一滴のオリーブオイル
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関わり合い-engagement-

よく色んな自己啓発書やビジネス書に書いてあるのが、自分探しの旅に出たって自分なんて見つからない。っていうこと。
そういう人って果たして自分探しの旅をしたことが1度でもあるのか?と疑問に思います。
多分経験談から語られているのかと思いますが、少なくとも自分探しの旅をしたから、[「自分探しの旅に出たって自分なんて見つからない」という自分]を見つけたのではないでしょうか。
「自分探しの旅に出たい」本気でそう思うなら、あなたの魂がそう感じるなら、そういう天啓を受けたなら、(人によって感じ方は様々ですが)、僕は行くべきだと思います。
たくさんの経験を積んできて、毎日忙殺されているかもしれません。人間関係、対人関係、この社会との関係に悩んでいるかもしれません。心ない上司や先輩にイジメられているかもしれません。そんな辛酸をなめてきたあなただからこそ感じられる経験がそこにはあると思います。
「自然」にレ点を打って読むと「然るべき自分」となる、ある方の受け売りですが、自然は自分を写す本物の鏡です。自然の中に身を置いてみるからこそ有りの儘(まま)の自分が見えてくるのだと思います。

雨が降るから虹がでる。実際にはそんなに単純じゃないです。
強風が吹き、川の畔に生えている木が倒れる。人間はそれを見て、「景観を損ねた」もしくは「ちょっと邪魔だからどかしておこう」なんて思います。そしてその木をどかしてしまう。あなたはスッキリして空には虹が架ったような清々しい感動を覚えるかもしれません。でも決してそれがいけないことであるとは思いません。私もそんなマボロシの虹を見たことがあったかも。
しかし、そのままにしておいた木はやがて腐っていく。そこには微生物が発生し、それを食べる小魚がいる。それを食べに集まる我われ動物たちがいる。こうして私たちの世界は様々な関わり合いによって成り立っているのではないでしょうか。
だからこそ自分なんて本当はどこにもない。そこにあるのは「自分と自分以外の全てとの間にある関係性」なのだと分かるようになるんだと思います。
人によってはこれを調和と言ったり、エコロジーと言ったり、変容とか自然の摂理とか縁とか超越とかと言うのでしょう。原点回帰とか、我を朽ち果て他者に生きる、、、などなど言い方様々。

僕はどれでもなくengagement(関わり合い)っていう言葉が好きです。

実際私たちは何千年に渡って自然と向き合うことで得られる超越的なパワーを知っていました。これは様々な宗教で言われてきたことです。
僕は好奇心旺盛、悪く言えば影響を受けやすい性格からか、様々な宗教や信仰を持った人たちと真剣に向き合ってきました。その中には今も普通に友人として付き合っている人たちがほとんどです。
どの宗教にも探求者が現れます。(教祖、始祖とか言ってもいいんですが、宗教の風当たりが強い日本ではあまりいい言葉ではないので)
モーセ、イエス、ムハンマド、ブッダ、、、ラビでも、司祭でも牧師でも、ウラマーでも、バラモンでもお坊さんでもリーダーでも先生でも誰でもいいいんですが、彼らはもれなく荒野を流浪して自身の悟りを得ていきます。そしてそこで得たものを自分のコミュニティに持ち帰るのです。


結局何が言いたいのかと言うと先月行ってきた長野の上高地がほんとうに素敵だった。っていうこと。足が痛くなりながらも歩いて、今まで見たこともない景色に出会えました。

自分探しの旅なんてしても自分は見つかりません。それでも私は自分探しの旅(※正しくは自分と他との関係性探しの旅)に出るべきだと思います。
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"人生の重みって、どれだけいろんな体験して、失敗し、悲しみに涙し、運命に叫び声をあげ、その上でどれだけ今を軽やかに生きているかだと思うんです。"  ーロバート・ハリス(作家、ラジオDJ)


他人にあまりこういうことを話すと煙たがられるので久々にお留守にしていたブログで書いてみました。でもせっかく持ち帰ったお土産はみんなとシェアしたい!


お盆休みで多くの方々が旅行に出られたと思います。きっと旅に出て、帰って来たら、今はほんの少しだけ心が軽やかになっているかもしれませんね。これから行かれる方も多いでしょう。
あなたが一人となって得てきたあなただけの体験を、あなたはあなたのコミュニティに持ち帰るでしょう。


あなたが得てきたかけがえのないたったひとつの体験。私なら喜んで聞きたい!

