令和8年3月25日に、大府市歴史民俗資料館蔵『三山道中記』が市指定文化財へ。
合わせて、その時に建てられた巡拝塔も指定文化財となったが、かなり劣化が進んでいたので文字確認のために本日、採拓を行った。
 
来週25・26日は大倉公園・桃山公園でつつじまつりが行われるが、すでに満開。
来週にはしぼんでいないか心配だが、本日は美しい景色を堪能できた。
 

 

7年ほど前には、巡拝塔周りは割とスッキリしていたが…。

 

 

今は周りの樹木が鬱蒼としていて、枝を避けながらの作業。



 今日は、うっすらと「立山大権現・富士浅間大菩薩・白山妙理大権現」の文字が見えた。

見えない日は、ホントに全く見えないのだが。

 

 

画仙紙を貼り付けてみたが、肉眼とあまり変わらないレベル…汗


 

石材の表面がブツブツとしていて、墨をたたいて写し取ってもブツブツが強調されるだけで、文字が浮き出てこない。

右側には恐らく年号の文政六年(1823)、左側には六月とあるようなのだが、判然としない。

六だけが良く見えるのだが、知りたいのはそこじゃない…。

 

隣にある文化十年(1813)の巡拝塔は割と文字が見えるが…。

 

 

なんとか「文化十癸酉正月」はわかったが、下の方にある文字が不明。

 

 

最後が「中」なので、〇〇講中ではないかと思うが、何だ?

 

 

拓本を採っては見たものの詳細はわからず、また残念なことに三禅定を行った13人の村人の名前が刻まれていた部分が、ボロボロと崩れて土にかえってしまっていた。

 

 

石材が脆かったのか、どちらも埋もれていた部分が崩れてしまっていて、掘るとアリンコの巣がいっぱいであった。

今後の保存方法を考えねばならない。

 

 

しかし、この日は貴重な情報をゲットできた。

 

作業を行っていたら、ご近所にお住まいであろう方から声を掛けられた。

その方はこの巡拝塔の存在をご存じで、立山・富士山・白山と書いてあると、内容までご存じだった。

自分が小さい時には鳥居と手水石があって、みんなここで参拝していたとおっしゃるではないか。

 

今は木が生えている真ん中の部分が参道で、そこには鳥居があり、塚の周りはグルリと木が生い茂っていたとのこと。

 

 

手水石は右の方にあったと、場所も覚えていらっしゃった。

 

この桃山公園・大倉公園周辺は、昭和9年に高級分譲地として売りに出された。

その時のパンフレットがこちら↓

 

そのパンフレットの地図には、確かに鳥居マークがある↓

 

現在の公園案内図の塚山が巡拝塔のある場所だが、位置も同じである。

 

 

ここは昔「ガンジ山」と呼ばれており、大府市ホームページには「雁の行列のような形の山であることに由来」とあったり、公園内の歌碑のように「元治山」と書かれていたり、色々な説がある。

 

 

が、その方がおっしゃるには元々は「願地山」と書いていたそうで。

また、ここは三山を遥拝していた山岳信仰の地で、龍神伝説もあり、霊山のようなものだったと。

大事な場所だからゴミを捨ててはいけないとも言われていたが、だんだんこの名前が忘れられてしまって悲しいと。

 

「願地山」の文字からも、地域の方々がここを訪れて、願い事をしていたのではないかと想像出来る。
その鳥居は55年程前まであったというから、それほど昔の話ではない。
近年まで三霊山の信仰があったとは、驚きである。

しかし、この近くの大倉公園横には大正時代の三禅定の巡拝塔が2基ある。
大正6年と10年だから、昭和9年に三霊山を祀る信仰が残っていてもおかしくはない。


三禅定はスッカリ忘れ去られた風習だと思っていたが、桃山・大倉公園周辺では昭和30〜40年代くらいまでは知っている人もいたようだ。

当時の写真を持っているとか、神社の時の記憶がある方が、探せばどこかにいるのではないだろうか。

もし知ってるよ!という方がいらっしゃったら、大府市歴史民俗資料館まで、情報をお寄せください!