今日は、今年度初めての土曜日がお休みの日だった。

先日、体調が良くなくて、「今週の、“お休みの土曜日”は、@ホームだ」と思っていたけれど、

結局はワタリウム美術館へ行き、そのまま親しい人のやっているギャラリー&トークに

出かけた。


ワタリウム美術館へは、本当に久しぶりにいった。

突然思い立ち、木曜日に出かけ、大変具合が悪くなり、

結局30分位で帰ってしまったので、

今日はリベンジ。


ワタリウム美術館は、ミュージアムショップも素敵で、今私の部屋に飾られている

ポストカードのうち、大好きなものはそこからやってきた子が多い。


今回は、「ブルーノ・タウト」という人の展覧会だった。

何にも知らずにいった。


今日、改めてしっかり見てみて、とても面白く展示を見た。

特に心を惹かれたのは、

①彼の思想と、

②桂離宮への(日本の美への、と大きく言っていいのだろうか?)捕らえ方と、

③アンカラ大学の講堂内の手すりの写真。


①は、“日常生活と、精神生活と、社会生活”が融合されたとき、人間としての

ユートピアが出来る、というもの。

それが、彼の建築にも現れているらしい。

つまり、日常生活にかかわるもので、精神生活が豊かにされ、社会生活がうまくいくようなものを

創り出そうとしていたようなのである。

その象徴となるのが、ジードルングという集合住宅。

展示紹介されているものの中に、馬蹄形の集合住宅や素敵な色合いの

ジードルングがあった。

機能的=日常生活

素敵な色合い=精神生活を豊かにする

馬蹄形=社会生活を送るのに、中心となるような理想の形

馬蹄形。なるほど。家を出れば、誰かのおうちの様子が伺える。

また、馬蹄形の内側は、ちょっとした公園のようだ。

コミュニティを発展させるものとしては、とてもよい形かも、と、ちょっと納得。


②画帖桂離宮というもの。

人生の試練や安泰など、精神的な側面から桂離宮という庭園・建築芸術を

解析していく。

とても美しい言葉と面白い観点とかわいらしいスケッチで描かれていた。


③これは、本当にただ気になったもの。

最近、学校の増築がされた。

他にも工事をしていて、学校の構内の様子が変わりそうなのである。


私は大学という場所には、ぜひ想像力や創造力やらを生み出し、

面白いことをやってやろうという気持ちを起こさせ、

何をなにをしようかな、とか、何のために存在するのかなとか、

いろんなことを考えさせ、考えられる“場所”を提供するような場であるといいなと、

勝手に思っている。

なので、Universeを思わせる素敵な学びの場を作り出して欲しいと思っている。


たぶんそんなことを頭の隅っこの方で考えているから、アンカラ大学にあるというその手すりが

目に付いたんだと思う。


とても素敵なやわらかさで、とても安定した、ずっと見ていたくなるような

らせんがついた手すり。

その後ろに見えた、階段の壁にはめ込まれたタイルがかわいらしかった。


ただ現代的にキレイで使いやすいだけじゃなく、

なにかイマジネーションの沸くようなちょっとしたものが

ちりばめられていたり、素敵なぐあいの光を取り込む仕組みがあったり

ひんやりとした木陰や柔らかな木漏れ日があるような、

行きたくなる・集まりたくなる場所に、なれればいいのになぁ。


ちょっとまとまらないけど、今日の雑考。



私はこれから、どんな夢を見ようか。


“こなすだけ”に精一杯の時に、忙しくても何かを考え出したり、創り出したり、産み出したりしていける人に出会うと、

つい、私も・・・と思ってしまう。


それよりも先に、コツコツと自分のbaseを作り上げていきたいのに、つい、我慢ならずに一足飛びに飛んでいきたくなってしまう。


あと。

人がどうこう、ではなく、自分が、したいように行動すること。それを、していないことに気づいた。

したいように、が無いときには、周りにあわせることも1つの勉強だと思う。

でも、こうしたほうがいいかな、自分が、その方がココロが気持ちがいいな、と思ったとき、

そちらの方へするっと動ける自分でいたいとおもう。


するっと。自然に。自分が気持ちのいい方へ。

人と、対抗するんだったり、人を強制しようとするのでもなく。


今日は、お仕事上の関係のある方とお食事をした。

プロになるには、という話をした。


まず、明確な目標を持つこと。

その、“目標に向かえる環境”に感謝し、人のせいや何かのせいにして逃げないで、努力をすること。

そして、たくさん本を読むこと。

自信を持つこと。


その方の口から聞くと、とても重みがある。

そして、何かのせいにして逃げていないだろうか、と考える。

でも、またこうも言っていた。

「物事には順番があって、まずは自分に足りない基礎を作り上げることをしないといけない。できないできないといっている人には、ただ、大量の情報に流されて右往左往しているだけの奴が多い。」

