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カナダなう(´・ω・`)ノ 

~ミヤギカラキマシタ~


お久しぶりの更新になります。

もはやこのブログを覚えている人はいないのかも知れないけど、備忘録という意味でも思うところをつらつら書いてみます。




僕は今、フランスの鉄道に揺られている。

こうして何時間も車窓から眺めていると、色々なことを考える。

これまでの旅のこと、これからの旅のこと、そして今後の将来のこと。

これまでイタリア→スペイン→フランス→スイス→ドイツ→オランダ→ベルギー→イギリス→フランスって旅してきて、明日には最終目的地のスペインへ向かうことになっている。旅も終盤戦だ。





今回の旅のテーマは、『所持金ゼロスタート』。

ケルン大聖堂の前で書道やって稼いだり、ノッティングヒルで話しかけてきたアメリカ人にけん玉売ったり、スペイン広場でトルコ人のおばあちゃんと一緒にペルシャ絨毯売ったり、ブリュッセルのカジノで稼いだり、パリの公園でスリーポイントコンテストで優勝したり。

これまで色んな方法でお金を得てきた。

でも、人に話すときには面白おかしく「けん玉で稼いでる」なんて言ってるけど、実際のところどうやって稼いだかなんて話はどうでもよくて、『所持金ゼロスタート』っていうテーマ設定こそが僕の中では極めて重要。





今回このテーマを設定したのには理由がある。

僕はこれまで、北米、東南アジア、エジプトなど、色々な地域をバックパックを背負って旅してきた。

そこで常々感じていたのは、日本人がいかに裕福で、いかに恵まれているかということだった。

僕の一時間のバイト代が、カンボジアでは三日分の食費になったりする。そうかと思えば、エジプトでは一週間の宿代になったりする。

現地のサラリーマンの給与を考えれば当然のことなのだけど、日本ではラーメン一杯程度の価値しか持たない野口英世が、ひとたび国境を超えると福沢諭吉のモノマネをはじめるのである。

そのおかげで我々日本人は世界中様々な地域を旅できる、極めて恵まれた人種なのだ。





しかし今から2年前、日本の首相が安倍さんにかわると、アベノミクスだかなんだか知らないけど、日本円の価値が急落した。

日本国内で生活していればそんなこと気にならないけれど、ひとたび海を越えてみれば、僕らの財布の中身は1割くらい少ないことになった。

一方でインドや中国は近年急成長を続けており、このままいけば日本経済を遥かに凌ぐ経済大国となるだろう。



さて、ここで一つの疑問が浮上する。

近い将来、インドや中国の経済が日本経済を圧倒的に上回る時代がきたとしたら。

現代では野口英世が福沢諭吉のモノマネをしている国で、もしも福沢諭吉が野口英世のモノマネをはじめたとしたら。

日本人は、現代のように自由に世界を飛び回ることができるのだろうか。

無論、答えはノーである。

だとすれば、僕たちが今楽しんでいるバックパッカーには何の意味があるのだろうか。それは、経済のトリックを利用した骨抜きのカルチャーなんじゃないだろうか。そんなものはなくなった方がいい。

誰がどこに行こうと自由だし、行きたいときに行きたいところに行けばいい。

でも、つまらない経済のトリックでそれが制限され、不平等が生まれてしまうのはよろしくない。

ドミトリーで出会うバックパッカーに黒人が極端に少ないのを見てそんなことを思っていた。



ただ、そんなことを考えたところで、今の僕にはその不平等を解消する力はない。

それならば、今の僕にできることは、その経済のトリックに宣戦布告することではないかと思ったのだ。

世界で最も物価の高い地域の一つであるヨーロッパで、お金を1円も使わずに旅することができたとしたら、僕はこの経済のトリックに勝ったことになる。

いくら日本経済が低迷したとしても、僕らは旅人で居続けることができる。

そう考えるとなんだかとってもワクワクした。





厳密に言えば、航空券と鉄道パスだけはお金を払って購入した。

航空券に関しては、今回の限られた時間の中では、ヒッチハイクでヨーロッパまで行くよりも、むしろ早くヨーロッパに着いて挑戦を始めるべきだと判断した結果だし、

鉄道パスに関しては、車で国境を越える際には色々と手続きや申請がめんどくさいという話も聞いていたし、そもそも車で国境を越えようという人はなかなかいないということなので、やむを得ないと判断した。

