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半年ぐらい前に読んだ本です。

こういう表題に惹かれるわたし。。。笑


ドッグイヤーしてた箇所です。



期待は、されすぎないほうがラクに生きられます。

でもできると期待をかけられたものは、とりあえずやってみましょう。

やってみてうまくいっても、ダメだったとしても、どちらもあなたにとってはプラスになるのですから。


世間一般で「夢を持つべき」といわれているために、「そうすべき」という脅迫観念にとらわれている人も少なくないのではと思います。

しかし夢を持つということは、それによって視野狭窄に陥り、自分の可能性を狭めるリスクもはらんでいるものなのです。


夢を持つことで、夢以外のものには目や耳をふさぎ、もっと自分に向いているものや、楽しいと感じられるものがあったとしても、気づかなくなってしまうこともあるのではないでしょうか。


学校であれば、努力は報われるという考え方は通用します。

テストでは、事前に出題範囲が教えられ、その範囲内で勉強すれば、努力が点数として返ってくるからです。

でも、社会に出れば、どこからどこまでが出題範囲となるかなどということは誰からも教えてもらえませんし、自分が努力したからといって、ほかの人が認めてくれなければ何にもならないのです。

努力は必要かどうか、という考えよりも、「何をどうすれば認めてもらいやすくなるか」という努力の仕方が大切になってきます。


1日を振り返る時間を持たないでいると、どんなにいい話を聞いてもザルに水を張るようなもので、すべて素通りしてしまいます。

改善点を毎回見過ごし、同じミスを繰り返してしまうといったことも出てきます。


職場や家庭では、正しいことは1割程度で、残り9割は適当なことを話しているほうが、人間関係が安定します。


人生、先はどうなるかわからないし、極端にいえば明日人生が終わるかもしれない。

目標を立てても、必ずしもそのとおりにはいきません。

でも、それによってもっと楽しくなる可能性だってある。

「一寸先は闇」ですが、逆にいえば「一寸先は光」でもあるのです。


人生にとって厄介なのは、不可能なことがあるということではなく、むしろ可能性がありすぎることです。


世間一般では、「明るく前向きな思考を持て」とか、「技術や能力を磨きましょう」というふうに、とかく何かを「身につける」ことを推奨しがちです。

しかし、過剰にあることの弊害も少なくないので、身につけるよりももう少し「捨てていく」ぐらいが、実はちょうどいいのです。

自動車を運転する際にも、スピードを出しすぎれば事故になるし、遅すぎれば渋滞のもとになります。

滞りなく進む速度の範囲内に調整しながら運転しなければいけません。



繊細よりも鈍感になったほうがいいし、記憶力がいいより忘れっぽくなったほうがいい。

できれば悪口をいわれても聞こえないぐらい、耳も遠いほうがいいですね。

そういう種類の「強さ」を持った人が「勝ち」なのです。

幸せな人生にしたいなら、いまを楽しいと思えるように、楽しさをいい意味で「ねつ造」したほうがいい。

それにはお金も時間も何もかかりません。

ただあなたのものの見方、とらえ方をほんの少し変えるだけでいいのです。