数年前に挑んだ森林インストラクター資格試験では、木の葉を見てその葉をつける樹木名を正確に同定できることが、森林の専門家として最も基礎的な素養のひとつとされていました。そこで受験対策として、図鑑片手に近所の森や植物園に出かけては木の葉の特徴を観察し頭に叩き込むのに励んだわけですが、こんなことせずとも最初から同定できたのがイチョウでした。まあ自分に限らず、スギとヒノキの区別すらつかない素人でもイチョウの葉を間違う人はないでしょう。それほど私たちになじみ深いイチョウですが、調べてみると色々面白いことがあります。
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まずイチョウは針葉樹の仲間か広葉樹の仲間か。「針葉」から受けるイメージはマツのように細く尖がった葉です。イチョウの葉はそんなイメージとは似ても似つかず、外観は広葉樹っぽいのですが実は針葉樹の仲間なのです。ポイントは葉脈で、広葉樹の葉脈が網状に枝分かれして葉の末端に達しているのに対し、針葉樹では葉脈が平行に並んでまっすぐ葉の末端に至ります。イチョウの葉脈は末広がりになっている点でマツなどとは異なりますが、葉脈が分枝しない点でむしろ針葉樹の仲間に近いのです。
そんなわけでイチョウは他の針葉樹と同じ「裸子植物門」になり、以下「イチョウ綱」ー「イチョウ目」ー「イチョウ科」ー「イチョウ属」と分類されてゆくのですが、実は「イチョウ網」以下の分類に属するたった一種の樹木です。「網」という大ざっぱなレベルですら一種のみしかないというのは大変なことで、世界広しといえどもイチョウには「裸子植物門」レベル、つまりマツやスギなんてイチョウとは似ても似つかない植物に至るまで、お仲間の種がないということなのですね。
これに対し例えば「ヒト」は「脊索動物門」ー「哺乳綱」ー「サル目」ー「ヒト科」ー「ヒト属」ということで、「ヒト属」レベルでチンパンジー、「ヒト科」レベルではオランウータンなどの仲間に恵まれ、さらに「サル目」まで広げれば近縁の仲間に不自由はしません。まして「イチョウ網」と同レベルの「哺乳網」になればネズミからゾウやクジラまで仲間になってしまうほどです。「哺乳類」が「ヒト」一種しかない世界をいちど想像してみてください。こう比較してみると、イチョウという種はまるでこの地球上の生命進化からかけ離れた孤島のようです。
どうしてイチョウだけがいまこんな孤独な状態で現存するのか。それはイチョウがかつて繁栄した種族の唯一の生き残りでありまさに「生ける化石」と呼ぶべき生物だからです。これまでに発掘された多くの化石からイチョウの仲間が繁栄したのは中生代(2億5000万年~6500万年前)から新生代にかけての時代で、その後の氷河期に唯一現存するイチョウを残して他の近縁種はすべて絶滅したと考えられています。
イチョウにオス・メスがあることはご存知でしょう。ただ、ギンナンをならせるほど成長するまでその識別は非常にむつかしく、遺伝子解析をしてもわからないほどだそうです。さて関連する話題で、神社の御神体になるほど大きなイチョウにはしばしば「乳」と呼ばれる鍾乳石状のものが枝から垂れ下がっていて、「垂乳根(たらちね)のイチョウ」とか乳イチョウであるとか呼ばれ、安産や母乳がよく出る願掛けの対象になってきました。しかしこれは雌株だけでなく雄株にもできます。英語でも「Chichi」と呼ぶそうで「イチョウの乳」はなんと国際語にもなっているほどなのですが、これが何者であるのかについては実はまだ結論がでていません。
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現在最も有力な仮説は「担根体(たんこんたい)」ではないかというもの。担根体とはヒカゲノカズラのような小葉シダ類が持つ特異な器官で、周囲の状況に応じて根にも枝にも葉にも変化できるものです。イチョウ以外の進化した植物にはこんな便利というか融通無碍(ゆうずうむげ)な器官はなく、根の先からは根しか、枝の先からは枝しか出ません。現代の世界を覆い尽くす他の植物より遥かに古い時代に発生したイチョウは、こんなところにも、手探りで自分たちが暮らせる領域を広げていったパイオニアの苦労の名残をとどめているのかもしれませんね。
厳しい氷河期が終わったとき、イチョウ一族はほとんどすべて死に絶え、現在私たちが見るイチョウのみが、中国安徽(あんねい)省の片隅で細々と生き延びていました。それが日本はじめ世界各地に人為的に広げられて現在に至っているわけですが、日本名の「イチョウ」は中国語でアヒルの足を意味する「イアチァオ」に由来するといいます。これはもちろん、イチョウの葉の形からアヒルの水かきのある足を連想した名前だったのでしょう。またイチョウの実を表す日本語の「ギンナン」は「銀杏」の唐の発音「ギン・アン」が語源、いずれも生き延びた土地の言語と文化をその名前に伝えているのですね。
