ネットバカではいけない。これは長谷部誠の心を整えるという本に書いてあった言葉である。20歳を迎えた今、小学生だった自分にはその時分からなかったこの言葉が胸に刺さる。

 

俺はネットバカだ。中学の時にスプラトゥーンのオンライン対戦にドはまりし、時間をさんざん溶かした。時は過ぎ、高校の時にコロナになった。休みが続いた。退屈な日々から目をそらすようにスマホに溺れた。そしてまたかくかくしかじか、高3になりスマホに悩まされた。私は受験の男である。毎週のように突きつけられるE判定。どうにかしないとやばい現状が僕の前で川の字で寝ている中、彼女ができてしまった。とても好きな彼女だった。大好きな彼女といつでも連絡を取れるスマホ。偉大なスマホ。やるべきことができない情けない自分が嫌だった。だから僕はスマホを夜だけ断った。文明の最高傑作をロッカーにぶち込んだひきかえに僕は彼女を失った。

 

むぅ。

本当にやるせないとき、そのときぐぅの音は出ない。むぅ、である。

 

この問題は今も続く。

スマホを触ると時間が溶けるように過ぎる。いやもはや溶けてはいるだろう。これは俺だけだろうか、いやそうではないはずだ。

スマホのおかげで身の回りのことのレベルが一個ずつ上がった。しかし同時に他に求めることのレベルもはるかに上がった。これは想像以上に問題だ。なぜなら求めるハードルは上がって、自身が与えられるものはほとんど変わってないからだ。恐ろしい問題である。これが人に感謝できない人が増えている一つの原因なのではないだろうか。

 

デジタルに溺れる人で街はもう変わってしまった。育児においての刹那的な奇跡もYouTubeに飲み込まれる。家族との素敵な夕食もインフルエンサーのハイスペックなランチ投稿に飲み込まれる。嫉妬で忙しくなってしまった。誰がこの世界で一瞬一を生きているだろうか。次回は僕なりのスマホとの向き合い方、いやスマホの飼いならし方というテーマで話していきます。

 

この問題は続く。