きっと、時間には限りがないが、人生には限りがあるからであろう。
人は、急ぐようにできている気がする。
たとえば、誰かと会う約束があったとして、まだ時間はたっぷりあるのに、目の前の歩行者用信号が点滅し始めると駆けだしてしまう。
エレベーターでは、特にその必要がなくても「閉」ボタンを押している。
ほとんど無自覚に、急いでしまっていることは少なくない。

何かをもらうような時でも、数は十分、もらいっぱぐれることはない、と分かっていても人より先にほしがったりする。
「遅い」より「早い」が、「後」より「先」が好きなのだ。
だからこそ、戒める必要もある。
企業などでは、ついつい「目先の利益に走る」、あるいは「結果を急ぐ」ということにもなりがち。
それが最悪の場合、どんな事態を招くかは、問題を起こした食品関係の企業などを考えれば明らかである。

政治にも同じことが言える。
「手っ取り早く」票になりそうな目先の政策にばかりとらわれてもらっては困る。
元来が苦手なだけに、社会も政治も意識して「長い目」を持つよう心掛けるべきなのだろう。
わが国の教育への公的投資はGDP比で、経済協力開発機構の加盟国中、最低とは、過日の報道である。
少子化も要因らしいが、教育に手あついと胸を張れぬことは確かだ。
「長い目」で見れば、これほど重要なものはないが。

―080913“中日春秋”より