八戸母子殺害事件 長男所有の猟奇漫画押収に懸念
 青森県八戸市のアパートで母子3人が殺害されて放火された事件で12日、青森県警八戸署は焼け跡から、逮捕されている長男(18)のものと見られる漫画本を押収したと発表した..........≪続きを読む≫


大学生だった頃の授業で、マスコミ論と新聞論そしてマスコミに関する心理学(以上は講座の名称ではありませんので)の三つの講座を受けました。それぞれ学年が違い担当者の別でしたが、情報は発信する人の意図が含まれているということを三者三様に言っていました。敬老の日には老人の事故や事件を、子供の日には、子供の事故・事件という具合にです。正月には火災のニュースです。


報道においてはインパクトが必要です。新聞は購読者を、ニュースにおいては視聴者を確保する必要があります。しかし作為的なモノは禁じられていますから、時の話題を載せるのが当然でしょう。時の話題(ニュース)と別の話題(ニュース)が足されたら大きな関心が生まれます。良心的な報道の立場だと「問題提起」として扱いますが、そうでない場合は「贖罪の羊」的な報道になり視聴者の意見を無視してしまいます。ステレオタイプの報道と言われるものです。


「ひぐらしの鳴く頃に」のアニメは見ていませんが、コミックスは持っています。殺人の場面とかの印象は残っています。この漫画は、知ってのとおりヒット作ですから多くの人が読んだり見たりしているでしょう。それ以外にアニメ・ゲームソフト等があります。一概には言えませんが18歳という年齢から想定されるのは、人気漫画を所有していて当然だと思います。また「スクールディズ」というのも同様に話題の対象になりました。この最終回は後味が悪いものでした。


アニメ等の心理上の影響は否定できません。事実、「ハレンチ学園」という漫画が流行った頃、小学生の間でスカートめくりというものが広まって社会問題にもなりました。しかし、それは一部の男子のみのもので大部分の人は参加しなかったというのも事実です。ただし、女の子の中には傷ついた人もいたことは否定できません。創り上げた作品が社会現象として別のモノになることはあります。


では、アメリカ映画で斧やチェーンソーで行なわれる殺人の場合はどうでしょうか。やくざ映画を見た観客はどうでしょうか。TVやDVDで普通に見られます。人間は理性とか思慮分別とかが存在するのです。「絶望先生」を見て自殺するシーンを同じように真似をしたとすれば社会問題になるでしょうが、それを省いてしまったら自殺する人は少なくなるでしょうか。精神的に追い詰められたり、精神的苦痛に耐えられない状態において、心理的な揺さぶりは如何なるものでも思いがけない状況を生みます。しかし、そのような心理的な状態で冷静にアニメを見たり漫画を読んで「そういった思いがけない状況」を作り出すでしょうか。しかし誘引とはなるでしょう。


殺人を含めて犯罪はいけないこととは理解しているでしょう。その犯罪の本質は裁判という機能があるからには、そこに委ねるべきでしょう。警察は事件に関わる可能性のあるものはすべて押収すると聞いています。報道は「良識」ある報道もステレオタイプの報道もあります。受けて側もしっかりしていないと正悪の判断が出来なくなります。当然ながら、作成する側も足元をすくわれる可能性があるのです。表現の自由があるからには、その表現に責任を持つ義務があります。日本国憲法には、

第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

と記載されています。