ふむ。

右往左往しているのを感じること、あるなぁ。


この間読んだ記事にも書いてあった。

“闇雲に情報を追いかけるな”と。

自分で、はっきりとしたビジョンや目標を持っていれば、情報は見えやすくなり、自分の必要とするべき情報が見えてくる、あるいは向こうからやってくることだってある、と。


なるほど。


しかも、自分の目標がしっかりしていると、何かチャンスがあったときに、その機会を逃さずに乗っかれるはず。

そういった、求めていた機会を得たときの気持ちよさは、実感したことがある。



こういう人たちの話を聞けることは、とてもモチベーションがアップする。

そういう方の頑張る姿を見ていると、自分もがんばろうという気になる。

なんて、幸せなんだろうか。


「基礎を固める。」

・・・少しでもいいから、日々自分に自信を持てるようにするために。

身の回りの小さなことでいいから。


何事も、偶然の重なり合いでできているのだろうか。

人との出会いは、少なくともそんな気がしてくる。

でも、その素晴らしい偶然もまた、必然なんだろうか。


今日は、一番最初に中国語を習った先生とお話ができた。

私が歩いていて、先生が自転車に乗って通り越し、おうちの前で止まっていたから。

声を掛けても、前はとても忙しそうで大変そうだったけれど、今日はちょっと余裕があってお話ができた。


彼女に会えたことは、私がこれほど中国語を好きになった大きな要因だ。

彼女の教え方がとても上手だったこと、

彼女から得る“中国”(先生は台湾人だけれど)がとても好もしかったこと、

そんなことから、いまだにもっと学んでもっと中国に関わってみたいと思っている気がする。


それもこれも、近所に先生が住んでいて、

私が高校三年生の時間のできたときに、

たまたま中国語を教えますの看板が外されずにあったから。

私が先生の個人レッスンの、最後の生徒なのだ。


今日は、先生とお話ができて心がほこほこした。

先生は、とてもかわいくやさしい。

先生の、「パパとママも私が挨拶するからとっても喜んでいるわ」といってくれたその一言が特に嬉しかった。

私もお二人がとてもすき。



出会いということに関して、もう1つ最近あった特筆すべきこと。

それは、オープンキャンパスに、去年来てくれてたくさんお話をした女の子が、

今年も来てくれていて、たまたま受付をしていた時に会えた事。


私自身も嬉しかったので、贔屓目に見ているかもしれないけれど、

今年も来てくれたのね!どうもありがとう!!

という私の言葉に、

彼女が 覚えていてくれたんですか! といったとき、とても嬉しそうに見えた。


この交流によって、彼女がこの学校を好きになってくれて、そこに籍を置くようになって、

一生懸命活動して、素晴らしいひと時を過ごされるようになったらなんと嬉しいことか。


こういう、ほんのちいさな、私との間から始まるお互いにとって良い交流が

少しでも増えて、そして大きく広がったなら。

本当にうれしい。



また私も、素敵な偶然の出会いを求めて、すこしでも外へと出て行かなくちゃ。

頭をつかってない生活が長かったのかもしれない。

頭の芯が、じーーーーーーんと熱い。

いやはや。退化中。



大学の友達たちは、いまどんな社会人生活を送っているんだろう。

まだ、夢を持って働いているだろうか。

私は・・・?


仕事を始めたばかりのとき、なーんにも思い通りに行かなくて、(当たり前だけれど)

私のいいところってどこなのか、まったくみえなくなった。

・・・今だって、見つかったわけではないけれど。

人の話を聞いて、そのとおりに仕事をするなんて、誰にでもできることではないかと思った。

私は、新しい風を吹かせなくては、とか、

私がいてよかったと思われるようなことがなくては、とか、

変な意気込みを持っていた気がする。


そんなの、いらないのに。

そんなの、できるわけないのに。

そんなの、出来る人だって最初からひけらかすようなことはしないし、

そんなの、見せるのがすごいことではない。


私は相変わらず、なんだかんだいって競争心がつよい。




私の尊敬すべき先輩がいっていた。

「自分のやるべきことはこれじゃない、と思っていた。

でもそうじゃなくて今は、目の前のことをこつこつやっていくことのほうが

大事な時期だって分かってきた」

その方は、とても行動的でとてもやさしくてとても強い、すごいアイデアマンだ。(と私は思っている。)

