このブログは、現役設計士の僕が
建築家を色んな記事から、勝手に
人柄を想像して書いてるブログです。

 

建築家が気になって、建築の事に興味を
持ってもらえるとうれしいです!

 

今回は、フィリップ・ジョンソンです。

ガラスの家(グラスハウス)で有名な

建築家です。

 

この建物、似てると思いませんか?

 

あの有名建築に似てると思いませんか?

 

そうなんです!ミースの設計したあの

ファンズワース邸にそっくりなんです。

 

地面にしっかりとくっついてはいますけど。

 



それもそのはず、フィリップはミースと

協働していてファンズワース邸の図面を

見ていたそうです。

 

なんならファンズワース邸よりこの

ガラスの家は早く完成します。

(ガラスの家はフィリップの自宅)

ここにフィリップの野心というか、

お金にモノを言わせた行動が

見え隠れしませんか?

 

親から譲り受けた株が高騰したので

若くして資産家だったフィリップ。

ガラスの家は、自分の広大な私有地

に建っていて外からの目線を

気にすることなく過ごせます。

 



こんな贅沢な建て方ができるのも

財産があってのことだと思いませんか?

晩年はこのガラスの家で寝泊まりを

しますが、それまではゲストハウス的な

使い方だっと言われています。

重ね重ねうらやましい!!

 

このブログは、現役設計士の僕が

建築家を色んな記事から、勝手に

人柄を想像して書いてるブログです。

 

建築家が気になって、建築の事に興味を
持ってもらえるとうれしいです!

 

今回は、

チャールズ・イームズ

レイ・イームズ     です。

 

イームズと言えばあのシェルチェアや

ラウンジチェアで有名なので、家具

の方が有名かも。




僕も正直あんまり建築家としては

知りませんでした。

 

でも、自宅は『ケース・スタディ・ハウス』

として設計士し一生をここで夫婦仲良く

過ごしました。

 

うらやましい・・・。

 

チャールズは大学を卒業後、すぐ結婚

しますが、偶然出会ったレイの才能に

惹かれ、そして意気投合し前妻と離婚し

二人は結婚します。

 

チャールズはこのちょっと前、世界恐慌

のあおりで事業が失敗してつらい時期

だったと思うんですが、二人支え合って

たんですね。。

 

イームズ夫婦は常に新しい素材に挑戦

していてその当時は、それらで造られた

家具は斬新だったろうなー思います。

 



お互いの才能を認め合った仲で、

さらに後世にこんなにも形あるモノを

のこした夫婦。

偉大です。

 

このブログは現役の建築設計士である僕が、
色んな記事から勝手に人物像を想像して
考察しているブログです。気になったら、
作品、経歴は他のサイトで調べてください!

 

今回はあのトロピカル建築の第一人者、

その名も、、、バワです!

そんなジャンルがあったのですね・・・。

 



スリランカを代表する建築家で、バワが

設計したホテルに宿泊するためにスリ

ランカに旅行する人も多いらしいです。

 

元々は弁護士でしたが、自分のための

住まいを計画するうちに面白すぎて建築

に転向してしまいます。30代半ばで!

 

家がお金持ちで幼少期から世界旅行を

重ねていたバワなので目はすごく肥えて

いたのでしょう。

うらやましい、、、。



 

バワはほぼ図面を描かなかったらしいの

ですが、それを技術的に支えた人物が

います。ウルリック・プレスナーです。

北欧出身でとあるコンペでバワと出会い

ます。

 

同性愛者であるバワと6年間いつも一緒

にいたと言うことはそういうことなんで

しょうか?

 

バワのどの建築を見ても、リゾート感が

すごくでていて、僕もこんな建物を設計

したいっ!て本気で思います。

っていうことでどっかのリゾート地へ、

1ヶ月くらい旅行へ誰か連れてって!

このブログは現役の建築設計士である僕が、
色んな記事から勝手に人物像を想像して
考察しているブログです。気になったら、
作品、経歴は他のサイトで調べてください!

 

今回はルイス・バラガンです。

ちょっと他の建築家とは違いますよっ。

なぜなら、、この方結構早い段階で、

『現役引退』します。うらやましい、、、。

 

理由なんですが、体調がとか家族が

とかじゃないんです。

クライアントの要望に答えながら設計

するのが嫌になったんですって!!

分るけど、そんな理由なん!?って

思いません?

