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圧倒的な強さで持って、迫ってくるような作品。
うまく言葉にすることができないけど、怖いとすら感じた、人が恋に落ち、理性を超えたところにある魂を。

私の中にも確かに存在しうる気持ちと向き合いながら、確かめながら、読みました。



大阪は第二の都市だというが、そうは思わない。
日本は、東京と、それ以外だ。

渋谷に初めて降り立った地方の人間が、しつこいほどに言う感想がある。
「祭かと思った」というあれだ。
だが、私も同じ気持ちだった。

天神祭と一緒や。
大阪にだって人はたくさんいるが、渋谷と新宿の人通りは異常だ。
たくさんの人にぶつかられながら、アテのない孤独に吐き気をもよおすほど不安になったが、新しい生活への期待が自然と、背中を押した。



私の絵は個性が強すぎるようで、媒体を選んだ。
勉強していないものだから、絵の幅もなく、仕事をもらうのも下手だった。
アルバイトを続けていかなければ生活はできなかったし、したくもない仕事を引き受けて絵を嫌いになるよりは、このままずっと、趣味と仕事の間で、ふわふわと絵と対峙していたかった。



階段は、狭くて急だった。
ギシ、ギシ、という音が懐かしい。
壁に触ると、ぽろぽろと漆喰が剥がれる。

私は何かが始まるときのような、わくわくと落ち着かない気持ちになった。
よし、よし、と、何故か小さく声に出し、熱心に階段を登った。

二階に着き、淡い達成感に勇んで顔をあげると、そこには、私を祝福するように、真っ白な光があった。



十代の失恋と、三十代の失恋は、意味もあり方も違う。
あのときの、青い髪の私を、今の私なら、簡単に泣きやませることが出来る。
大笑いさせる自信すらある。
彼女には未来がある。
それが辛さや痛みを伴うものであっても、それでも彼女は、若いではないか。
彼女の未来は髪よりも青い。
光っている、はずだ。
こんな結果だが。



職業柄、絵を描く人間や、音楽を扱う人間に会うことが多いが、それは、そういう人間によくある特徴だった。

自分のもやもやとした、でも確実にある「思い」を、ぴたりと言い当てる「言葉」を考えつかない。
無理に言い表すと、そこに僅かでも齟齬がうまれるから、言葉を使うことを手放し、それを絵画や、音楽で表現するのだ、と、皆は言った。

私には、正直、その感覚は分からなかった。

絵画は自分の感情や伝えたいことを補填するものではなくて、そもそも、何かを伝えるようなものでもないと、思っていた。

絵画は、絵画だ。
絵を描きたい。
その素朴な欲求、行為、それだけを私は信じたい。
それを見て分かってもらいたいことはないのだ。
一方的な感情かもしれないが、表現の始まりが一方的なのは、当然だと思う。



話をする『間島昭史』は、自分の言葉を振り返り、振り返り、言葉で表現できることは、絶対に言葉で表そうと、身構えているようなところがあった。

話すことに関して、小さな決意をしていた。
私が、それはこういう意味なん、と問うと、考え、考えて、諦めて何かに似通った言葉を捜すのではなく、「分からない」という言葉で、責任を取った。



「でも、見たまんま書くのって、結構勇気ですよね。」
彼は、思い出したようにそう言って、私を見た。
ふいをつかれた。

「勇気って。」
「絵もそうやないですか。見たまんま、いらんフィルターなしで描くのんは、難しくないですか。」

「ああ、うん、難しい。自分の目だけで描きたいのに、どういう風に見られるか、ていう意識が入ってしまうってことやんな。」

「そうです。絶対に、自分の目だけで描こうと思うんですけど、どっかにあるんでしょうね。人に見せるからには、必要なことなんですけど、でも、ふでを下ろす瞬間だけでも、絶対に自分だけでおりたい。」



彼は、年齢に似合わない諦観のようなものを持っている気がした。
それはほとんど老人のようだった。

そして、物事の何もかもにおいて、自分を最も底辺に据えてから、考え始めるようなところがあった。
自分が微塵も有用ではない人間であるということを根底において、生きていた。

彼がどうして、自分をそこまで軽んじるのかは分からなかったが、だからこそ、かれは小さなことをとても喜んだ。
綺麗なものを見ると、それを慈しみ、咀嚼し、その感動に、飽きることがなかった。


例えば、彼は初めてそれを見たように、月を見た。
そういうとき、彼はまったく子供のような表情を見せたが、そういうときの彼を見ていると、私は不安になることがあった。

彼の恍惚とした表情は、幼児を思わせたが、かと思えば、驚くほど聡明で凛々しい顔をすることがあって、それは、何かを強烈に憎んでいるようにも見えて、怖かった。