ブログネタ:【夏休み企画! 夏満喫ネタ】打ち上げ花火と線香花火、どちらが好き?
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一瞬にして多くの色が観客の顔を照らす打ち上げ花火。
そこには老若男女にこだわることのない表情が存在する。子供も大人もない平等な一瞬でもある。しかし、個々の事情は消し去ることは不可能であるに違いない。去年に彼または彼女と来たというのに今年は、その人は横にはいない。今見る花火が来年も見られるという確かさが無い人もいるだろう。時間と空間という刹那はその限りにおいては、みな平等である。喜怒哀楽にかかわらずである。
大きな花火が光る。夜空を焦がすという表現を用いる人がいる。よく、言ったものである。華やかなる夜空に咲く大輪の花火は、その鮮やかさがゆえに、より一層の暗きものを強調する。
かよわき光ながらも、今一瞬、そして更なる一瞬を繰り返そうとする線香花火。
そこには打ち上げ花火の会場のような賑やかな空気は存在しない。ほんの少しのだけを明るくさせる小さな明り。その明りを一生懸命見つめる瞳がある。夜空を焦がす力はない。小さき命の線香花火がゆえに、そこに照らされる明暗は時間という流れを無限のものと思わしめる。
大きな花火は大きな力が存在する。その力は広く大勢に達する。それは平等にである。しかし線香花火と違って陰陽の陽が強いが為に陰を浮き彫りにする。それに比べて線香花火は陰陽の繰り返しで自らの存在を示す。それゆえに小さな力は心に残る。あえて言うなら打ち上げ花火は頭とか目に残るのに対してである。
極、限られた人にしか線香花火の光は及ばない。しかし、その明りは、その限られた人にとっては共感・共鳴させるには十分である。
どちら良いとかいう事ではない。日本人の感性を分析した結果などは判らない。皆さんの意見を聞いたということもない。あくまでも僕の意識である。
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多分、友人とか家族で行なう花火での打ち上げ花火と線香花火との比較が本筋でしょうね。しかし、無理に大きな花火大会などで打ち上げるようなものと線香花火とを比べてみました。しかし、常体の文は苦しいですね。