少しさかのぼりますが、
3月6日の日経新聞に下野市国分寺の甲塚古墳で
機織りをしている女性の埴輪が見つかったそうですアップ


埴輪  


見つかった埴輪の機は、
古墳時代に使用されていた一般的な原始機と
機織り機の原型と言われている地機(結城紬の織機)だそうです。

今の結城市の周辺で紬が織られていたのは
もう少しあとだと思いこんでいたものですから、
いろいろと調べてみましたあせる

常陸宮風土記によりますと、
現常陸太田市にある長幡部神社というとこをから
朝廷に絁を届けたという記録があるそうですビックリマーク

そして、1世紀前後に記された古語拾遺には
穀木所生故謂之結城郡(ゆうの木の生ゆる所ゆえにこれを結城の郡と謂う)と
書かれているとのことメモ

結城という地名は、鎌倉時代にこの地を治めた結城市に由来するとなっているのとは
少し誤差があり、その時代はまだ「常陸紬」と呼ばれていたともあり、
時代考証はまだまだこれからなのではないかとも思いますメラメラ

ただ、いずれにしても古墳の時代から、
結城は常陸太田市の長幡部神社の勢力範囲であり、
その元で織物を織っていたことは確かなようですひらめき電球

現在の常陸太田市では,原始機を使った機織りは再現されているようですが、
地機(いざり機)を使った機織りがなされているかどうかは
いまのところ不明でしたしょぼん

近々、福井(越前)と結城氏の関係についても
アップしたいと思っていますが、
常陸太田についても実際に足を運んでみたいと思いますグッド!


ペタしてね      読者登録してね