中学2年の時から溺愛している作家、道尾秀介。

今読んでいる彼の本で、とても個人的に好きだと思った表現があったので、紹介していきたいと思います。


『鏡の花』道尾秀介


第二章 つめたい夏の針
p103
「決して章也のことを忘れたわけではない。しかし、もう涙は流れない。ときおり流れたとしても、それはきっと自分のための涙なのだろう。死んだ人は、こんなふうに、みんなもう一度死ぬのだろうか。章也だけ、そんな目に遭っているのではないだろうか。自分ばかりが冷たいのではないだろうか。これからも自分は生きて、大事なものが増えていく。章也の目から永遠に消え去ってしまったこの世界を、きっと何十年も生きていく。哀しみは必然性をなくし、たぶん、本当の物真似に変わるときが来る。透明だった思いは不透明に濁って、いつかあのサソリの針は章也の肌に突き刺さる。きっとそのとき章也は驚いて振り返る。そして自分の肌に針を突き立てる姉を、不思議そうに見下ろす。」

人が亡くなったとき、
そしてそれから時が過ぎた時の、人間の心情を上手に描写してるなぁと。

「他の作家が書いてもつまらないような出来事を、道尾秀介が書くととたんにおもしろいものにかわる」
とよく言われるものです。
基本的に彼の描く小説の表現は好きなのですが
特にここの部分は気に入りました。良き。




第四章 たゆたう海の月 p211
「そうじゃない。強くかぶりを振ったが、声は出てこなかった。言葉を咽喉から押し出すことができず、瀬下はただ栄恵の肩を支えて歯を食いしばった。いったいどうすればよかったのだろう。どこから間違えていたのだろう。自分たちはいつ、何に失敗したのだろう。瀬下にはわからなかった。人はこうしていつも、唐突な風の中で、波の中で、ただ身をまかせていくしかないのだろうか。ねじ曲がった黒松の下で、瀬下は無意味な問いを繰り返し、咽喉の奥では叫びが頭をもたげていた。それを力ずくで封じ込めるように、瀬下はいっそう歯を食いしばり、しかし叫びはつづけざまに咽喉もとへ突き上げた。周囲では歪な木々がただ静止して、ときおりの風に針葉を震わせ、遠くで海鳥の鳴き声が響き、どこかで鳴った車のクラクションがそれに重なった。」


人が亡くなった時に、その亡くなった原因に少しでも関係がある人たちは、
あの時こうしていれば、逆に、こうしていなければ、私のせいで、、、と、
その人の亡くなったあと、永遠に後悔するものなんでしょうか。


いつもは世話焼きが鬱陶しいと思っていた母、面倒だからと帰省せず電話さえもしなかった別居している母が、亡くなって初めて、
ああ、あの時電話を取っておけばよかった
連絡をしておけばよかった
一度くらい帰省しておけばよかった
もう少し優しくしてあげればよかったと
何度も何度も後悔するように。


私はちなみに、一昨年の春亡くなった祖父に、
テスト期間だから忙しいという理由で、なかなかお見舞いに行けなくて、
半年の命だろうと言われていたのに、たった1週間で祖父は他界してしまって、
テスト期間関係なしに、ちゃんとお見舞いに行ってあげればよかった、
話をたくさんすればよかったと、後悔した出来事を、この本を読んで思い出しました。


人は失わないと気づかない。
普段冷たく当たってる人が、もし明日、亡くなってしまったら。
そう考えて生きてみると、いろんな人に感謝しよう、優しくしようって気にもなれるんじゃないですかね。



いつにも増して自己満であげてみましたが、たまにはこういうことを考えるのもいいのではないかと。


『鏡の花』道尾秀介
本当に良い本です。
この本の帯には道尾秀介の直筆で、
「生きていてくれて、ありがとう。その思いを込めて。」
と書いてあります。

気になった人はぜひぜひチェックして見てください。

http://i.bookmeter.com/b/4087715299

「製鏡所の娘が願う亡き人との再会。少年が抱える切ない空想。姉弟の哀しみを知る月の兎。曼珠沙華が語る夫の過去。少女が見る奇妙なサソリの夢。老夫婦に届いた絵葉書の謎。ほんの小さな行為で、世界は変わってしまった。それでも―。六つの世界が呼応し合い、眩しく美しい光を放つ。まだ誰も見たことのない群像劇。」

六つは短編集みたいになっているのですが、登場人物は全て統一されていて、第六章では総出って感じです。

最後いい。