 

でも、彼は自分で二束三文の土地を

購入して見事に高級住宅地に蘇らして

住宅を売ると大当たりし、生活に困る

ことの無いほどの財産を稼ぎます。

 

サスガです・・・。

 

もう一つ有名なのが、

カプチン派修道院です。

 

 

改修工事なのですが、依頼を受けると

建築に必要な費用を自分で負担する

かわりに好きに設計させてと頼み、

なんと8年かけて完成させたんです。

 

 

 

もう、脱帽です。

 

そこまでする?サスガです!

このブログは現役の建築設計士である僕が、
色んな記事から勝手に人物像を想像して
考察しているブログです。気になったら、
作品、経歴は他のサイトで調べてください!

 

今回の建築家はピエール・シャローです。

シャローの人物像についての資料がネットに

無いっ!探せどもやっぱり無いっ!

ということで、完全に想像なのですが・・・。

 

ピエールの代表作といえば、フランスのパリ

に建つガラスの家が有名ですが、この建物は

リノベ物件なのです。

 

なんでも3階に住む借家人が居座ってしまい、

やむなくその下に3層を入れ込んだ建物に

なってます。RC造(コンクリート構造)の中に

鉄骨を入れ込むなんて、なんて斬新っ!

 



正面がガラスブロクの壁なのですが、昼は

もちろん明るいのですが、夜はなんと投光器

を取り付ける柱を外に設計しておいてそこから

照らすという、、なんて素敵な演出っ!

さすが当時売れっ子インテリアコーディネー

ターです。意気揚々と提案したんやろなー、、。

 

ガラスの家の施主である医師ダルサスは、

もともとシャローがコーディーネーターの

仕事の時に知り合ったらしいです。

その時にシャローのこと信頼できたんで

しょうね。

 

このブログは現役の建築設計士である僕が、

色んな記事から勝手に人物像を想像して

考察しているブログです。気になったら、

作品、経歴は他のサイトで調べてください!

 

今回はアドルフ・ロースです。

あのヒットラーと同じ名前やっ!

 

『装飾は罪悪である。』

という言葉があまりにも有名な建築家です。

 

他のサイトで出てくるのが、

「ロースは難聴で、気難しく、建築業界では

孤立気味だった』

とありますが、そりゃ孤立しますよっ!

過激なこと言うてるし・・・、

それに気難しいんでしょ・・・。

でも他の分野の文化人とは広く交流

していたそうです。芸術性や人柄は

良かったんですかね。

 

ロースは自身の人生もケッコーで、

3回の結婚と50代後半の晩年に小児性愛の

スキャンダルを起こしたりと、なかなか

忙しいというか何というか。

 

このロースがうたっていた

『ラウムプラン』については、作品の写真や

図面を照らし合わすだけでは、

僕はちょっとよく分からりません。

 

ですが、『装飾は罪悪である。』と言う

言葉の意味する、『ものの形はそのもの

がものとして寿命がある限り、長持ちする。

しかし、装飾は飽きられればそこで

価値がなくなってしまう。』は、なるほどっ!

と思います。

 

この当時、産業革命後の世界において

ものがどんどんと作り出されている時代に

よくこの言葉を発表できたなと

ホントに尊敬します!

このブログは現役で建築設計士の僕が、

色んな記事から勝手に人物像を想像して

考察しているブログです。

当人の作品のことや、経歴は

ネットでサクッと出てきますのでそちらで・・・。

 

今回考察するのはアイリーン・グレイです。

この人はル・コルビジェとE・1027で映画が

作成されたほど、コルビジェとは

深い関係があったんでしょうか・・・?

(映画『ル・コルビジェとアイリーン追憶のヴィラ』)

僕が読んだ本によるとコルビジェが

アイリーンを求めた感じを受けましたが

どうでしょう?

E・1027はバドヴィッチという、

アイリーンの14歳年下で建築家である

彼の協力なくして完成しなかった建物です。

この建物に落書きをしたのが、ル・コルビジェ!

 

なんでっ!

 

って感じですが、ホントなんででしょう?

しかも女性の裸をモチーフにした官能的なものばかり!

そりゃー怒るでしょう!

 

コルビジェは、完成したE・1027を見て強烈に

アイリーンとこの建物に惹かれたらしいです。

それが行き過ぎてこの場所に固執したんですかね?

今やと犯罪のにおいが・・・。

当時でもどうかと思いますけど・・・。

このアイリーン・グレイの設計は建築と

その土地がもつポテンシャルとをつなげようと

していたところが特徴らしいです。

コルビジェの

『どこにおいても建築の価値は変わらない』

という考えとは相反するところだったのでは

ないでしょうか?

だからじゃないですかね!

