分自身もやりたい気持ちがあって、

 

ほぼすべての行事の

運営委員会に参加しました。

(翌年から「1人1回はやると」など、

 みんなができるように

 ルールが変わったようです

 そりゃそうなりますよね(笑))

 

 

今でもすごく記憶に残っています。

 

仲の良いお友達と2人で

音楽祭の司会を務めたこと。

 

待ち時間には即興で

 

じゃんけんゲームを始めて

場を明るくしていました。

 

運動会では、競技の名前を考えたり

 

どうやったらみんなが楽しめるかを

考えたりしていて

 

本当に、中心で活躍していました。

 

 

親の私が言うのも

おかしいのですが...

 

私はどこかで、

 

「このまま輝かしい未来が

 続いていくんだろう」

 

そんなふうに思っていたと思います。

 

 

 

 

息子が不登校になった当初は

 

何度も何度も

この場面が浮かんできました。

 

どこから、こうなったの?

 

あの頃は順調だと思っていたのに。

 

そう思っては

 

涙があふれてきて

たくさん泣きました。

 

 

長くなったので、

今日はここまでにしますね。

 

続きは

「私がどんな親だったのか」について。

 

少々気が重いですが(笑)

あの頃の私を、
少し勇気を出して書いてみます。

 

 

今日も最後までお読みいただき

ありがとうございます。