むしろバックパッカーにとってこれらが最大の出費であるから、これはルール違反だと言われるかも知れないが、

『現金やカードは持たない』というルールは相変わらず守っているので、その点はご容赦いただきたい。いずれ本当に0円で挑戦することをここに約束する。





iPhoneが壊れたり、充電器が壊れたり、熱を出したり、いくつかトラブルもあったけど、これまでこの試みは成功している。

様々な人の助けを借りて、お金なんてなくても行きたいところに行けるし、見たいものも見れることが分かった。

残すところあと5日。風邪も治ってきたことだし、ラストスパート、アグレッシブにいきたいと思います。


最近、“夢リスト”なるものを作った。

その名の通り、死ぬまでには実現させたいことの一覧。

英語で言うとBucket Listですな。



とりあえず30個挙げてみようということで始めたんだけど、いざリストアップするとなかなか挙がらない。

世界一周、庭にコートがある家を建てる、アッキーナと結婚する、、、

そんなことをつらつら書き綴っていて、自分の本当の夢に気付いてしまった。

上に挙げたような項目も、最終的な目標を達成させる要素でしかないことに気付いてしまった。



結局自分が望むのは、死ぬときになって

「あぁ、いい人生だったなぁ」って思えればいいやって。

そのときに周りに大切な人たちがいてくれたら最高だなって。

まぁそれは極論であって、どうやってそんな死に際を迎えるかという話になってくるのですが。



最近思うのは、自分一人が楽しく暮らすのって結構簡単な話で、

どこでだってなんだかんだ楽しくやっていけると思うんです。

自分プラス一人、二人、三人、、、そうやって幸せにできて初めて一人前の男かなと。







なんでこんな話になったかと言うと、最近俺の心に火をつけた男がいるんです。

3年ぶりに再会した幼馴染なんだけど、彼の影響で自分のキャリアプランをじっくり考える機会を得たんです。

今の時代、どうやって生きていこうとか、どんな仕事をしようかとか、そんなことを考えると暗い気持ちになってしまうことが多いけど、

今はなんだかすごくワクワクしています。



彼は小学生の頃からライバルだったけど、というか俺は勝手にそう思ってたけど、

思えばいつも先を越されてばっかりだな。1回も勝ったことなんてないや。

コートを去って3年以上が経つけど、未だに俺を変えるのはバスケで出会った友達。

ありふれた言葉だけど、一生の財産です。


運動と勉強、それらを仕事にすること、部活ってなんなのか。

そんなお話をします。



一流のスポーツ選手の収入はとんでもないってのは周知の事実で、

彼らの年棒は平均的なサラリーマンが一生かかって稼ぐ金額を遥かに超える。

一流にならないにしても、スポーツ選手という職業に就くことができれば

世間一般で言うお金持ちの部類に入ることができる。



それにも関わらずなぜ大人は子供に勉強しなさいと言うのか、野球頑張りなさいではないのか。

イチロー級の選手になれば何億円という額をさくっと稼げるのに。



それも簡単な話で、プロのスポーツ選手になれる人というのはほんの一握りだからだ。

それに対して一生懸命勉強すれば、スポーツ選手には及ばないにしても

安定した収入を手にできる可能性が高い。

少なくともスポーツ選手になれる確率よりは圧倒的に高い。

そんなこんなで、期待値はどちらが上なのか分からないけど、

ほとんどの親は子供のことを思って勉強しなさいと言う。



ということを考えると、じゃあ部活ってなんだろうという話になってくる。

中高は運動部に入る生徒も多いけど、スポーツ選手になれるのはほんの一握りの天才だけなのに

なんでみんな苦しい思いをして一生懸命練習するんだろう。

その時間を勉強に充てた方が合理的じゃないのか。

そんなことを言い出す人が出てくる。





そもそも部活っていうのは、ほんの一握りの天才のためじゃなくて

世の大部分を占める凡人のために行われるべきものなのだ。

いくらインターハイ常連の強豪校でも、その中でスポーツで食べていけるのはほんの数%だろう。

だからこそ、部活は人間形成の場、教育の場。

野球なりサッカーなりの競技はそのための手段でしかない。

いくら練習しても勝たなきゃ意味がないとは教えるんだけど

先生は部活に関して本当にそんなことを思っているわけではなくて

世の中の厳しさを教えるためにそんな話をする。

例え県の代表になれずに引退したって、頑張った3年間は絶対に無駄にはならない。

というか、仮に1回戦で負けてもやっててよかったって思えるような部活にしなきゃいけない。



ただ、生徒たちがそれに気付くのは引退した後の話。

現役は勝つために頑張っているわけだから、彼らにこんな話をするのは生産的でないだろう。





塾で中学生と話をしてそんなことを考えたのだった。