 

 

このブログは現役の建築設計士である僕が、

色んな記事から勝手に人物像を想像して考察

しているブログです。当人の作品のことや、

経歴はネットでサクッと出てきますのでそちらで・・・。

 

今回は、前回ルドルフ・シンドラーの後輩に

あたるリチャード・ノイトラです。

 

この人もすごいんです。

なにがってあの巨匠ル・コルビジェのサヴォア邸

より先にロヴェル邸であのモダンな感じを

表現しているんです!!

もっとすごいのはこのロヴェル邸の施主、元は

ノイトラの先輩シンドラーの施主なんです・・・。

 

シンドラーがロヴェル・ビーチハスを設計したまで

は良かったんですが、そこで予算オーバーやよう

やく完成したと思ったら雨漏れが起こったりと散々

だったみたいです。

その結果、ノイトラに依頼が来たというわけですが、

これ、もしも僕がシンドラーだったら絶望したやろー

なーと思います。だってノイトラってシンドラーの

助手を5年間している仲で、学校の後輩な訳ですよ・・・。

 

という感じなんですが、この住宅が多くの批評家に

絶賛されこれを足がかりに彼は飛躍していきます。

 

デザインだけが注目されるかもしれませんが、施主

へのアンケートを詳細に造り決して自分の考えを押

しつけず、住み手に寄り添った建物を追求していった

んだと思います。

 

事実、ロヴェル邸の施主は健康住宅を希望されて

いて、建物の中と外を見事につなぎ、とても開放的で

でも開きすぎず落ち着きのある住宅になっているの

ではないかと思います。

 

ノイトラの言葉です。

『建築家は人間を自然との調和の中に戻す

治療者である。』

なるほどっ!!

このブログは現役の建築設計士である僕が、色んな記事から勝手に人物像を想像して考察しているブログです。当人の作品のことや、経歴はネットでサクッと出てきますのでそちらで・・・。

 

今回はあのシュレーダー邸で有名なヘリット・リートフェルトです。題にもありますが、家具デザイナーとしても有名家具を作られている多彩な人ってイメージです。前出のノイトラとは全く違い(同年代だが地域が違うし)芸術の素晴らしさを建物に取入れさらに家具職人としてのこだわりも建物の随所に取入れた建物、それがシュレーダー邸かなと!たしかに白い箱をイメージするモダニズムとは全然違う!差し色が建物のあちこちに幾何学的に差込まれてる!このシュレーダー邸の設計を依頼されたとき、施主のご主人はすでに他界されていて実際はその夫人と3人の子供のための住宅として建てられています。そして、建ってからもリートフェルト自身スタジオとして住み続けます。このシュレーダー夫人はイン手エリアコーディネーターで、実際は二人の協働によりできた建物なんですって!なんかーうらやましいーー。理想を追求していく中でより親密になっていく二人!そりゃー良い建物になるでしょ!

このブログは現役の建築設計士である僕が、

勝手に人物像を想像して考察しているブログ

です。当人の作品のことや、経歴はネットで

サクッと出てきますのでそちらで・・・。

 

今回は、ルドルフ・シンドラーについてです。

題にあるように一言で言うと時代の先に

行きすぎた建築家だったのではないで

しょうか?

あの巨匠ル・コルビジェよりも先にピロティを

提案していたり、屋外で寝る空間

『スリーピング・ポーチ』

を提案したり(これは今も斬新ですけどっ!)

他にも建物そのものの出で立ちを見ると、

モダンな建築としては申し分ないと思うので

すが、1932年にニューヨーク近代美術館で

開催された展覧会『モダン・アーキテクチュア』

で設計したロヴェル・ビーチハウスが落選

してしまいます。

 

そしてこの時協働していた、5歳年下の

リチャード・ノイトラが設計した同じクライ

アントのロヴェル邸が選出されるという

ショック!

 

シンドラー本人にとってこのときどんな

気持ちだったのでしょう?

 

「なんでやねんっ!!」

 

って何回も思ったやろーなー

(関西弁じゃなかったと思うけど)

 

フランク・ロイド・ライトにあこがれ、そして

その事務所に勤務した経験もある彼は

建物の細部にわたるディティールにライトの

装飾が施されていたと記録されています。

その部分がモダン建築としての評価を下げて

しまったという意見もあります。

 

当時、産業革命後の時代において、まわりの

建物が装飾を排除し、周辺環境との関係を

無視していく流れの中において、環境を読み

解きながら、装飾を大事にしなにより住む人に

寄り添う建築を立て続けた

建築家ルドルフ・シンドラー。

 

現代においても学ぶ所が多い建築家です。