外で鳴くカラスと姑の声を間違えたまりめっこ♪です。
今日も境界例の話を・・・。
境界例について、色々調べているけど、
境界例の人はその母親も境界例の傾向が多いそうだ。
そう。姑も境界例の傾向がおおいにあり!!!だ。
姑の場合は、小姑と症状が違って、
境界例のなかの「世話焼き女房タイプ」
と思われるのだ。
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「世話焼き女房タイプ」
博愛主義の仮面を被っていることがあります。困っている人や弱者を必要として、そういう人をどこからか捜し出してきます。そして、彼らの面倒を看たり相談にのることで自分の見捨てられ感を解決しようとします。なぜなら、問題を抱えて困っている人は、助けてくれそうな人を頼ろうとしますので、依存されることはあっても見捨てられる心配が無いように見えるからです。そして、こういう人たちの抱えている問題に非常な関心を持つのですが、自分で自分を捨てているため、自分自身のことにはほとんど無頓着だったりします。自分の利益になるようなことをするのは罪なことだと考え、ひたすら他人のために尽くします。企業戦士のように、会社に忠誠を誓い人生を捧げます。常に組織のため、社会のため、全体のためを考えて行動し、他の人にも同じような行動を求めるため、自分勝手な行動をする人を憎みます。自分自身に「自分」というものがないために、「自分」を持とうとする他人に対しては「見捨てられる」ような不快感を抱きます。
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赤字の説明部分が、姑の気質にピッタリで、見たときは笑ってしまったほど。
こんなことがあった。
数年前に姑の母(ダンナの祖母)が入院していた。
隣の市の病院に入院した義祖母だったが、そこで姑は男性と知り合った。
その男性は、義祖母と同じ階に入院していた患者だった。
その男性は、離婚していた。当時30代だった。
そこで、姑は義祖母のお見舞いに行くのと同時に、男性のために
代わりに買物をしてあげたり、色々面倒をみていたらしい。
「●●さんがね。~」
「●●さんがね。~」
ワタシに嬉々として語る姑。
しかし、傍目からみて2人の間に男と女という感情があまりないように見えて、不思議な関係だった。
やがて男性は退院した。
毎日のように電話をする二人。
電話の内容も嬉々としてワタシに話す姑。
相手のご家族(男性の弟)にも、姑の存在はわかってしまったようで
不信がられていたようだ。(彼女とも思われていたようだ。ぷ。)
そして、姑はなんと相手の家の相続についても意見しているようだった。
男性に「もらうものはもらえ」と言ってアドバイスしていたらしい。
数年後には、自分が相続で苦しむのも知らずに。
何か、違和感が否めない。理解できないワタシ。
どうして、他人の家の事に首をつっこむのだろう。
男性の家のことに、姑が恐ろしいほど関わることに理解ができなかった。
ある日突然、その男性が亡くなった。
姑はお葬式に行った。
その葬式でご遺族に向かって、姑は
「私は彼女と勘違いされて不愉快でしたわ!」
と一言言って、帰ったらしい。
ワタシは唖然とした。
弟を亡くされ、通夜・葬式・・・・等執り行わなければならない
ご遺族。悲しみもあるだろうが、心をしっかり持って物事を進めなければならない日に、
どこの誰だかわからない、おばさんがイキナリ
「私は彼女と勘違いされて不愉快でしたわ!」
と、言ってくるのだから。。。。
そして、それを嬉々としてワタシに語る姑。
今のワタシだったら、
「やってることおかしいよ!」と言えるのだが、
その頃は言えなかったワタシ。
毎日電話していた男性が亡くなったあと、
姑も相当落ち込むかと思ったが、
意外と元気であった。
やはり、あの境界例の説明が合点がつく。
境界例の母親は境界例・・・・・このパターンは義家族にあてはまる。
それにしても、弟の彼女と不信がっていた女性が
カラスのような声をもつオババと知って先方も驚いたことだろう。