さてそのギンナン、私たちが食用にするのは正確には実ではなく実の中にある種子の堅い殻を割って得る仁という部分なのですが、あの美しいエメラルドグリーンの実(仁)のモチモチした食感は茶わん蒸しに欠かせませんし、フライパンでさっと炒めて小塩を振ればお酒の友にも絶好、ということで山行のアプローチで黄葉したイチョウを見つけると、少々到着が遅れるのも承知でメンバー全員、その後のテントでの酒宴の予感に舌なめずりしつつギンナン拾いに精を出したことが何度もあります。しかしその際、あの強烈な匂いにはいつも閉口させられました。この悪臭は種を取り巻く果肉にあり、落果して間もないときは気になりませんが、熟したりつぶれたりすると鼻が曲がるほど強烈な悪臭を放ちます。
イチョウは日本の街路樹で断然トップの樹種ですが、その黄葉の見事さに惹かれて日本からこれを輸入し街路樹にしたドイツはこの悪臭に困り果て、実をつける雌株の使用を禁止したほどです。・・というほどの悪臭のためか、大概の動物はギンナンを餌には選びません。鳥類がついばみに訪れることもないし、ニホンザルやネズミほかの哺乳類も全く近づきません。最近の研究ではアライグマだけは例外的に食べるようですが、他に食べ物がなければ仕方なくといった感じで、決して喜んで食べている様子はないそうです。
さて、そもそも植物が実をつけるのは、動物にそれを報酬として与える代わりに実の中の種子も飲み込ませ、肥料となる排泄物と一緒に広く散布してもらうためです。さらに言えば、匂いはその動物を実に呼び寄せるための撒き餌だったはずです。なのにその匂いが嫌われ、肝心の実が見向きもされないようなことでは、ギンナンを作るのはイチョウにとって資源の浪費というか徒労にしかならないことになってしまう。先に紹介した唯一例外のアライグマは北米原産で原産地の中国にはいませんから、イチョウの繁殖を手伝ったことはありえません。では、イチョウはいったい誰を種子散布のパートナーに想定してギンナンの実をつけてきたのでしょう。
ここからはワタクシの想像たくましく・・といった話になるのですけれど、イチョウが種子を運んでもらおうと頼りにしたのは今は亡き恐竜だったのではないか・・ 先に書いたようにイチョウ一族が繁栄したのは中生代という地質時代ですが、これをさらに詳しく分けると三畳紀、ジュラ紀、白亜紀と呼ばれる時代区分になり、これはこの地上に恐竜たちが誕生し、繁栄し、そして滅亡していった時期とぴったり一致するのです。
この想像を裏付ける傍証もあります。動物の嗅覚の良し悪しは脳のうち嗅覚をつかさどる嗅球(きゅうきゅう)と呼ばれる脳の部位が脳全体に占める比率で測れるのですが、最近カナダの科学者たちは、恐竜のそれが現在の鳩程度に優れていることを解明しました。つまり、当時の植物にとり、匂いは種子を運んでもらう相手つまり恐竜を呼び寄せる有力な道具として使えたということです。
引用=http://bowler10.blog.fc2.com/
我々には猛烈な悪臭でも、恐竜たちには得も言われぬ芳香だったのかもしれません。多くの恐竜たちのうちの一群はあの強烈な匂いに引き寄せられてギンナンを食べ、糞と一緒にイチョウ族の種子を散布してその繁栄に貢献したことでしょう。しかし、そんなイチョウのかけがえのないパートナーは6500万年前のある日、恐らくは巨大隕石の衝突をきっかけに絶滅してしまいます。ですが今日に至るまでの気の遠くなるような時間、イチョウは世代を繋いで来る年も来る年もひたすらパートナー好みの匂いの実をつけ、ただその再訪を待ち続けてきたのです。これはもう、プッチーニの「蝶々夫人」もテレサテン(古いか?!)が繰り返し歌った「待つ恋」も真っ青の飛びっ切りの悲恋ではありませんか。
イチョウは「公孫樹」ともいいます。「公」は祖父、おじいさんが植え孫の代でやっと実をつける樹という意味です。そのイチョウの種子も他の樹木同様、親の近くでは発芽できませんから、遠くへ運んでくれるパートナーがいない今は人の手で植えてもらう以外に子孫を増やす手段がありません。もしこれをお読みの皆さんが山行中にイチョウを見かけたら、それはどんな山奥であっても間違いなく人が植えたものであり、かつてそこで人の暮らしが営まれていたことを示しています。
絶滅して久しい恐竜たちの時代、そして過疎からやがて崩壊しついに消滅した山村の暮らし、イチョウの樹はいずれも「失われた世界」=ロストワールドの記憶を内に秘めつつ、秋ごと見事な黄金色に染まっては、無心にギンナンの実をつけているのです。


