こんにちはビックリマーク

2018年もいよいよ終わり。
そんな今回は、2018年の個人的な振り返りという意味で…

いつものピラティスブログとはちょっと違った形でお送りさせていただきますニコニコ

といいますのも…
今年の春に、父が脳の手術をしました。
『脳腫瘍の疑い』の中、手術前後には様々なことが起きました。

そんな中で

…私は基本的には自分や家族の病気の話題はあまりこのような場で語るタイプではないのですが…
昨年の秋に、父の脳の病気が見つかってから、ネットや新聞に掲載されていた様々な方の経験談にどれだけ助けられたことか…キラキラ

なので、今度は少しでも誰かのお役に立てれば…

という想いと共に、身体に関わる仕事をしている立場からも感じたことを、3テーマに分けて記録させていただこうと思いますおねがい

必要としてくれた方へ、届くことを願って…。

~ 他の2つの記事はこちら ~

https://ameblo.jp/kokokara-emi/entry-12429515677.html

https://ameblo.jp/kokokara-emi/entry-12429517275.html



その1では…
父が行った、脳の覚醒手術というものについて。

私自身、父がこの病気になるまでは、お恥ずかしながら この病気についてほとんど知識が無かったのですがあせる

『脳腫瘍』と一言で言っても…

・脳のどこに出来たか
・100以上ある腫瘍の種類の中で、何が出来たか


によって、危険度や緊急性が全く異なるのです。

父の腫瘍らしきものが出来た場所は左脳で、その中の…
右側の顔面と手 の
運動と感覚 を
司る部分の中央付近。

一般的な腫瘍の手術をする際、完全に腫瘍を取り除くために、
腫瘍の部分 + その周りの組織
を、可能であればかなり広い範囲で取り除く場合も多いそうです。

しかし今回の父の場合に、この『広範囲な摘出』をしてしまうと…
右顔面 および 右手 に
運動麻痺と感覚麻痺
という術後の後遺症が、根深く残ってしまうとのことでした。

ただ…
現代の医療技術はすごいものですねおねがい

ここで、お医者さんから聞いたのが『覚醒手術』という言葉。
簡単にかいつまんで言うと…

まずは完全麻酔で、頭蓋骨を開いてから
→  手術中に患者である父の麻酔の量の調整をして、父の目を覚まさせて(意識をある程度回復させて)

 右手の動き具合や言語の発音などを確認しながら
 後遺症を最低限に抑えつつ、出来る限りの腫瘍があるだろう部分を取り除く
→  その後また完全に麻酔が効いた状態にして、頭蓋骨を戻して、傷口をふさぐ

という手術法。

なので、手術前にリハビリの方による言語や動作のテストがあったり、手術室に入っての『リハーサル』的なものがあるのです。

そして、手術当日。
無事予定通りに手術は終了。
執刀医の先生はもちろん、手術関係者の方々の素晴らしい技術のもと、父の腫瘍らしきものは、ほぼ全て取り除くことが出来たのですキラキラ


術後に残った後遺症は主に2つ
・言語が出ない
・右手が使えない


手術直後の父は、ほとんど話すことが出来ず、
挨拶や感情的な言葉などの『反射的に出る言葉』
は、わずかながら出るものの
考えて話そうとすればするほど、言葉が出てこない状況でした。

これは、私が事前に読ませてもらっていた経験者の方の新聞記事にも書いてあったのですが、
決して言いたいことがわからないのではないそうです。

なので、普段私たちが
『あの人の名前…何だっけ?』
という時に『思い出せない』のとは違い
頭の中に言いたいことはあって、わかってる けど
どのように言葉にすれば良いのかがわからない
とのことなのです。

実は7ヶ月経った今も、父の場合は主に『数字』で同じことが起こることがあ

言いたいと思っている数字と違う数字が言葉として出てくることがあります。

これは『記憶』や『理解』が出来ていないのではなく

頭の中にあることを『言葉』としてアウトプットするためのラインが『上手く繋がっていない』状態だそうです。

(実際、今でも父は数字の計算は何の問題もなく出来ます。)

それでも、手術の次の日からリハビリをしていただいたおかげで、日に日に回復していって…

1週間後には、ある程度の筆談が可能に。
(父の場合は、漢字を使う方が自分の言いたいことを表現しやすかったのです。)
そして
2週間後くらいには、聞いている側が言いたいことの予測変換もしながら、ある程度の会話が出来るようになっていましたキラキラ


また、右手が使えなかったことについても
運動麻痺に加えて感覚麻痺もあったため、手術直後はご飯を食べる時などに、スプーンを持っていないのに持ったつもりになって口に運ぶ動作をしたりということもあったのですが…


まず数日後には左手で文字を書いたり、お箸を使ったり
(左手で『曜』という文字を書いたのにはビックリしましたびっくり
そして、10日後には右手が比較的使えるように戻ってきて
退院した後の術後4ヶ月の頃には、包丁を使って鍋料理を作っておりましたビックリマーク

本当に、人ってすごいなびっくり
って改めて思った半年です。


ところで…
先ほどから
『腫瘍らしきもの』的な言い方をなぜしているかと言うと…
実は病理検査の結果、父の腫瘍の種類は確定することは出来ていません。
正確に言うと、脳に何らかの異常があったことは確かなのですが『脳腫瘍』だったのかどうかも、結論は出ていないのです。

現代の医療の発達は素晴らしいことは確かですグー
実際、父の病気も数年前までは、手の施しようがないものだったそうですあせる

でも…
人の身体に関わる立場としても思うのは、
やっぱり人の身体って、まだまだ未知なことばかりなのです。

そして、ピラティスインストラクターとして、様々な方のお身体と向き合わせていただいて日々思うこと。
それは、人の身体は本当に
十人十色

だから、医療がどんなにどんなに発達しても…
100%は無いだろうと、私は思っています。

なので、父の病気の結論が出ていないことに関して話をすると『なんで?!』という疑問の声もありましたが、私としては、『そんなこともあるのかな』という感覚なのです。


そして…
今回、父の回復傾向をお伝えしていますが、これもやはり『父のパターン』。
正直、本当に周りの方々の様々な手助けと父本人の努力もある中で、かなり順調なペースなんだと思います。

なので、あくまでもこれは一例ではありますが…
もし同じような状況の中で戸惑っている方がいたら、少しでもお役に立てれば嬉しいですビックリマーク