投稿4回目!


前回の続きを書きたいと思います!



祖父と再会し祖父との時間を過ごしていく中で

私はおじいちゃんっ子になりました。

授業参観には母も父も来たことがなく、それを知った祖父は私を可哀想に思い来てくれていました。

祖父と一緒に過ごす時間は家のことを忘れられるし

本当に楽しいものでした。宝物でした。


私が祖父の家に行ったりしていたのが気に食わなかったのか、自分の手元から私が居なくなる、とられるという感情になったのか母は私に

「あんなところへ行ったらあかん」

「田舎臭くて汚い」

と祖父を貶すようになりました。


ですがある日夜中の2時くらいだったと思います。

寝ている私の部屋に来て、電気をつけ

寝ぼけていた私は母に「おはよう」と言うと母は

「おはようとちゃうわ!起きろ!」

といきなり私を怒鳴りつけました。


すると私のランドセルを持ち私の腕を強く引っ張りながら無言で車に乗り、そのまま祖父の家の方へと車を走らせました。


道中で「そんなにじいさんのこと好きなんやったらそこのうちの子になればいい。2度と顔も見たくない。

あんたなんか産まんだらよかった。本当に後悔してる」


その言葉を放って私を祖父の家の前に下ろし

母は帰ってしまいました。


私は何が起こったのか分からず、パニックになり

祖父の固定電話から祖父の携帯電話に

泣きながら電話しました。

(当時祖父はトラックの運転手でした)

電話に出た祖父は慌てる事もなく落ち着いていて

「分かった。すぐ帰るでな。待ってて。」

と言ってくれました。


祖父の家にいる黒色のラブラドールと2人で待っていました。


その間も私は、母に何かしたのか、何が悪かったのか

この先どうなってしまうのかと考えながら号泣していました。

その涙は悲しかったからでも寂しかったからでもなく

パニックになっている上に次、母や父に会った時どんなことをされるのだろう、なんて言われるのだろうと不安な涙だった様に思います。


その後父は仕事で居なかった為

(長距離トラックの運転手でした)

事情を知った時に母にとても怒ったそうです


翌日、祖父と市役所に行き養子縁組の手続き、転校の手続きをしに行きました。

その夜母から

「本当にその家の子になるんやな?ええんやな?」

とメールが来ました。

私は祖父の家の子どもになりたいとメールを送った覚えがあります。


数日後父が祖父の家に急に来て私を殴り

そして祖父にまで手をあげました。

私は涙を流しその場に立っている事しか出来ませんでした。


その後家に帰り母からの精神的、肉体的虐待は続き

いつしか私は祖父にまたあんな目に遭わせてはいけないと思い祖父に頼る事は無くなりました。




今回はここまでにしたいと思います。


成人してから社会に出たりして色々な人と関わってきましたが、よく言われることがあります

「人のことよく見てるね」

「人の事ばかり優先して自分の事は後回しで気を遣ってつかれない?」

など言われることが多いです。

昔から知らず知らずのうちに気を遣って生きてきたので

言われるまで自分で気づかないんですよね。


最近疲れが溜まっているなと思った時

日常生活を振り返ってあの時こうだったなと思い返して

自分を労る時間を作ってあげることが大事だと大人になって気づきました。