「天宮にうすき氷の張りしかと おもひしほどの月光なりき」妙子の銘があります。「天宮(てんきゅう)」とは「天人の宮殿」(広辞苑 第五版))とありました。文字通りによめば「天人の宮殿にうすい氷が張ったのだろうかと思うほどの月の光です」となるでしょうか。
「天人の宮殿である天宮」に「うすい氷が張る」という情景を思いつく人とは如何なる方であろうか。「天宮」では今、天人たちが舞い踊っているのだろうか。その「天空に氷が張る」とはどうなることなのだろうか。そう思いつつ「氷が張った天宮」を思い浮かべてみると、「月の光」がどう見えてきたのか。妙子には見えていたのだと思うとうらやましくなります。

 父は大のメモ魔、切り抜き魔でした。ちょっと気になった記事はすぐ切り抜きます。母からまだ読んでないとよく叱られていました。その切りぬき帳に妙子の記事がありました。昭和60年(1985年)9月10日の「短歌時評(島田修二・歌人)」の記事です。
「戦後の女流短歌隆盛のさきがけになった葛原妙子氏が二日に亡くなった。七十八歳だった。すでに長い入院生活が続いていたので、再起が危ぶまれていたが戦後の女流歌人を象徴するようなめざましい活動ぶりに目をみはらせるものがあっただけに感慨もひととおりではない。(中略)四十六年に歌集『朱霊』で第五回超空賞を受賞。四十九年にそれまでの七冊の歌集をまとめた『葛原妙子歌集』を刊行、ほぼ実質的な収穫をまとめている。四賀光子に師事して、『潮音』の代表歌人であったが、その鋭い感覚と奔放な想像力による歌風はひろく歌壇に刺激を与えつづけ、『女歌』の領域を大きくひろげた。(後略)」
 おそらく、『妙子』の文字を記事で見つけ、
「これはこの間いただいた短冊の方の記事だ。」
と大急ぎで切り抜いたのでしょう。
「お亡くなりになったのだ。」
と、短冊を取り出して飾ったのでしょう。

 ブログ606の『三日月の』も同じ『妙子』の銘でした。短冊の用い方も同じで、なにより「鋭い感覚と奔放な想像力」にうっとりとしました。すっかり妙子ファンになりました。