石田波郷の俳句、「病者より 苺贈られ 寧からず」です。石田波郷は著名な俳人です。このことについて、父は「自分史」の中で次のように書いています。
「終戦直後は、県庁文書課の広報係長として、その草分け的仕事の格好付けに明け暮れしていた。そのころ、県庁には調査課に結城健三がおられ、人事課には武田一郎が、渉外課には栗田稲雄が、統計課には渡辺国俊がおられた。いずれも県庁マンには珍しく文化人臭いところがあったと見えて、お互い意気投合して、休憩時間には芸術や文化などの話をし合ったものである。(中略)武田一郎は国漢文の大家で、当時知事の祝辞などの文案作成の仕事をしていたが、一方、俳句の方でも知られていた。
栗田稲雄は、後に九霄子(俳名)と名乗っていたものだから、九霄子の方で知られている。俳誌「胡蝶」の創刊者で長く主宰をされていた。この人からいただいた河東碧悟洞や石田波郷の色紙が残っているが大事なものである。(後略)」

「病気の人から苺をいただいてしまった、ありがたいけれど、これは困ったなあ。」という感じでしょうか。『寧(やす)からず』という言葉、すごいですね。なかなか使えないというか思いつかない言葉です。当たり前です、石田波郷先生なのですから。
 近所の方でしょうか、もしかしたら苺を作っている方かも知れません。いつも苺ができると箱に入れてもってきてくれる方。いつものようにおいしそうな苺を贈ってくれたのでしょう。
「でも、作り主はこの度は病院に入院している。これは心やすらかではないなあ。」
そういう状況にこの言葉を用いたのかも知れません。

「寧」について次のようにありました。
「① やすい。やすし。㋐変わりがない。無事。㋑のんびり落ち着いている。② やすんずるやすらかにする。しずめる。③ねんごろ。④里帰りする。」(新漢語林 第二版)

 日本語は奥が深いですね。それだけ、こころが豊かになります。