7年ほど前には、巡拝塔周りは割とスッキリしていたが…。
今は周りの樹木が鬱蒼としていて、枝を避けながらの作業。
今日は、うっすらと「立山大権現・富士浅間大菩薩・白山妙理大権現」の文字が見えた。
見えない日は、ホントに全く見えないのだが。
画仙紙を貼り付けてみたが、肉眼とあまり変わらないレベル…![]()
石材の表面がブツブツとしていて、墨をたたいて写し取ってもブツブツが強調されるだけで、文字が浮き出てこない。
右側には恐らく年号の文政六年(1823)、左側には六月とあるようなのだが、判然としない。
六だけが良く見えるのだが、知りたいのはそこじゃない…。
隣にある文化十年(1813)の巡拝塔は割と文字が見えるが…。
なんとか「文化十癸酉正月」はわかったが、下の方にある文字が不明。
最後が「中」なので、〇〇講中ではないかと思うが、何だ?
石材が脆かったのか、どちらも埋もれていた部分が崩れてしまっていて、掘るとアリンコの巣がいっぱいであった。
今後の保存方法を考えねばならない。
しかし、この日は貴重な情報をゲットできた。
作業を行っていたら、ご近所にお住まいであろう方から声を掛けられた。
その方はこの巡拝塔の存在をご存じで、立山・富士山・白山と書いてあると、内容までご存じだった。
自分が小さい時には鳥居と手水石があって、みんなここで参拝していたとおっしゃるではないか。
今は木が生えている真ん中の部分が参道で、そこには鳥居があり、塚の周りはグルリと木が生い茂っていたとのこと。
手水石は右の方にあったと、場所も覚えていらっしゃった。
この桃山公園・大倉公園周辺は、昭和9年に高級分譲地として売りに出された。
その時のパンフレットがこちら↓
そのパンフレットの地図には、確かに鳥居マークがある↓
現在の公園案内図の塚山が巡拝塔のある場所だが、位置も同じである。
ここは昔「ガンジ山」と呼ばれており、大府市ホームページには「雁の行列のような形の山であることに由来」とあったり、公園内の歌碑のように「元治山」と書かれていたり、色々な説がある。
が、その方がおっしゃるには元々は「願地山」と書いていたそうで。
また、ここは三山を遥拝していた山岳信仰の地で、龍神伝説もあり、霊山のようなものだったと。
大事な場所だからゴミを捨ててはいけないとも言われていたが、だんだんこの名前が忘れられてしまって悲しいと。
当時の写真を持っているとか、神社の時の記憶がある方が、探せばどこかにいるのではないだろうか。
もし知ってるよ!という方がいらっしゃったら、大府市歴史民俗資料館まで、情報をお寄せください!