旅に出たって自分なんて見つからない、、、。そんな宗教に入って、修行して、瞑想して、お祈りしたって自分なんて見つからない、そんな仕事をしたって自分なんて見つからない、、。そんな風に切り捨てることはできなくて。








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氷見ワイナリー SAYS FARM

富山の氷見ワイナリーを訪問してきました。

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高田の上、富山湾を見下ろす、葡萄畑。
景色がとにかく素晴らしい。


こんなところでできるワインはきっと美味しいんだろうな、と思わずにはいられない、そんな素晴らしいロケーションに佇むSAYS FARM。

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  一番景色のいいところにあるモニュメント。

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除草のためか、ヤギが敷地内で飼われてる。

稲のを育てるのも合鴨を放って、害虫などを駆除してもらう農法があります。それで減農や無農薬のお米ができたりします。(実際に減農農法はそんなに単純ではないですが)

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フラッグシップワインのSAYS FARMシャルドネをいただきました。

同じシャルドネでもオジコ•シャルドネ(OJICOはイタリア語で弟の意)というワインもあり、こちらはまた違ったタイプで人気だとか。

すごくエレガントで、酸が穏やか。ぶどうを皮ごと発酵しているのか、グレープフルーツのような苦味がとても綺麗です。

少し山の中にひっそりと佇む小さなワイナリー。生産量が少ないのが悩ましいけれど、美味しく飲んでもらえる分だけを丁寧に育てて造る。なんかそういうのっていいじゃないですか。
美しい山の上のワイナリーからの景色、足元は葡萄畑、向こうにはは弧を描く富山湾。
あの風景を思いながら飲むSAYS FARMシャルドネはあの山の上の畑を訪れた者だけの特権です。

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オルセー美術館展 カイユボットの生き方が好き


印象派のエンジェル投資家、カイユボットの生き方が好き

印象派の画家「カイユボット」という名前を耳にしたことがありますでしょうか。モネやルノワール、ドガは印象派のいわば花形、でも見方によっては印象派の中でもある意味最も重要な人物と言えるのがカイユボットという男です。
印象派の画家たちに大きな影響を与えたことから印象派の父とも呼ばれるエドゥアール・マネと同じく、カイユボットはブルジョワジーな裕福な家の生まれ。生粋のパリジャンでした。故に暮らしの為に自らの描いた絵を売る必要性がなっかった為、点数は少ないながらも自分の描きたい絵を好きに生涯描き続けました。
当時まだ無名だった同年代の印象派の画家たちの作品を、その可能性と才能を誰よりも早く見出し次々購入、経済的に援助しました。
印象派というと、日本古来の書や茶道や華道のような流派のようですが、実はちゃんとした合名会社なのだそうです。カイユボットは印象派という無名で前衛的なベンチャー企業を陰で支えいわばエンジェル投資家のような人だったのです。(美術収集家としても有名)
そんなカイユボットの最高傑作「床に鉋(かんな)をかける人」があのオルセー美術館から日本にやってくる。
絵画とは、それ以前までの時代は、貴族のためにお抱えの画家がパトロンや教会の依頼を受け、崇高な聖書の一節や肖像画を描いたようなものが一般的でした。
この画のように下級労働者を多く描いたカイユボットの作品のような画は、当時の買い手本位のマーケットでは当然需要はなかったのです。(たぶん)
ですが、そんなことはカイユボットにとってどうでも好い事、こうした産業革命の決算期とも言える目まぐるしく移ろうパリの日常を何百年も後世に作品として伝えることこそ、文字通り同志の印象派の画家たちを巻き込みながら、(収集家ではなくて)画家としてカイユボット自身の掲げたミッションだったのかもしれません。
少なくともこの躍動的な描写に、当時の庶民のリアルな日常が映し出されていると思いますし、それこそがカイユボットの狙いだったように思うんです。後に、多くの彼の作品と同じく、この画は19世紀末の激動の都市パリの空気に満ちていると評されています。

印象派っていうと、モネもルノワールも、他のどの描き手も同じ筆使いで、同じ色彩で、と思いがちでしたが、カイユボットを始め印象派の画家たちはそれぞれが誰からも、そして時代の流れからも制約を受けずに、自分たちの「好き」なテーマを描くことを貫いたのです。せっかくだから紹介させていただくと、アルフレッド・シスレーが「空」の画家、ベルト・モリゾは「子ども」の画家、メアリー・カサットは「母と子」の画家、エドガー・ドガは「バレリーナ」の画家、ピエール・オーギュスト・ルノワールが「幸福」の画家、カミーユ・ピサロが「農民」の画家、アルマン・ギヨマンが「田園風景」の画家、ジョルジュ・スーラが「色彩科学」の画家、クロード・モネが「光」の画家、、、などと形容されることからも彼らが「好き」な画を追求し続けた姿勢は明らかです。
そんな中いまいち日本では馴染みのないギュスターヴ・カイユボット。
今回の国立新美術館で開催のオルセー美術館展ではあのジャン・フランソワ・ミレーの「晩鐘」もくる。パリに行かなきゃ見れないと思ってた。

でもやっぱりぼくはカイユボットの生き方が好き。

カイユボットの死後、手元に残ったコレクションは英華を極めた超傑作ばかり(ルノワールの「ムーラン・デラ・ギャレット」ドガの「エトワール」など)。それらは彼の遺言によってフランス(ルーブル美術館)に寄贈されました。いい話だ、、、。
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