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やっぱり、重松清さんの作品は好きだなって思いました。
これは、すごく読みやすかったです。

中学生の頃に、いじめとか、学生時代を舞台にした話を読みはじめたのをきっかけに、今までいろいろ読んだ。

この本は、今のわたしの歳になって読んでよかったなって思いました。
共感したり、心に刺さる言葉があったり。

もっともっと歳を重ねてから読みたいって思う本もある。
もう読んでしまったのもあるけど、何年後かに、再度同じ本を読んで、また違うことを感じるのかな。

それもまた、楽しいです。


幼い子どもが、さんざん泣いたあとで、疲れて、ふうっと肩の力を抜いて浮かべる微笑みに似ている。


後悔や、心残りや、言いそびれたままになってしまったことは、たくさんある。
それでも、そういうのがなにもないというのも、おじさんらしくないかな、という気もする。
割り算の答えの「余り」のように、どうにも収めようのないものが胸にいくつも残ってしまう。
それが生きるということだ、と割り切ろうとするそばから、苦い半端なものが胸に溜まる。


また新しい「余り」ができた。
今日一日で、いったいどれだけの「余り」が積み重ねられたのだろう。
かといって、新しい「余り」と入れ代わりに古い「余り」が消えてくれるわけでもない。

昔は思っていた。
子どもの頃は割り切れないことも、おとなになればうまく「余り」なしでやっていけるようになるのだろう。
おとなにならないとわからない、「余り」の出ない割り算のやり方というものがあるのだろう。
過ぎたことにくよくよしたり納得いかない思いに包まれたりするたびに、早くおとなになりたい、とつぶやいていた。

だが、そうではなかった。
おとなになっても「余り」は減らない。
それどころか、子どもの頃には見過ごしていた「余り」にまで気づいてしまう。

おとなになるというのは、「余り」の出ない割り算を覚えるのではなく、「余り」を溜め込んでおく場所が広くなる、というだけのことなのかもしれない。


ふわふわとした無邪気さは体や心から少しずつ失せても、まだ思春期のヨロイをまとうほどではない。
甲高い声をあげながらボールを追う姿を見ていると、ときどき、命が丸裸になって走っているような気さえする。


下を向く角度がさらに深くなる。
うなずくというより、うつむく、というより、うなだれる。


「全然終わってないんだよなあ。仲のよかった子は、ずーっと、永遠に、友だちのままなんだよなあ。言われたことはすぐに忘れちゃうくせに、そういうことは忘れないっていうか、忘れられないっていうか……不器用なんだよなあ、とにかく」


小学校の教師になってわかった。
子どもが成長するというのは、自分の生きる世界に順位をつけるようになることだ。
遊びよりも勉強、公立よりも私立、この子よりもあの子、自分はクラスの何番目、自分はあの子には負けていても、この子には勝っている。
順位がつけば序列ができる。
優先する事柄もわかってくる。
そのリストにしたがって正しい優先順位のものを選び取っていける子もいれば、間違った選択をしたせいで困ってしまう子もいる。
順位をつけて選ぶことを「生きる」の定義にするのは、ほんとうは、教師として少し悔しいけれど。


「中学でも高校でもそうですよ、どんどん入れ替わるんです。人間って、そのときどきの自分に合った相手と友だちになるんですよ。服のサイズじゃないけど、合わなくなったら、自然とお別れすることになるんです」


また明日。
また今度。
また、いつかー。

子どもの頃は、たくさん約束をしていた。
守れた約束よりも守れなかった約束のほうが多かった。
子どもだったわたしにも、それはわかっていたと思う。
約束を破ったときには謝ったし、破られたときには怒った。
でも、懲りずに何度も約束をした。

のんきだったのだろうか。
一つひとつの約束より、もっと大きなものを信じていられた、ということなのだろうか。
じゃあ、おとなになったいまは、それを信じることができなくなったのだろうか。

約束は相手がいなければできない。
約束を破られたというのは、途中で切れてしまった糸の端を巻きつけたまま、途方に暮れているようなものかもしれない。


泣きだしたくなってしまうのは、そういうときだ。
つらいことをやっているのを誰にもわかってもらえないときは、あんがい幸せなのかもしれない。
いつか、誰かがわかってくれる、と信じていられるから。
ほんとうにつらいのは、自分のことをちゃんと見ていてくれているひとがいるのに、そのひとに冷たく突き放されてしまったときなのだ。


