「とんち教室」のメンバーの寄せ書きのようです。この色紙が我が家にあるのはなぜか不思議です。しかも、左上に「為 木村大人」とあるのはどうしてか分かりません。

「『とんち教室』の時代』という本があります。その『まえがき』に「NHKが『とんち教室』というラジオを始めたのは、昭和二十四年一月三日。準備にとりかかったのは、前の年の夏であった。」とありました。
 また、「とんち教室」は地方公演もしていました。「修学旅行と称して各地で公開録音を始めたのは、放送開始一年半の昭和二十五年夏だった。看板息子石黒生徒の生まれ故郷、柏崎が最初であった。戦後の荒廃いまだナマナマしく、会場は土地の小学校の雨天体操場(体育館のことを当時はこういっていた)があてられた。」(青木一雄著『とんち教室』の時代』 展望社)

 この色紙は、山形で開かれた「修学旅行」の直会で作られたものでしょう。父は、おそらく、その「修学旅行」の開催のための仕事を手伝って、ついでにこの宴会も用意して、その席上でいただいたのでしょう。「とんち教室」と書かれた部分に開催された年「1952」とあり、その右に「青木先生」とあります。「生徒」たちも、それぞれ似顔絵を入れたり、サインをしたりしています。その時代を代表するゆかいな人たちが名をつらねています。
『とんち教室の時代』の最後に、青木先生が春の園遊会にお招きをいただいた話しがあります。その中で天皇陛下からじきじきお言葉をいただき、「とんち教室」の話しをしたことが書かれています。青木さんは、「陛下は、私のような者でも、ちゃんと目を見て話してくださいます。」と書いています。陛下から「目を見て話す」ということを教えていただいたと書いていました。