歳時記に冬山を指して「山眠る」という季語が収められています。中国北宋時代(11世紀)の山水画家「郭熙(かくき)」の息子「郭思(かくし)」が、偉大な父の理論や言葉をまとめた画論集『林泉高致集』にある「冬山惨淡(さんたん)として眠るがごとく」が、この季語の起源とのこと。さて、ここで「惨淡」は日本語ではまず使わない言葉ですが、「薄暗い」とか「うら寂しい」といったニュアンスの漢語です。しかし、私たちが大好きな冬山、まぶしく輝く白銀の山稜も、風雪が荒れ狂う尾根も、さらには葉をすっかり落としてやたら明るくなった低山も、決して薄暗くもうら寂しくもなく、従ってそこに「眠る」なんてイメージは全くありません。


 中国の冬山、雪こそ日本の豪雪地に比べれば少ないでしょうが、そのたたずまいが日本とそう違うようにも思えません。郭煕は先の画論集の「山水訓」の項で「自然を理解する最良の方法」について述べ、「自らこの山に遊んで観察すること、そうすれば山水の姿がありありと胸中に展開する」としており、実際、自身山中に良く遊び、山や自然の姿やその摂理に深く通じていたと伝えられています。まあ、我らと同じ部類の山好きだったのでしょう。してみると、その山に詳しい郭熙があえて「山眠る」の言葉で表現し主張したかったのは冬山そのものの有様というよりは、冬山を水墨画の世界に再現して描くメソッドというか定石や心得といったものだったのではないでしょうか。

 

 私たち山屋が「山眠る」の言葉で思い浮かべるのは冬山そのものの姿ではなくむしろ、冬の山における生命の営みの静けさかもしれません。冬山では多くの動物が姿を隠してそれこそ冬眠し、植物は雪に埋まるか葉を落とし、また常緑樹でさえも光合成を止めて、ほとんどの植物はまさに休眠しています。いずれも、厳しい飢えや寒気や乾燥への生命体として懸命の適応であり、その適応がやがて生の歓喜が爆発する春に繋がってゆくのですが、それまでを沈黙のうちに耐えしのぶ姿にはたしかに「眠る」の表現がぴったりです。

 

 さて、そんな生命感に乏しい冬、紀州など雪のない低山で鮮やかに開花して生命を主張するのがツバキ(椿、正確にはヤブツバキ)ですが、このツバキをサザンカ(山茶花)と識別するのはなかなか難しい。いずれもツバキ科ツバキ属で赤い花も葉の雰囲気もそっくりです。ちなみに学名はツバキが「Camellia japonica」でサザンカが「Camellia sasanqua」。「Camellia」はツバキともサザンカとも訳されますので、直訳すれば前者が「日本のツバキ」、後者は「サザンカのツバキ」又は「サザンカのサザンカ」って訳のわからないことに。まあ、学名にも互いがそっくり似ていることが反映しているのでしょう。

 

 ごく常識的な話をすればサザンカが咲くのは10月から2月、一方ツバキは12月から4月ですので、10月から11月に見るのはサザンカ、3月以降に見るのはツバキと判定して良さそうですが両者がダブる12月から2月は何らかの方法で識別する必要がありますし、カンツバキといって真冬に咲くツバキもあれば春に咲くサザンカの品種も出回っていますから、開花時期だけで最終判定はできそうにありません。ちなみにその園芸品種、サザンカでざっと300種、ツバキはなんと6000種といいますから驚きです。

 

 とはいえ、よく似た花もよく観察すれば違いがあります。ひとつは雄しべのつき方で、ツバキの雄しべが根元で合着しているのに対し、サザンカのそれは分離していますので、1本ずつ引き抜くことができます。もっと詳しく調べるとツバキの子房(雌しべの胴部)は無毛ですが、サザンカの子房には毛が生えています。従って子房が成熟してできる実も同様、ツバキは無毛でサザンカには毛が生えています。また雄しべと同様、ツバキは花が根元でくっついているためひとまとめにボトッと落ちるのに対しサザンカは花びらが一枚一枚散ってゆきます。ですから、花さえ落ちていれば識別は簡単です。

 

 さらに次の手段として葉に注目。並べて見れば一目瞭然なのですが、ツバキの葉はサザンカより一回り大きく、肉厚で光沢があります。ツバキの語源は「厚葉木」(アツバキ)とか「艶葉木」(ツヤバキ)いわれるほどなのです。ついでながら葉が薄いサザンカの語源は、中国で山で生える茶の木を意味する山茶花を日本語で「サンサカ」と読むべきところ、次第に「ン」と後の「サ」が倒置して発音されていった結果だそうです。

 

 さて、葉の話の続き、サザンカの葉は鋸歯(葉の周りのギザギザ)が鋭く、葉の付け根や若枝には毛が密生しています。またよく観察してみると、サザンカの葉は先端がわずかに凹んでいる場合があります。さらに太陽にかざしてみると、ツバキの葉脈が黒く見えるのに対しサザンカは白く見えます。こうしてみると、花より葉のほうが識別は容易かもしれませんね。ぜひいちどツバキやサザンカの葉を手に取って確かめてみてください。きっとなるほどと納得されることでしょう。

 

 そして最後の識別ポイントが匂い。サザンカの花の香りは甘く強烈ですが、ツバキの花はほとんど匂いません。なぜでしょうか。サザンカが咲き始める晩秋からしばらくの間、昆虫はまだ活動していて、足早に迫る厳しい季節を前に越冬準備に余念がありません。多くの花が受粉を終えて散り、競争相手が減った森で、遅れて咲くサザンカはそうした越冬準備の昆虫に真っ赤な花と芳香を放ち、花粉を媒介してくれるよう呼び寄せているのです。

 

 しかしツバキが咲く頃にはもう、受粉を任せられる昆虫はいません。そこでツバキは昆虫を頼りにすることをやめ、花粉の媒介を冬鳥に頼ることにしたのです。さて鳥類にも嗅覚はありますがしかし、鳥類の最も優れた感覚器官はなんといっても視力です。例えば猛禽類の視力ですが、東京から富士山を見れば山小屋の看板まで識別できるほどとか。彼らはこの驚異的な視力を武器に遥か上空から地上の小さな獲物を発見しているのです。となれば、真紅の色で花があることを示せば十分、重ねて匂いまでサービスする必要はないというのがツバキの考え方なのでしょう。その代わりツバキは、昆虫より重い鳥が留まっても壊れないよう、根元でしっかり合着した大きな花と雄しべをつけているのです。

 

 生物の特徴的な生き方や姿には必ずそうなるだけの理由があります。サザンカが他の花が絶えた時期に開花するのも、ツバキが虫のいない真冬に匂いのない花をつけるのも、長い進化の過程で獲得した独特の生存戦略であり、それが有効であったればこそ両者は今日の繁栄に至ることができたのです。そう思って見直してみると、身近な周囲の自然にもいたるところに多くの驚異が潜んでいることを発見できます。そんな不思議の宝庫である山を、周囲の生き物には目もくれず、ただ無我夢中に登るだけではもったいないと思いませんか?