いつも車でばかり通り過ぎていた道を、
今日は駅からだったので歩いてみました走る人

目的のお店はお休みだったのですが、
こんなところを見つけました目


城の内1


見つけました!というか、
本当は知っていなければいけない所なのでしょうが、
結城市に住んでいた高校までは、
あまりご縁のない場所だったので行くこともなかったのだと思いますあせる

城の内

そういう地名があることはもちろん知っていましたが、
そこにはもともとお城があったため、そのような地名になっているようですひらめき電球

いつ築城されて、いつまで続いたかも不明で
廃城になった記録もないと石島滴水氏の結城の郷土史には書かれていますメモ

しかし、おそらくは15代の政朝公が外城として築いたのではないかとありますビックリマーク

この政朝公は、「我死なば敵の首級を墓前に備えよ」と遺言に残した烈公でした叫び

白河結城の2代目である宗広公と親光親子もその忠烈が
感忠銘碑として残っているなど、結城氏には烈公が多かったようですアップ

話を元に戻し、城の内の館ですが、
敷地に建てられた看板には、
初代の朝光公によって建てられたとありますが、
前出の「結城の歴史」によると、
藤原秀郷公の支城として建てられたもので、
240年も経って初代の朝光公が
本町にある現在の城址に築城するまでの間住んだ場所のようですサーチ

最近整備された遊歩道を入っていくと、
古びたお堂が叫び


城の内2


これが、まだ東京に住んでいたころに見に行きたかった
立木地蔵を祭ったお堂ですひらめき電球

立て看板もなく、寂しい限りでしたしょぼん
早急の整備を希望しますメラメラ

この立木観音には怪談がありますが、
それはまたの機会にしたいと思いますグッド!


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