こんにちは



今回は毒親エピソードの続きを書きたいと思います



病院を退院した母は骨折をしていた為身動きが取れませんでした。


その為私が学校を休み母の面倒を見ていました。


母の面倒を見て学校も行けず過ごしていたらいつのまにか小学校卒業間近でした。

その頃には母は車を運転できるほど回復していました


卒業式数日前に学校の先生が家に来て

卒業式の流れなどを教えてもらいなんとか卒業式には

出席する事ができました。


皆んな卒業式用に制服などを着ていましたが私は

家にある服で恥ずかしくない様コーデを組み卒業式に向かいました。


卒業式には父と兄が来てくれました。

母は足が冷えると痛いからと卒業式には来てもらえませんでした。


卒業式が終わりクラスのみんなが写真を撮ったり

アルバムにメッセージを書いたりする中私は

父に遅いと怒られたくないが為に校庭の中をグルグル

周り父の車を探していましたがもう学校には

父、兄の姿はありませんでした。


今更教室に戻るわけにもいかず皆親の車で帰る中

私は1人歩いて家まで帰りました。


なぜだか悔しくて寂しくて辛くて泣いた記憶があります



中学生になり1年間母の束縛などに耐え学校に行っていました。

友達もできました。

毎日友達と話して遊んで楽しかったです。

吹奏楽部に入り先輩とも良好な関係でとても楽しかったです。


楽しく1年を過ごし中学2年生になりました。

仲が良かった友達とクラスが離れ、友達もできず

クラスに馴染めませんでした。


その頃から学校に行かず自分の部屋で引きこもり

中学2年の冬には完全に不登校になりました。


私は学校に行かなくなったことに対して怒ると思いましたが何も言いませんでした。


その代わり母の趣味に毎日付き合わされました。


心休まる事なく毎日趣味に付き合い

聞きたくもない様な母の話を聞き

母が起きる時に起きて母が寝るのを待つそんな生活を続けました。


そして中学卒業の時期になりました。

卒業式には行きませんでした。

夜に担任の先生が家に来て玄関で卒業式をするかの様に

卒業証書を読んでくださいました。

恥ずかしさもありながら嬉しさもありましたね。



今回はここまでにしたいと思います。


私は上手に学生時代を過ごせませんでした。


その頃私の中で母の元で一生生きていく事が私の人生なんだと思っていました。

この家からは出れず母の元からは離れられず一生このまま、、と考えていましたね。

だから人生やりたい事も夢も全て捨てていましたね。

持っていたのは仮面だけでした🎭