目覚ましが鳴っている。武史は蒲団から体を起こすと、キッチンに足を向けた。そこにはエプロンをして朝食を作る聖美の姿があった。時計を見た。まだ5時半を少し回ったばかりだ。今日は1225日。日曜日である。


「聖美、そんなに早くからやらなくたって、今日日曜日で俺たち休みなんだから。まだ寝ていたっていいのに」


 聖美が気づいて振り返り、笑顔を作った。


「だってあんまりゆっくりしていたら、間に合わないもの」


「何が間に合わないんだよ、今日は日曜日だし慌てる事なんかないじゃないか」


 武史がそう言ったのが聞こえたのか聞こえないのか、聖美は再び朝食作りを続ける。


「パパ、ママ、おはよう」


 寝ぼけまなこの将太が目をこすりながら起きてきた。


「どうしたの、ママ。もうお昼なの?今、何時?」


 武史は、将太がそう言ったのを聞いてはっとした。今は間違いなく5時半過ぎの筈だ。なのになぜ聖美のまわりだけあんなに明るいのだろう。将太が朝と昼を勘違いするのも無理はない。聖美のまわりだけ、光が強く発せられているのである。


「なあ、聖美、どうかしたのか…?」


 武史は恐る恐る声を掛ける。前にも同じ光景を目にしていたからだ。将太の願いが叶って聖美がこの家に現れた、あの光景。まさにそれと同じ光景を今目の前にしているのである。


「さあ、ご飯、出来ましたよ。顔洗ったら食べて下さい」


 そう言うと聖美はにっこりとほほ笑んだ。食卓にはいつも使っている武史の茶碗と、将太のかわいらしい茶碗が向い合せになっている。おかずもそれぞれ作られてはいるが、聖美のの茶碗や食器は見当たらない。


「聖美、どこか調子でも悪いのか?朝ごはん食べれないくらいなら、まだ寝てたっていいんだぞ」


「ママ、大丈夫?」


 将太も心配そうに聖美を見た。すると聖美は、椅子に腰かけて落ち着いた口調で話し始めた。


「実はね、私、もうすぐ向こうに帰らなきゃならないの。サンタさんと約束したのよ。将太のお願いをちゃんと聞いて下さったわ。将太にも、サンタさんにもすごく感謝してる。でもね」


 聖美はそこで一拍置くと、武史の顔を見て言った。


「私は3年前のあの日、確かに事故で命を落としたわ。その事実を変える事は出来ない。でも、たとえ短い時間でも、思ってくれる人がいたならば、その人の元へ帰ることが出来るのよ。でもそれはすごく短い時間だけ。ここの時間はあちら―――私達が天国と言っている世界―――の何十倍もゆっくり流れているのよ。気がつかなかった?3年も経つのに、私はほとんど変わることなく、あの日のままだという事に。そして、田中さんの奥さんが私を見てもちっとも驚かなかったことに。それはね、田中さんの記憶が私の亡くなる前のものになっていたからよ。サンタさん―――といっても神様に近い人かもしれないわね―――が、無用な混乱が起きないようにしてくださったの」


そこまで言うと、聖美は椅子から立ち上がり、武史と将太の前までやってきた。さっきより光の強さは強くなっていて、もうしっかり目を開けていることはかなわなかった。


「さみしいけど、ここでお別れ。でも、大丈夫。きっといつかまた会える日が来るわ。その時は、又笑顔で迎えて下さいね」


 そう言うと聖美は恭しくお辞儀をした。何だか他人行儀で、本当に遠くに行ってしまうような気がしていた。


「待ってくれ聖美!まだ話したい事がいっぱいあるんだ。一緒に行きたいところだってある。なあ、もう少しだけ、一緒にいてくれよ」


 武史の声は、いつしか涙声になっていた。すがるように、光に包まれていく自分の妻の姿を見つめている。


「そうだよ。まだまだ一緒にいたいよぅ!」


 将太も大声を上げたがその声は届かない。まるで自分たちが異空間にいるかのように、声を発しても自分の耳に届かないのだ。


「ありがとう、将太。また、どこかで会えるわ。さみしいけれど、お別れの時間が来たようね。それじゃあ、さようなら―――」


 刹那、まばゆいばかりの光を放ち、聖美の身体は天へと昇って行った。






 年が明け、新学期が始まった。


「パパ、また雪だよ!」


「おお、またか。よし、将太、車に乗って。保育園に遅れちゃうぞ」


 そう言って武史は車のエンジンを掛ける。まだ温まるには少し時間がかかるだろう。その間、部屋の片づけができているかチェックするため、部屋に戻った。き


「将太、おもちゃが出しっぱなしだぞ。サンタさんからもらったの、ちゃんと片付けなさい」


「はあい」


 間の抜けたような将太の返事。車から降りてサンタクロースからもらったDXゴーカイオーをおもちゃ箱にしまいに行った。おもちゃ箱の傍らには、【しょうたへ】と書かれた手書きのメッセージカードがある。あの日、聖美が書いていったものだ。武史は背広の内ポケットを探った。将太同様、メッセージカードが入っている。


「パパ、おもちゃ片付けたよ」


「よし、保育園に行くぞ」


 そう言うと二人は車に乗って、雪道をゆっくりと走りだす。飯島家のリビングのカーテンが少し揺れた。次第に遠くなっていく車を、愛おしそうに見送る飯島聖美の姿がそこにあった。




おわり