でも、そういう方だってコツコツ目の前のことをこなしていくのが

大切だという時期があるのだ。


私には、その時期が何倍もあって当然だと思う。


だから。


私は、夢を忘れずに大きな希望を忘れずに、日々を重ねていくことが

大事なのだ。


きっと。


さて。健康であらねば。

怒りっぽくなっちゃうから。

ねようねよう♪


立ち止まりました。


ここ最近は、色んなことを考えさせられる日だった。

自分の、集中力のなさ。

・・・ちょっとお勉強してみても、頭に入らない。

・・・大好きな先生とお話をしても、その話してくださった小噺が、さらりと通り過ぎてしまった様子で、きちんと他の人に話せない。

自分の、自分に対する甘え。

・・・出来る人がいると、何でもまず、人に聞いてしまう。努力しようとしてない。

・・・詰めが甘い。とてもとてもとても甘い。

時間ばかりかけて、結局直感で物事を決める。

・・・つまり、何も考えていない。

無責任。



「聴く力」(茨木のり子)の、冒頭に、半ばに、立ち止まった。


ひとのこころの湖水

その深浅に

立ちどまり耳澄ます

ということがない


・・・


その末裔は、我がことのみに無我夢中

舌ばかりほの赤くくるくると空転し

どう言いくるめようか

どう圧倒してやろうか


だが

どうして言葉たり得よう

他のものを じっと

受けとめる力がなければ


私は、相手の立場になって考えることを怠っている。

相手の心の中を、“どうしてそう思うのか”と、考えることを怠っている。


それは、自分の中の湖水が、浅く、水面しかないからだと思った。

自分にないものを、ひとにあることを、易く信じられないのだ。

猜疑心が、つよいのか。

遠いどこかの話であれば、信じることも出来る気がするのだけれど。

全く、自己中心的な人だと思う。

でも、本当に純粋な人に出会うと、こういう人が、本当にいるんだなぁと、思える部分もある。



心の湖水。

深くある人、多いなぁ。

自分に、厳しい人だ。

暁は、きちんと感じ取り、起きることには起きられど・・・・

何故に電車の中で立ちながら寝てしまうのか・・・

何故に電車の中で、座って本を開いたまま、ペンを出しっぱなしたまま、寝てしまうのか・・・


まだ、体が春なのかな・・・


社会人になって、はやひと月がたとうとしている。

私は、何を学んだのか。

とても恵まれた職場環境にいると、本当に思う。

どうして、こんなに幸せなんだろう。

ありがたく、そしてどことなく申し訳なく思いつつ、そこの中で甘える私。

やだやだ。

どうしてこんなに甘ちゃんなんだろう。

詰めが甘い。

自分に甘い。


こんなにも人に助けられて生きていながら、どうして具合が悪くなるのか。

この間は、夜におなかが痛んで気分が悪くなった。

自己管理能力がないのだろう。

計画性も無し。

もう!


やっておけばよかったこと、どんどん出てくる。

それは、もう遅くても、早めに手を打てばまだましなのに。

自分に甘い。

そして、どこから始めたらいいのかも考えあぐねている間にあっという間に時が過ぎる。


人に感化されつつも、思う。同感する。

人は、今生に生まれ、何かしらその人なりの“今回乗り越えるステージ”があるという。

私は、人に優しく、自分に厳しい人になること、ではないかと思う。


口に出し、このように書くのは簡単。

しかしながら、実行する気力と体力と能力に欠けている。



あーあ。今日は、自己反省日。


10年一昔とは言うけれど、本当にあっという間。

今日は、久しぶりに中学のときの友だちに会えた。

1人、また1人と、なぜか3人に会えてしまった。

うれしいな。

何たる偶然!


何だか日々を一生懸命生きてると、本当に私に過去があったっけ?

思ってしまうけれど、今日会えた3人を思い浮かべたとき、

水色と黄色の・・・・中学ジャージの姿を思い出しました。笑。


やっぱり、過去があって、今があるのだ。

私の過去。

どんなだっただろうか。

自分としては、成長している部分もある、と思う。イヤ、思いたい。。笑。

もちろん、成長していない部分もたくさんあるけれど。

あの頃の私は、どんな子だったろう。。