ムッとしたり悔しい思いをしたりすることはあっても、それが長続きしない。
子どもは心のサイズが小さいのだ。
心に入るものは限られている。
目先の楽しいことを心に入れると、それまでの嫌なことはどこかに隠れてしまう。
まったくもって単純で、その単純さに救われていたこともあるんだろうな、といまは思う。


小学生の子どもでも、世の中や自分自身についての、たいがいのことはわかっているのです。
ただ、その「わかる」をうまく説明できないだけーということが、おとなになってから、やっとわかってくるのです。


社会に出て十年たった。
小学校の卒業式のとき、校長先生が式辞で高村光太郎の『道程』という詩を読んでくれた。
「僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る」という有名な詩だ。
でも、僕が社会で生きてきた十年間には、自分はこんな道をこんなふうに歩んできたんだ、というしっかりとした道ができているのだろうか。
怖くて、ずっと振り向けないでいる。


あの頃はよかった。
勇気があった。
負けず嫌いだった。
五年生のときには、サッカーの場所を強引に奪おうとした六年生を相手に取っ組み合いをした。
算数が苦手科目になりかけた四年生のときには、必死に夜中まで勉強してみんなに追いつき、気がつくと追い抜いていた。
勇気はみんなから称えられ、努力は必ず報われた。
そういう時代が確かに僕にもあったのだ。


理屈ではわかっていても「いま」にこだわってしまうのが、子どもなのだろう。
それがなつかしく、なんともいえずくすぐったく、そして、うらやましさと寂しさが胸の中で入り交じる。
あの頃の僕もしょっちゅう「いま」に夢中になっていた。
目の前いっぱいに「いま」が広がっていて、その先には、確かに「未来」もあったはずなのだ。


子ども同士で話しているのを聞くと、それぞれの子の性格がよくわかる。
おしゃまな女子もいれば、イタズラ坊主の男子もいる。
みんなから一目置かれている子もいれば、キツい言葉をぽんぽんぶつけられどおしの子もいる。
ニャンコがトイレにしている花壇の一角を黙々と掃除する子もいれば、口先だけ達者で手がちっとも動かない子もいる。
主従関係に似たような二人組も、いないではない。

いろんなタイプがあるんだなあ、とあらためて思う。
僕たちもきっとそうだったのだろう。
自分が子どもだった頃より、おとなになってからのほうがよくわかる。

だから逆のことも、思う。
「子供たちは皆、一人ひとり違った個性を持っているのです」と言うのなら、おとなだって同じではないか。
でも、おとなに「自分の個性を大事にしなさい」と言ってくれるひとはいない。
子どもの頃には許されていた個性の幅が、おとなになると急にすぼまってしまうのだろうか。
うまくやっているひとと、そうでないひとーおとなには、その二種類しかないのだろうか。


「やり甲斐とか生き甲斐なんて、あとになってから初めてわかるっていうか、あとにならなきゃわからないんだよな」


「で、終わったときにさ、寂しくなるんだよ。もっとやりたかったなって思えたら、それがやり甲斐があったってことなんだと思うぜ、俺は」
「卒業したあとの学校と同じかな」


「全然うまくいかない人生でも、価値がないとか、意味がないとか、生きててもしょうがなかったとか、そんなことないと思う。だってさ、美智子ちゃんのお葬式の写真、おとなになってからのだったんだけど、笑ってたんだよ。すごい楽しそうに笑ってる写真だったんだよ。いいことあったんだよ、絶対。うまくいかなくても、いいこと、あった……」


答えがわからないから、僕たちは信じることができる。


再会というのは、おとなの特権だよなー。
なにしろ再会は「会えない日々」がなければ成立しない。
手間暇がかかるのだ。

再会物語の一番の魅力が「あの頃と変わっていないところ」とが「変わってしまったところ」とのモザイク模様にあるのだとすれば、それを豊穣にしてくれるのは、じつは再会そのものよりも「会えない日々」のドラマではないか?
「会えない日々」を「お互いに歩んできた、それぞれの人生」と言い換えれば、よりわかりやすくなるだろうか。

おとなは誰だって、たくさんのひとと出会い、そのほとんどと別れてきたはずである。
僕たちは皆、数えきれないほどの「会えない日々」を胸の奥に抱いて、それぞれの人生を生きている。
再会できる相手より会えずじまいの相手のほうがずっと多いだろう。
だからこそ、再会はなべて僥倖のドラマになる。
誰もがささやかな運命論者になる。
それが、どんな形での、どんな相手との再会であれー「会わなければよかった」というにがい悔恨ですら、再会をしなければ得られないものなのだから。

ー『ロング・ロング・アゴー』重松 清

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